市川哲史『逆襲の〈ヴィジュアル系〉-ヤンキーからオタクに受け継がれたもの-』発売記念 PART.3

LUNA SEAの“ROSIER”はまさに〈VISUAL SHOCK〉だった 市川哲史×藤谷千明〈V系〉対談

〈部活〉としての00年代V系

藤谷:ちょうど当時『Break Out!』という、インディーズ・バンドを取り上げるというお題目ながら実質は、〈V系のためのTV番組〉がオンエアされていたじゃないですか。あの番組の影響って多いと思うんです。だけど市川さんは、以前から否定的ですよね。

市川:アレは志の低ぅーい番組だったよ。青田刈りしたアマチュアV系バンドたちを推してやる見返りに、系列の音楽出版社であるテレ朝ミュージックが「こいつらの原盤権を掌握して儲けるぜ!」みたいな、大人の欲望丸出しだもの。キリトのような〈V系テロリスト〉がキレたのはもちろん、あの温厚なyasuですら「最低の番組です」と全否定してたほどだから(苦笑)。

藤谷:まあいま思えば、露骨な青田刈りだったとは思うんですけど! それでも当時、テレビ朝日系列という全国ネットのV系番組の存在は大きかったんです。少なくとも現在35歳以下のV系ファンは、あの番組を観て育ったと言っても過言ではないですからね。

市川:たしかに地方の少年少女にとっては、アレでも立派な情報源として役に立っただろうね。

藤谷:『CDTV』みたいな邦楽チャート番組にはとても出られない、『SHOXX』の白黒ページにやっと載っているようなバンドの情報に触れることができました。だからあそこでインディーズのリスナーというか、「メジャーだろうがインディーズだろうがV系バンドを聴く」いわゆる〈バンギャル〉層が増えたんだと思いますよ。そして98~99年くらいで、V系ブームがピークを迎えるわけじゃないですか。

市川:97年大晦日のX JAPAN解散→98年5月hide急逝→00年歳末にLUNA SEA終幕。ピークを迎えているのにでもムードは下降線という、変な居心地だったよね。

藤谷:でもその後は世間的に「ブームは終わった」と言われはしたけど、実は水面下でインディーズに流れた子たちがとても多かったと思うんです。だからV系インディーズ自体は、00年代初頭も数字としては地味かもしれませんが、それこそいろんなバンドがいて凄く盛り上がっていたはずなんです!

市川:どーどー。だから言葉として適切かどうかわからないけど、メジャー・シーンではピークが過ぎたV系ではあるけども、良い意味でインディーズという〈避難場所〉に恵まれたわけだ。結果的にね。

藤谷:そうですね。

市川:カットアウトがブームの終焉の常なのだけど、V系はインディーズのおかげで延命できたみたいなね(苦笑)。

藤谷:ブームのためか、当時は良くも悪くも〈お化粧していればV系〉の世界と化してましたから、SIAM SHADEあたりからその傾向はありましたけどSEX MACHINEGUNSはメタルなのにV系と呼ばれたし、ニューウェイヴ的なサウンドのcali≠gariもV系にカテゴライズされましたよね、MUCCやシド(現・SID)は初期は歌謡曲色が強かったですけどそれでもV系ですし、最近復活を発表した――(←過呼吸)。

市川:だからブレス入れなさいって。死ぬよ?

藤谷:ほっといてください。メトロノームというバンドは、世が世なら〈ナゴム系〉と呼ばれてそうなテクノポップだったんですけど、V系の範疇に入ってたりしたんです。他にも特撮ヒーローのような宇宙戦隊NOIZ(現・UCHUSENTAI:NOIZ)や、寺山修司の世界のような犬神サーカス団(現・犬神サアカス團)も人気で――。

市川:私の昭和サブカルチャー脳細胞が懐かしさを憶えるのは、なぜだろう。

藤谷:(また無視)その一方で90年代V直系なナイトメア(現・NIGHTMARE)やアリス九號.(現・A9)も人気だったり、原宿系ファッションに身を包んだバロック(現・BAROQUE)は〈オサレ系(「オシャレ」のネットスラング)〉なんて呼ばれて、シーンを席巻しました。当時の大日本異端芸者ガゼット(現・the GazettE)なんてパンクからニューメタルまで全部ごった煮で、〈いい意味で
脱法建築〉みたいなバンドだったんですよ!(←加速する超早口)。

市川:上手いねどうも(←立川談志風)。まあ、グニュウツールとかBRAINDRIVEとか、SOFT
BALLETまでV系扱いだったもんね(自嘲笑)。

藤谷:とはいえ、ソフバやブレドラはV系を自称してはいなかったでしょ?

市川:そりゃそうだよ。そんなソフバを一言で紹介するならば、〈全くV系アーティストではないにもかかわらず、なぜかV系村の人々およびファンの子たちに愛されてしまった数奇なインダストリアル・テクノ歌謡バンド〉であり、藤井麻輝と私で相談して決めたソフバ所属のジャンル名は《気がつけばV系?》でした。

藤谷:(失笑)で私がさっき挙げたバンドたちが皆《V系》という御旗を掲げて、高田馬場AREAや池袋サイバーといったV系ライヴハウスに出演し、V系ショップにCDを流通させ、V系音専誌に出ていました。もうね、雑な括りと低い敷居によって、本当に何でもありだったんですよ! とにかくロックバンド形態でメイクさえしてればV系、みたいな空気にマーケットが支配されていたので、ドロドロもキラキラもピコピコも皆V系だったんです。

市川:せつないなぁ。でもその末法感もまた、良い意味で日本的ではあるよね。

藤谷:これが、後にゴールデンボンバーを生む土壌に繋がってると思いますよ!(←渾身)。

市川:けれどもなんだね、オールドスクールV系時代に色濃く根づいてたヤンキー性も、事ここに 至っては既に希薄になってた気がするな。さすがに。

藤谷:00年代に入ると、タテ社会が無くなっちゃってましたからね。X JAPANは既に解散。LUNA SEAは終幕してますし、BUCK-TICKは生ける伝説だし、GLAYやラルクといった人気バンドはもう雲の上の人で、その下のバンドたちはバブル以降に淘汰されたのか、スカっと抜けていた気がします。

市川:タテ社会そのものだった《エクスタシーレコード》も、開店休業状態だったし。

藤谷:だから雲の上の人から一気に下がった浮世に、もう有象無象が沢山いるみたいな状態で。その焼け野原に《UNDERCODE》や《PS COMPANY》といった新興のV系レーベルが新しい時代を築いていった、という印象ですね。なのでもはや、タテ社会と言うほどのタテ社会ではなくなっていたと思います。

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