『長渕剛 HALL TOUR 2015 ‘ROAD TO FUJI’』ライブレポート

長渕剛のライブには何が込められているのか 富士山麓「10万人オールナイト」への前哨戦レポ

 

 ふと、会場を見渡すと、何千人ものオーディエンスが一心不乱に拳を突き上げて歌っている。この光景が好きだ。楽しそうに、苦しそうに、それぞれの思いを噛みしめ、大勢の心の叫びがひとつの情景を作りだしていく。ステージ袖や、照明、PAブースに目をやっても、無表情で腕組みしたようなスタッフは一人もおらず、みんな拳を上げている。傍から見れば少し異様にも見える空間なのかもしれない。だが、歌が、音楽が、何千何万の思いを一つにしていくーーそれが、長渕剛のライブなのである。

 今、長渕は前人未到の山に登ろうとしている。今年8月22日に行われる〈10万人オールナイト・ライヴ 2015 in 富士山麓〉だ。そこへ向かっていく前哨戦が、3月7日の市原市民会館を皮切りに始まった〈HALL TOUR 2015 ‘ROAD TO FUJI’〉であり、この日、3月30日の東京国際フォーラム公演は、ツアーの折返しにあたる。

 開演時刻を待ちきれずに巻き起こる「ツヨシ!」コール。場内アナウンスが終わると、その声は一段と大きくなり、バンドメンバーが登場する。赤、橙、紫…… 客席を照らす印象的なライティングと、コンサートにしては少し明るめにされたステージ照明も長渕ライブの特徴だ。弾き出されるバンドのビートに合わせて突き上げられる5000人の拳。その光景を見渡し、しっかり受け止めるようにステージ中央に立つ、長渕。会場の熱気が最高潮に達するのを確認すると、手にした真っ黒のギブソンJ-45をかき鳴らし、歌い始める。大きくアレンジされた「とんぼ」だ。

 イントロが始まっても、歌い出すまで何の歌だか解らない。ときにメロディーまでも変えてしまう。ファンにとっては、原曲のまま聴きたい気持ちもあるのだが、それを承知で揺さぶりをかけてくるのが、長渕剛というアーティストの魅力でもある。自分で書いた歌なのに、時として自分を苦しめることになる。長渕の音楽人生を追っていて、そうした場面を何度も目の当たりにしてきた。「歌とは生き物である」そんなことを考える。デビュー当時の澄み切った歌声が、野太い叫びに変化したように、歌もまたその時代における存在意義を変えてきたのである。

 

 長渕のライブに予定調和はない。「長渕剛のコンサートには、ファンとの間で“競技・闘い”が介在している」(参考記事:長渕剛が語る、命がけで表現するということ「本気でかかってくる者には、逃げるか、行くかしかない」)というように、それはオーディエンス、ファンとともに作り上げるものであり、決して一方的に聴かせる、見せるものではない。客席からの熱を受け、それが足りなければ求めていくのが長渕だ。ステージ上にいるバンドメンバーにさえ、「もっと来い」と煽るようなまなざしを送る、まさに命懸けの闘いといえよう。そんなオーディエンスの声とバンドの音を身体に感じながら、このリアルな闘いは進んで行く。楽曲の尺などあってないようなものだ。「コール・アンド・レスポンス」と呼べるような目に見えるやりとりではなく、会場に立ちこめるテンションと空気によって求められる“そのときの歌”が歌われるのである。ただ譜面通りに進んで行くバンドでは成立しないスタイルだ。

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