『farewell holiday!』インタビュー
DE DE MOUSEが音楽で表現する“ファンタジー”とは?「その奥にある毒がじわじわ染みこんでいく」
「パンクやテクノが、ビジネスの主流になってしまった」
――ラウンジブームの時は聴き方や取り上げ方にある種の批評性があったわけですが、DE DEさんの場合、そういう斜に構えた批評性みたいなものはあまり感じられないですね。
DE DE MOUSE :ああ、そこはもう、ただ単純に「愛」が強くて(笑)。なんでみんなこんなにいいものを評価しないんだろうっていう。みんなが目を向けないような、でもいいものを取り上げて注目してほしいという気持ちがあります。そこでメインストリームの流行を追いかけるようだと自分らしくなくなる。
――今作には「ディズニーランドで流れているような音楽」という印象もあります。全体の雰囲気がキラキラしていてファンタジックで。そういう意味で私はコーネリアスの『FANTASMA』を思い出したんですよ。あれもディズニーの影響があるアルバムです。意識しましたか。
DE DE MOUSE :意識…はしてないですけど、10代のころ好きでした。『FANTASMA』の2曲目の「THE MICRO DISNEYCAL WORLD TOUR」って曲のストリングスがすごい素敵だな、と学生の時に思ってました。世代的に、ああいうロマンティックなストリングスの質感が欲しいと、みんなサンプリングの方に行くんだけど、僕は自分で作るのがすごく大事だなと思ってたんです。『FANTASMA』も、リズムとか効果音のサンプルが多くて、弦の音は生演奏だったんですよね。その質感が欲しいからそういう音をレコードからとってくるっていうのは芸がなさ過ぎる。だったらサンプリングする対象の音源を自分で作りたい、という。だから根底にあるのは、<音楽>をやりたい、という欲求なんですよ。自分が<音楽家>になりたいという。そもそも35歳を過ぎたらオーケストラを引き連れたような<音楽>を作れるようになりたいという人生設計があったんです。ふと気づけば37歳になって、そういう年齢を過ぎてしまっていたわけで、そろそろやらなきゃ、というのもありました。
――テクノ系のミュージシャンは楽器ができない人も多いですが、DE DEさんは楽器ができたほうがいいし、スコアが書けて、伝統的な<音楽>として成り立つようなものを作りたいという希望はあったわけですか。
DE DE MOUSE :たとえば1990年初期にオービタルが「Chime」ってヒットを出して、そのへんからレイヴとかテクノみたいなダンス・ミュージックがヒット・チャートに入ってくるわけですよ。それは、大きなヒットを出すためには高いスタジオで、良いエンジニアを使って作らなきゃいけない、というそれまでの常識に対するアンチテーゼでもあったと思うんです。中古楽器屋で買ってきた、当時は誰も見向きもしなかったアナログ・シンセやリズム・マシーンを使って自分の部屋で作ったようなものがヒットした、というのは、最高にパンクだと思うし。ところが90年代以降は、パンク・スピリッツだったはずのダンス・ミュージックとか、アカデミックやヒットチャートなものに対するアンチテーゼだったパンクやテクノが、ビジネスの主流になってしまったわけです。そういう流れを見ていると、むしろアカデミックであることが今やかっこよくないか、っていう。
――ああ、逆にね。
DE DE MOUSE :「楽譜が読めるって最高にクールじゃない?」っていう(笑)。そんなもの読めなくても、パソコンの画面でちょっと操作すれば、誰でも音楽が作れる。誰でもできる、というのは70年代や80年代においては本当に素晴らしいことだった。でも今や誰でも作れるような音楽が主流になってしまったからこそ、誰にでも作れるわけではない<音楽>ってすげえかっこいいなと。しかもそれを楽譜に起こせれば再現性もあるわけです。楽譜に置き換えて誰かが演奏してもそれは自分の音楽になる。自分が死んだあとも誰かが演奏してくれるって、すごく素敵だと思うんです。そういうものをやりたいという欲求が、ここ2~3年ですごい膨らんでいたから、一度それを満たしてあげたいと思ったんです。
――なるほどねえ。
DE DE MOUSE :僕は人と同じことはやりたくない。自分にしかできない音楽を作りたい。自分が感動したものを自分の音に置き換えて、それをみんなに伝えたい。それをやるのにはアルバムが一番だった。攻めた作品だからこれで離れていく人もいるかもしれないけど、自分が先に進むためにどうしても必要だったし、どうしてもみんなに見せたい世界だったから。
――その見せたい世界が、DE DE MOUSEの描くファンタジーというわけですね。音楽家であるDE DEさんにとってのファンタジーとは何でしょうか。
DE DE MOUSE :僕にとってファンタジーはすごく必要なものですね。今作の音楽はカウンター・ミュージックなんだけど、自分の反骨精神をそのままリスナーに見せるのはあまりスマートじゃない。なのでそこにはファンタジーが絶対必要だし、耳触りがいいからこそ、その奥にある毒がじわじわ染みこんでいくと思うから。そこまで浸透させたい。
――なるほど。
DE DE MOUSE :でも地に足の着いてないファンタジーは好きじゃない。表面だけをきれいに作って、あとに残るものが何もないもの。生活者としてのリアリティがなく、考えさせるものがないもの。そういうファンタジーはつまらない。アニメであっても、この人たちは生きて存在して、どこかに生活してるんじゃないかと思わせるような、そんな作品が好きなんです。
――日常は平凡だけど、それを表現として作品にすると非日常になる、と言いますね。そういう意味でどんな題材・表現であれファンタジーになりうるのかもしれません。
DE DE MOUSE :そういう作品は好きですね。自分がアルバムを作る時に必ずストーリーを作るんですよ。ファンタジーは東京の郊外の町並みをベースにして想像する。僕はいつも自分の頭の中にある風景の描写を音にしているんです。
――音の背後にある景色や物語を感じ取ってほしいと。
DE DE MOUSE :僕はエイフェックス・ツインが好きなんですけど、あの人の作るシンセのふわ~っというパッドの音を聴くと、イギリスの田舎の海際の荒涼とした景色が見えてくる。僕、20代の時に音楽が作れなくなって、自分のルーツを探しに実家(群馬県)に帰ったことがあったんです。自分の実家の前には県道があって、いつもダンプとか走ってるし、後ろは畑や山が広がっていて、まさにザ・田舎って感じのところで。それを見た時に、エイフェックス・ツインとタメを張るようなアーティストになりたいと思ってきたけど、「こんなとこに生まれ育った自分じゃ無理だ!」と思って(笑)。こんなとこでエイフェックスみたいな荒涼とした景色の音を出すのは無理だと。でもこういう箱庭みたいな田舎で育った自分にしかできない音があるはずだから、それを探そうと思ったんです。
――なるほど。
DE DE MOUSE :そうしたらその後、東京の多摩の町並みにすごい惚れ込んでしまったんです。それも自分の子供の頃の記憶が密接に関わってくる。『おしいれのぼうけん』という絵本があるんですけど、その一場面がすごく印象に残ってるんです。誰もいない、クルマも通っていない高速道路みたいな道の向こうに、都会の町並みが描いてある。子供のころにそれを見て、この町に行ってみたいとすごく思ったんですね。ここに行ったら誰もいないから、デパートに行って好きなおもちゃもなんでも取り放題だし、いいなあと。多摩に行った時に、なぜかその『おしいれのぼうけん』の都会の風景が浮かんできたんです。多摩の町並みって区画整理もされて、すごくきれいなんだけど、人の気配があまりないんですよ。寂しくて、どこか荒涼としていて、廃墟っぽさがすごくあって。これ『おしいれのぼうけん』の世界だなと。なので非現実の世界に自分が足を踏み込んだ妄想を膨らませながら、夜の多摩の町を歩いたりしてるんです。この多摩の町に見合う音楽を作りたいというのが、DE DE MOUSEのプロジェクトの始まりだったんですね。
――なるほど。そうなんですね。
DE DE MOUSE :それまではわりとハードコアで無機質で機能的な音楽を作ってたんです。でも多摩の町を歩くときはユーミンだったりキリンジだったりをいつも聴いてたんですね。だったら自分で作る音楽も、この町を歩きながら気持ち良く聴ける音楽にしようと考えて。そこからメロディみたいなものを強く押し出すようになってきて。
――BOØWYやBUCK-TICKを生んだ土地(群馬県)からは、DE DE MOUSEみたいな音楽は出にくいかもしれませんね(笑)
DE DE MOUSE :ははははは! 群馬にいたら無理ですね。僕の地元の同級生で音楽やってる奴はみんなBOØWYやBUCK-TICKが好きで、みんなヴィジュアル系に行ったりしてましたから(笑)。バンドは組みたかったけど理解者がいなくて、仕方なく一人で作るようになったら、「一人で作るってなんてラクなんだ!」となって、今に至るという。