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ガガガSPコザック前田×LD&K大谷秀政対談「支えてもらうなかで続けようという執念が出てくる」

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 結成20周年を迎えたガガガSPがベストアルバム『ガガガSP オールタイムベスト〜勘違いで20年!〜』を今年5月にリリース。〈パンク盤〉〈フォーク盤〉の2枚組よる本作には「青春時代」「線香花火」などの代表曲のほか、新曲6曲を収録。70年代のフォークソングと90年代のパンクロックを一体化させたスタイルを貫いてきたガガガSPの軌跡がリアルに体感できる作品に仕上がっている。

 このアルバムのリリースを記念して、ガガガSPのコザック前田と所属レーベルLD&Kの代表・大谷秀政氏の対談が実現。当事者しか知らない貴重なエピソードとともにガガガSPの20年を振り返ってもらった。(森朋之)

 大谷さんはしっかりバンドの芯を突いてくれた(コザック前田)

ーー大谷さんとガガガSPの出会いから教えてもらえますか?

大谷秀政(以下、大谷):最初はデモテープだね。当時はカセットテープだったんだけど、あれって田嶋(悟士/Dr)くんが送ってきたの?

コザック前田(以下、前田):そうですね。

大谷:リハスタで録ったテープだったから録音物としてのクオリティは低かったんだけど、「これはちょっと様子がおかしいな」って気になって。

前田:様子がおかしかったですか?(笑)

大谷:うん。友部正人さんの「一本道」のカバーが入ってたのも良かったんだよね。当時のLD&KにはCymbals、KING BROTHERS、つじあやのなんかが在籍してたんだけど、全員60年代、70年代がルーツになっていて。つじあやのは“はっぴいえんど”が好きだったし、Cymbalsの沖井(礼二)くん、KING BROTERSのケイゾウはThe KinksとかTHE WHOでしょ? 一見バラバラだけど、じつは統一感があったんだよね。

前田:なるほど。

大谷:ガガガSPも70年代のフォークを感じたし、それをライブハウスで暴れられるようにパンクにしてるのが発明だなと思って。当時はブルーハーツのフォロワーが多かったんだよ。譜割りがガッチリしていて、一音に一文字ずつ乗ってるような日本語のパンクばっかりで。ガガガSPは吉田拓郎みたいな字余りだったし、それも良かったんだよね。で、前田くんの携帯に電話したんだけど、留守番電話のメッセージが「俺様や。何か用か」って(笑)。

前田:ハハハハハ! そうでした(笑)。

大谷:いいよね(笑)。当時のスタッフに「逸材いたよ」って伝えて、すぐ神戸までライブを観に行ったんだよ。既に神戸ではすごい人気だったし、エネルギーもすごくて。何でもそうだけど、エナジーが大事だから。みんな若かったしね。

前田:僕が二十歳で、他のメンバーは10代ですね。

ーー1990年代後半にフォークを聴いてたんですか?

前田:そういう環境だったんですよ。実家の近くにフォーク喫茶があったし、14才上のアネキがフォークを聴いてたり。あと、初期のメンバーに70年代のレコードマニアがいたんです。そいつがカラオケでフォークを歌って、おもしろがってテンポを上げてるうちに「これ、いいかもな」と思って。世代的には英語詞でパンクをやる感じだったんですけど、フォークソングをパンクの形態でやったらおもしろいじゃないですか。

大谷:他にいないからね(笑)。

前田:そうですね。当時LD&KからURCレコード(はっぴいえんど、友部正人、金延幸子などの作品をリリースしたインディーズレーベル)のコンピを出してましたよね?

大谷:あれは東芝だね。俺は監修と選曲。CDの帯を曽我部恵一くんに書いてもらって。

前田:あ、そうなんですね。僕らはパンクのレーベルからも誘いがあったんですけど、どうも自分たちのことをわかってくれてる感じがしなくて。大谷さんはしっかりバンドの芯を突いてくれたんですよね。

ーー当時から「ガガガSPはフォークだよ」って言ってましたからね。

大谷:うん。ライブも良かったしね。その頃のベースのヤツ、2本しか弦を張ってなくて(笑)。

前田:ベース弾けないヤツを強引に入れましたから(笑)。曲はいいと思ってたから、演奏は度外視だったんですよ。それもフォークの考え方なのかもしれないですけど。

大谷:伝わればいいっていうね。いいよね。

前田:初めて会ったときから大谷さんは言葉が少なくて。「いいねえ。いつ出す?」ですから(笑)。

大谷:20年前は全部自分で決めてたし、早かったんだよね。ストレイテナーも下北沢251でライブを観て、初対面で「来週レコーディングだから」って言ったしね。

前田:僕らのときもすぐに「いいね。出そう」って言ってくれたんですけど、その後、しばらく連絡がなかったんですよ。「もしかして、あの話は流れたんちゃうか?」と思って電話してみたら「じゃあ、再来週で」って(笑)。

大谷:(笑)。深夜バスで新宿に来てもらって。その頃は代々木に住んでたから、とりあえずウチに泊まらせて、レコーディングは新宿御苑のバズーカスタジオでやって。

前田:東京に行ったのもほぼ初めてですからね。山本(聡/Gt)なんか「新宿? “警察24時”ですやん!」って言ってましたから(笑)。


ーーそして2000年にシングル『京子ちゃん』でデビュー。

大谷:「京子ちゃん」、神戸ですごく売れたんだよね。B’zに勝ったんだから。

前田:神戸のバンドがCDを出すなんて、ありえないことで。バンド仲間も同級生もお客さんもみんな買ってくれて、1週目は1位だったんです。最初のシングルは他にも候補曲があったんですけど、大谷さんのお母さんの名前が“京子”だったから、それで行こうってことになって。

大谷:(笑)。それはシャレだけど、「青春時代」とか「線香花火」はもう少し後で出したほうがいいと思って。「京子ちゃん」は前田くんが「京子ちゃ〜ん!」って叫ぶところから始まるでしょ? それもわかりやすくていいなと思ったんだよ。そんなバンドは他にいないし、いちばん最初は前田くんの声から始めたいっていうのもあったから。

前田:パンクのレーベルだったら、違う選択をしたでしょうね。

大谷:そうだね。でもさ、デビュー曲なのにギターから始まってもインパクトないでしょ? 「京子ちゃ〜ん!」のほうがわかりやすいし、お客さんも覚えるでしょ。俺、そんなことばっかり考えてんだよ。

前田:ライブもそうかもしれないですね。とりあえず一発かませば、盛り上がったりするので。そういうのが好きだし、性に合ってるんですよ。緻密に準備するというよりも、まずはバン!とぶち上げて、それでどうなるかを見るっていう。

大谷:緻密なことやってもしょうがないでしょ、ガガガSPが。やれば出来るんだろうけど、バンドのキャラクターに合わないというか。

前田:そうですね(笑)。

大谷:ガガガSPはソニーからメジャーデビューするんだけど、プロモーション担当に「ラジオでプロモーションなんてやるな」って言ったの。ライブが圧倒的にカッコいいんだから、それをドキュメントとして取材させればいいと。TBS系の報道番組『NEWS23』に出たときも、筑紫哲也さんにライブハウスに来てもらったからね。パンクバンドはドキュメントなんだよ、やっぱり。その代わりニュースを作らなくちゃいけないけど。

前田:得体の知れないものになりたかったんですよね。たとえばモヒカンにしたら「パンクバンドだな」ってすぐにわかっちゃうじゃないですか。そうじゃなくて「何だろう、この人たちは」という感じのバンドに惹かれたり、自分たちもそうでありたいと思って。

ーー「青春パンク」というカテゴリーもありましたけどね。

前田:青春パンクって、僕の造語なんですよ。

大谷:そう、前田くんが勝手に言ってただけでしょ(笑)。

前田:そのうち雑誌とかでも「青春パンク」って言い出して。それがイヤだった時期もありましたけど、いまはどうでもいいですね。むしろいまだに「青春パンク」って言ってるのはカッコいいかも(笑)。

ーーその後「晩秋」「満月の夕」「はじめて君としゃべった」などが次々とスマッシュヒットを記録。幸先のいいスタートでしたよね。

大谷:パンクバンドだから、すぐに売れないとマズイでしょ。だんだん売れてくるパンクバンドなんていないから。

前田:そうかも(笑)。

大谷:俺が考えていたのは「変わらなきゃいいな」ということだけかな。アルバム3枚目、4枚目くらいになるとちょっと変えようとしがちでしょ? 「同じようなコード進行になっちゃうから、違うことをやってみよう」とか。アーティストはそういうものだけど、似たような曲でもぜんぜんいいと思うんだよ。ガガガSPも途中、ちょっと技巧に走ろうとしたことあって。スタジオに行ったらハモろうとしてるから「やめろ」って言ったんだよ。ハモりは禁止だって。

前田:コーラスは全部ユニゾンにしろって(笑)。

大谷:頭で考えて工夫すると勢いがなくなるし、衝動が冷めるから。伝統芸能でいいんだよ、ガガガSPは。

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