今だからこそ評価すべきSPEEDの功績 日本中が熱狂した“愛らしさ”と“スキルフル”の両立

 最近改めて思うのは、往時のSPEEDが体現していた「10代の女子が愛嬌のみに頼らずそのスキルでオーディエンスをねじ伏せる」という凄みが、その後のJポップのシーンにおいて正確に咀嚼されなかったのではないか? ということである。

 SPEEDが登場した90年代半ばは「アーティスト志向」の強い時代であり、今でいうアイドル「的」な存在だった彼女たち(時代柄、当時SPEEDのことを「アイドル」と呼ぶ向きはなかったはずである)にも相応のスキルが求められた。また、SPEEDの最初の解散直前に「LOVEマシーン」で時代を制したモーニング娘。も、もともとは「シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディション」に参加した歌自慢の5人で結成されたグループで、「愛嬌が売りのアイドルグループ」では決してなかった。

 最近でこそ現体制のモーニング娘。を筆頭にハロー!プロジェクト界隈の本格的なダンスパフォーマンスが注目されてはいるものの、2010年代の女性アイドルブーム以降のシーンにおいて、アイドルグループの魅力を測る尺度は「スキルを上回る何かこそ重要である」という考え方にかなり偏っている。この考え方自体はもちろん尊重されるべきものだが、もしもかつてのSPEEDの功績が正しく評価されていれば、よりスキルフルなアイドルが評価される土壌が日本にも生まれていたかもしれない。

 折しも、現在日韓同時放送されているオーディション番組『PRODUCE 48』において、48グループの面々が日本よりもステージパフォーマンスそのものが重視される世界で自らの価値を問い直さざるを得ない状況と対峙している。そんな時期だからこそ、かつてSPEEDが「かわいさ、愛らしさ」と「パワフルなパフォーマンス」を両立できていた事実、そしてそれが熱狂的に受け入れられた歴史に想いを馳せることに大きな意味があるのではないかと思う。

■レジー
1981年生まれ。一般企業に勤める傍ら、2012年7月に音楽ブログ「レジーのブログ」を開設。アーティスト/作品単体の批評にとどまらない「日本におけるポップミュージックの受容構造」を俯瞰した考察が音楽ファンのみならず音楽ライター・ミュージシャンの間で話題になり、2013年春から外部媒体への寄稿を開始。2017年12月に初の単著『夏フェス革命 -音楽が変わる、社会が変わる-』を上梓。

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