成馬零一「テレビドラマが奏でる音楽」第4回

ドラマ『She』が描く“断片化した現実”とは? [Alexandros]の劇伴から考察

 また、ドラマの冒頭とエンディングは松岡茉優のモノローグで締められるのだが、twitterにつぶやく場面が放送されると、存在するtwitterアカウントR N (@r_april_15)にリアルタイムで呟かれるというのは、ドラマと現実がリンクしているようで面白い。

 この、過剰な情報によって断片化している現実を描こうとするスタンスは、劇伴でも徹底されている。

 劇伴には4人組ロックバンド[Alexandoros]の楽曲が使われている。英語と日本語が同じベクトルで発音される歌詞にギターのリフがかぶさる楽曲が印象的だが、『She』では彼らが過去に発表したアルバムの曲が劇伴として使用されている。

 その使われ方はユニークで、 ギターのリフが小さな音で流れてきて、いよいよ盛り上がる場面になった瞬間、音がぶつ切れとなってシーン転換ということが何度も繰り替えされるのだ。エンディングテーマの入り方も唐突で、スタッフクレジットを一枚絵で表示して一気に終る。

 この見せ方自体は、企画の太田大が過去に担当した『テラスハウス』ですでに、おこなわれていたものだが、このぶつ切り感の連鎖こそが、無数の情報が飛び交いながらも、一向に交差しないまま、状況だけが加速していく本作の現状を表している。

 だから見ていて印象に残るのは、劇伴がぶつ切りになった瞬間の場面転換であり、本編の大半を占めている緊張感のある無音の場面である。

 この断片的な劇伴の使い方自体、本作が物語であることを拒絶しているかのように見える。

 今のテレビドラマや映画では若者向け作品は少ないが、学校を舞台にした作品はいまだ大人気である。しかし、それらの多くは中高年向けに作られたものだ。

 映画『桐島、部活やめるってよ』にしても、ドラマ『鈴木先生』にしても、映像作品としての完成度は認めるものの、大人が過去の自分に向けて作っているように見えてしまう。 

 ワイドショー的な現実だけをつなぎ合わせて、子どもたちを冷たく突き放した映画『告白』にしても、あまりに極端すぎて、当の10代にとっては他人事だろう。

 もしも、それらの作品にリアルな高校生たちの感触があるとすれば、当の生徒たちを演じている若い役者たちの肉体だけだ。

 だからこそ、本作は松岡茉優にカメラを持たせたのだろう。

 もちろん、そういった試みですら、モキュメンタリー的な偽装にすぎないのだが。

 断片的な映像と音楽によって、あらゆる語り部を拒絶する『She』が、断片の統合へと向かうのか、断片化された現実それ自体を若者たちの物語として打ち出すのか、今後の行方を見守りたい。

■成馬零一
76年生まれ。ライター、ドラマ評論家。ドラマ評を中心に雑誌、ウェブ等で幅広く執筆。単著に『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)がある。

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