メロキュア特集Part.2:『メロディック・スーパー・ハード・キュア』を語り尽くす
メロキュア・日向めぐみ × クラムボン・ミト対談 ミト「むせ返るスウィート感に音楽的な強さ感じた」
メロキュアのむせ返るスウィート感
――メロキュアが登場したときの、ミトさんの印象というか感触ってどういうものだったんですか。
ミト:これはよく言っていることなんですけど、2000年代前半って、世の中からメロディがどんどん消え始めた時期なんですね、音楽的なアプローチやテクスチャーも、ポストロック的だったり、エレクトロニカ的だったり、ジャムぽかったり。それに対してメロの比重がすごく軽くなっていっているのをまざまざと感じていて。究極的だったのは、ビョークが『メダラ』(04年)を出したときで、「何かこれ、俺、ぜんぜん面白いと思えない」と。
そういう風潮になると、私もやっぱりちょっと天邪鬼なところがあるのか、何か“そうじゃないもの”が聴きたくなってくるわけです。まあ、反動ですよね。そのときにちょうど出たのがメロキュアの『メロディック・ハード・キュア』だった。最初に聴いたとき、ともかくむせ返るくらいのスウィート感が襲ってきて。
――むせ返る(笑)。
ミト:むせ返るスウィート感だと思うんですけど、エレクトロニカやポストロックではまったく感じることのできない音楽的な強さや新鮮さを呼び起こしてくれた。
似た印象では、2002年にアンセブ(UNDER17)が結成されて。あそこらへんの人たちもやっぱりメロのアプローチがすごく強かったんですね。
とにかく、逃げようのない太いメロがしっかりある。「何か俺、こっちに流れていっている気がする」というのは漠然と考えてはいたんですね。もちろん洋楽テクスチャーを否定するわけじゃないんですよ。そうじゃないんですけど、メロキュアって、名前どおり(笑)「メロディアスな荒療治(メロディック・ハード・キュア)」で、そこに特に引っ張られた面はあったかもしれないなと。
こと律子さんのメロって、声だけ聴いている分にはすごく耳当たりが柔らかいんですけど、口を開き切っていないときからメロが出ているような感じなんですよ。もう逃げようのないメロディの固まりが、柔らかい口元からボンと出てきているみたいな。
――難しい表現ですね……。
ミト:そうですね(笑)。とにかくその、ストレートに当たってくる太さみたいな感触と、倍音を強く感じさせるメロディラインが、ものすごく実の詰まった感じに聴こえていたんでしょうね。楽曲の面でも、megさんの曲と、律子さんの曲が交互に並んでいることが、そういう感じをより色濃く出してくれていて。
――作っている側としては、メロディを強く打ち出していこうとか、そういうことは意識していたんですか?
日向:意識というのであれば、メロキュアに限らず、自分の楽曲全部において、メロディアスでありたいとは思っています。単純にもう自分の好みでもあるんですけど。
ポップであること、メロディアスであることというのは基本スタンスで、自分はやっぱりそういう曲を歌いたいと思っているし、書きたいと思っているので、どうしても絶対的なものとしてあって……。
ミト:ただ、2003、4年あたりのあの流れでいうと、もう世界はおろか、JポップもJロックもそこから離れていったんですよね、一瞬にして。まるでベクトルの向きが変わったように。そのときメロキュアは、本当に独自の場所に、どこの属性からも離れて存在していた。それはアンセブもそうなんですけど、Aポップ、アキバポップという名称に動じぬ強さというか。
それから、2000年前後というのは、作曲家といった人たちが表に出なくなった時期でもある気がするんですね。90年代のビーイングとか、ああいう……。
――制作集団の時代。
ミト:そうそう。あのあたりから、9・11以降くらいだと思うんですけど、ちょっと何か、メディアも含め作曲家たちがそういう方向へ引っ張られた部分みたいなのもあったんですね。
ただ、何でも金かけりゃメロディックになるわけではなくて、もっと別の発想がすごくいっぱいあるはずなのになと思っていたときに、その方向に漫然と振り切って作っているような印象を、メロキュアに感じたんですよ。アニメシーンの作家には特にそういう人たちが多いなと漠然と考えていたんですけど…というかここまで話をまとめて総括できるようになるには何年もかかった。
――僕はアニメに疎くて、『メロディック・ハード・キュア』もそもそもアニソンとして聴いていなかったんですよね。
ミト:おお、「として」聴いていなかった?
――単純に音楽としてしか聴いていなかった。だからちょっとはアニメも観ておかなくちゃいけないだろうと今回少し観まして、「ああ、ここでこういうふうに鳴っていたのか」と感慨をあらたにしたりして。
ミト:ああ、ですよね、ですよね。「Agapē」とかは本当、第1話で最初に流れたときには「ああ、すごくいい曲だな」というくらいの印象だったのが、後半になると「これは何か、この曲によってストーリーが改編されたのではないか」というくらい、楽曲とアニメが密接になっていくわけです。歌がそこまでストーリーに密接に関わってくるのって、自分の最上級で『マクロス』くらい? でも、それがよりカジュアルに、もっともっと密接に引っ張られていた感じがありましたね。
――『マクロス』と言えば、クラムボンで「星間飛行」のカヴァーをされてましたね(松本隆作詞生活45周年トリビュート『風街であひませう』)。
ミト:それで思い出しましたけど、僕、「Agapē」を最初に聴いたとき、すげえ『マクロス』感を覚えたんですよ。曲の展開なのか、サビの部分とかが、すげえ菅野(よう子)さんメロディっぽく聴こえていた時代があったんです、一時期。秋葉原MOGRAかどこかのアニクラのイベントに行ったときに、「Agapē」のリミックスがかかっていたんですね。でも、そのリミックスとはまったく別に、自分の中では『マクロスF』の映像が出てきたんですよ。なぜかランカ・リーとシェリルがいるイメージになっちゃっていて、「あれ、「Agapē」が戦隊ものみたいに聞こえちゃってるけど、大丈夫か?」みたいな(笑)。
日向:それ、今回のリミックスのT/D(トラックダウン)のときにずっとおっしゃってましたよね。「「Agapē」が戦隊ものに聞こえる」って(笑)。
――それはちょっと、ミトさん以外にはわからないかもしれない(笑)。
ミト:書けば誰かはわかりますよ! ほとんどの人はわかります。もうとりあえず盲目的に書いて出してもらったら、絶対わかる人がいますから。
――じゃ、書きましょう(笑)。
ミト:そういう想像力だったり何だったりがずっと変わらないであるというのは、このアルバムの強さですよね。それはやっぱりアニメのための音楽だから、聴き直して別の角度からも思い出したりできるということもあるし。そういった意味では、すごくやっぱり特殊ですよ、このアルバムは。しかもそれが、二人のアーティストのユニットによるアルバムの楽曲ということがね。
――おまけにぜんぜん個性の違う二人だという。
ミト:そう。メロキュアには、律子さんとmegさんが溶け合っている部分が何かしらあるものだというイメージが、megさん本人の中にはあったらしいんですけど、客観的な僕の意見、一ファンから見ると、混ざったイメージはほとんどないんです(笑)。
むしろもう入り乱れているというか、混濁感みたいな何かデコボコしている感じというのか。しかもコーラスでさらに不思議な滲み方をするわけですよ。それがすごく、何と言ったらいいのかな、ただ美しいとかそういうことだけじゃないというのが、僕には衝撃的だった。
でも、めちゃ不思議なのは、それでいて、たまに律子さんとmegさんの声が一緒になって聴こえる瞬間があったりする。さっきまで分かれていたのに、なぜ突然ビュッと滲んでいるのか、みたいな瞬間が。
日向:ありますね。