集中連載:90年代ジャパニーズヒップホップの熱狂 第3回
YOU THE ROCK★が語る、90年代ヒップホップの着火点「俺たちが恵まれていたのは、教科書がなかったこと」
「俺たちが本当に恵まれていたのは、教科書がなかったこと」
ーー96年には、メジャーレーベルであるカッティング・エッジから、アルバム『THE SOUNDTRACK’96』をリリースしています。当時のシーンの空気感を詰め込んだ作品でした。
YTR★:たぶん日本で一番最初にソロでアルバムを出したラッパーは俺なんじゃないかな。石田さん(ECD)もソロだけど、メジャーフォースに所属していたから。アンダーグラウンドから出てきた個人では、俺が最初だと思う。最初はシングル1枚という話だったんだけど、いろんなトラックメイカーを集めて、途中で止められない状態にして、ゴリ押しして作った。「Black Monday ’96」なんかは、当時俺が紹介したかったラッパーをどんどん迎えて作った曲で、Macka-ChinとかRINOとか、みんなレコーディングはほとんど初めてだから、何をやっているのかわからないみたいな感じで。みんな、「ユウちゃんのところにいくと飯が食えるらしい」みたいな噂で集まってきて、コンちゃん(Dev Large)は1800円の弁当をいつも2個頼んで持ち帰っていた(笑)。俺も、いただきますとごちそうさまさえ言えれば、それで良いと思っていたよ。
映画音楽好きな俺が、サウンドトラックみたいなイメージで、スキットも「亜熱帯雨林」の楽屋で盗み撮りしたものを使ったりしていた。だから、当時の熱量がパッケージされている。プロ・ツールスも使われていなかった時代だから、レコーディングはすごく時間がかかって、始めた翌日の昼過ぎに「太陽が黄色く見える」なんて言って格好つけていたけれど、それもリアルさにつながっていたんじゃないかな。石田さんにはこのときはラッパーではなくて、お目付役として来てもらった感じ。石田さんとかMaryanはリズムを外すんだけれど、俺くらいの往年のファンになるとそこがたまらないんだよ(笑)。最近のラッパーはみんな上手くて良いんだけど、石田さんたちみたいな味わいがない。当時、俺たちが本当に恵まれていたのは、教科書がなかったことだね。なにもわからなくて手探りでやっていたからこそ、リアルだったし、みんなでヒップホップを盛り上げることができた。
ーーアルバムリリース後には、「さんピンCAMP」が開催されます。当時はECDさんの「MASS 対 CORE feat.YOU THE ROCK★ & TWIGY」に象徴されるように、メジャーシーンへの対抗心があったように見えましたが。
YTR★:m.c.A・Tの「Bomb A Head!」(93年)とか、スチャダラパーと小沢健二の「今夜はブギーバック」(94年)とかが話題になって、日本でもヒップホップに注目が集まりつつあったけれど、B-FRESHやKrush Posseみたいな本格志向でやっている人たちはあまり脚光を浴びていなくて、それが俺には不満だった。こっちは食えないし、バイトで体ボロボロだし、朝方にクラブから帰ってBOSEくんの出ている『ポンキッキーズ』観る生活だったから。だから「証言」ではスチャのことをディスってしまったんだけれど、本音を言えば好きだから気にしているわけで、今となっては言わなければよかったとも思っている。
大体、さんピンCAMPだってavexの仕切りなんだから、よく考えれば内輪揉めみたいなものだよね。ただ、たとえば最近の音楽で、「PERFECT HUMAN」と中田ヤスタカの曲しかなかったら困るじゃない? そういうことを言いたかっただけで、すごくシンプルな下克上スタイルだったんだよ。
それに、俺は次のアルバム『THE★GRAFFITI ROCK ’98』で、スチャのSHINCOくんにトラックを提供してもらって、「ダックロックフィーバー」を作った。それが俺のヒット曲になっているんだから、答えは出ているよね。結局は、持ちつ持たれつの関係なんだよ。ビーフはゲームになるとただの売名行為に成り下がることもあるけれど、うまくシーンを盛り上げられるのなら、それはヒップホップの面白さにつながるんじゃないかな。単なる喧嘩じゃなくてね。きっと空の上にいるコンちゃんもそう思っているはず。
ーー『THE★GRAFFITI ROCK ’98』は、ガラリと雰囲気が変わったアルバムでしたね。
YTR★:さんピンCAMPぐらいからシーンが過熱していって、いつも通りにやっていたことの意味合いが変わっていったんだよ。俺自身もホラーコアには飽きていた時期だったし、だから『THE★GRAFFITI ROCK ’98』では違う方向に舵を切ったんだ。俺は士郎くん(宇多丸)の天邪鬼な感じとはまた違って、芸術的に天邪鬼なんだ(笑)。もともとカルチャーが好きで、アートの解釈としてヒップホップをやっているから。(続きは12月上旬発売予定の『私たちが熱狂した90年代ジャパニーズヒップホップ(仮)』にて)
(取材・構成=編集部)
■書籍情報
『私たちが熱狂した90年代ジャパニーズヒップホップ(仮)』
価格:1,620円
発売:12月上旬予定
単行本(ソフトカバー): 192ページ(予定)
出版社: 辰巳出版
■YOU THE ROCK★
まだ「RAP」や「HOP HOP」という言葉が世間に浸透していない時代1980年代中期から、ソロでの活動はもちろん、DJ BENとのコンビネーションや雷の一員として「CHECK YOUR MIC」「BLACK MONDAY」「SLAM DUNK DISCO」「亜熱帯雨林」「鬼だまり」「雷おこし」など数々の伝説的なアンダーグラウンド・パーティーにてマイクを握る。
1995年からはTOKYO-FMの「HIP HOP NIGHT FLIGHT」のパーソナリティーを3年間務め、現在第一線で活躍している多くのラッパーやDJをフックアップ。1996年にcutting edgeに移籍し、その年の7月7日には日比谷野外音楽堂で行われた「さんぴんキャンプ」に出演。日本のHIP HOPシーンを牽引していくMCの一人として活躍する。2000年には「HIP HOP ROYAL 2000」を本人自ら主催。「さんぴんキャンプ」と同じく日比谷野外音楽堂で行われたこのイベントは、日本のHIP HOPの主要アーティストが派閥を越えて集結し大成功を納めた。同時期からPIZZICATO FIVE、SILVA、藤井フミヤ、鈴木亜美、COCOBATなど、HIP HOP以外のアーティストの作品依頼にも積極的に参加。音楽での異種格闘技でもHIPHOPファン以外のYTR★ユーザーを増やした。 『SSTV』での3番組卒業後は「笑っていいとも」出演を機に民放メディアへの露出が増え、TBS「CDTV-Neo」「U-CDTV」やNHK教育「天才てれびくんMAX」などのTV番組にレギュラー出演。本人の声を各業界に買われTVCMの数々のナレーションをもこなし、その名を不動の物にする。とにかくお客さんを盛り上げる事に定評があり、まさに"OVER THE BORDER"な活動を通して、お茶の間への日本語ラップの普及に貢献する事になる。
日本を代表するラップマシーンとして、今までに合計10枚のアルバムをリリース。そして2013年、ヘッズ待望の新曲は自身も愛用するB-BOYど定番のアイ・ウェアブランド、「カザール」をテーマにしたストリート・アンセム、"CAZAL"をDJ KEN WATANABE & SWAYと満を持して発表。PVも各地で話題をよび、オフィシャルリミックスやビートジャックによる"勝手にリミックス!?"など、全国で社会現象を巻き起こしたのも記憶に新しい。最近では音楽フェスの総合MC、千葉TVの日曜朝の子供番組での司会を毎週こなし、更に渋谷FMでのレギュラー番組出演や、毎週末全国各地を飛び回りながら、様々なパーティーやイベント等ジャンルを超えた超勢力的な活動で、日本のHIP HOPを本当の意味でメジャーにするための努力を続けながら、シーンのイメージアップを念頭に邁進中!
現在は後輩でもありYTR★CREWのL2D《ライセンスド2ILL》のメンバーだった 全裸ROCKとのユニットを結成し、只今リリースに向けレコーディング中! カセットテープでのTJユニットである『THE TAPE BOYS』のセンターMCを務め新しい実験バンドも同時に活動中。自身のウェブSHOPの『CLIP13』のディレクターとしてはアパレルや雑貨を販売中。最近のNEWSでは2014年12月末に原宿にあるセレクトショップ『LURE MAGIC』と『Njc』と合同で新ブランドを立ち上げたばかり。デザイナーとしてもファッション界を引率するファッショニスタとしても活動開始した まさに人生をHIP HOPに捧げた本物の兄貴として、シーンの底上げした張本人。最重要レジェンドとしても唯一無二の存在である。YOU DON'T STOP THE BODY ROCK!