J−POPの歌詞は本当に劣化したのか? 磯部涼×中矢俊一郎が新たな価値を問う

磯部「湘南乃風も泣かせる歌をつくっているものの、それは、単なる“しのぎ”ではなく、“ほんき”でもあると思う」

中矢:そういえば、『新しい音楽とことば』の校了後、〈パシフィコ横浜〉で行われた湘南乃風のメンバー=HAN-KUNのソロ・ライヴに伺ったんですけど、マイルドヤンキーがメインといえる客層で、まるで郊外の巨大ショッピングモールにいるような感覚になりました。しかも、小学校低学年くらいの子連れ客も多かった。それは、湘南乃風の大出世曲「純恋歌」が2006年の発表後に結婚式の定番ソングになったことと関係しているのかもしれません。また、年末には〈さいたまスーパーアリーナ〉であった湘南乃風のライヴに磯部さんと行きましたが、やはり会場は似たような客層と雰囲気でした。

 今回の本の中で、その「純恋歌」について若旦那さんに深く訊いたところ、若者だった自分たちの生活を描写することで時代を切り取ろうとしたラヴ・ソングだと言っていましたよね。「大親友の彼女の連れ/おいしいパスタ作ったお前」とか「パチンコ屋逃げ込み/時間つぶして気持ち落ち着かせて/景品の化粧品持って 謝りに行こう」といったラインがあるあの曲は、ネット上で“DQNソング”などとネタにもされてきましたが、マイルド・ヤンキーという用語が登場するはるか前に、彼はそう括られる若者がリアルだと思えるよう、極めて戦略的に一語一語を身のまわりから探し出し、歌にしていった。そして見事、大ヒットした。つまり「純恋歌」の歌詞は、ある種の私小説性も備えていると同時に、マーケター的な視点によって書かれたものとも言えますよね。

磯部:「純恋歌」の若旦那のヴァースに出てくる“大貧民”はトランプのゲームで、全国的には“大富豪”と呼ばれているけど、地元では“大貧民”だったので、歌で使うのもその単語でなければいけなかったとか、“パスタ”に関しても、仲間内でイタリアン・レストランのことを“パスタ屋”と呼んでいたので、“スパゲッティ”ではなく“パスタ”でなければいけなかったとか、ローカリズムにこだわりつつ、アンダーグラウンドで生きてきた自分の経験を基に集団暴行のことを歌っても共感してくれる人は少ないだろうからラヴ・ソングをつくった……と言っていたよね。「ポップスに恋愛の歌が多いのは、万人がいちばん引っかかるからなんですよね。どんなヤクザの親分だって、どんな真面目なサラリーマンだって、キュンとするポイントが一緒だったりするでしょう。だから、ラヴ・ソングはヒットしやすい」と。

 “マイルド・ヤンキー”というマーケティング用語についてどう思うか? という質問も、怒られるかなと思って恐る恐る訊いたんだけど、返ってきたのは意外にも「マイルドヤンキーみたいな層に目がけて曲をつくってきたようなところはありますね」「俺たちのターゲットは、仲間意識が強くて、純粋で、でもちょっとおバカさん、みたいな人たちなんですよ。みんなでワイワイするのが好きで、“ここに一生ずっとみんなでいられたら俺らは幸せだよな”って言ってるような。そこで鳴らす音楽は、湘南乃風がピッタリだって思う」というまさにマーケター的な答えだった。

 ちなみに、『ヤンキー文化論序説』(河出書房新社、09年)に収録された「ヤンキー音楽の系譜」という論考で、近田春夫が「ヤンキーにとって、音楽は目的というよりむしろ手段であることが、結果的にみて多い…平ったくいえば、それは表現である前にまずビジネス(しのぎ)なのだ」と定義した上で、「いま(商売としての)音楽を取り巻く事情も加速度的に厳しさを増している。そんな中でヤンキー達はどう音楽と向き合ってゆくのか? ひとつだけ言えることがあるとするなら、彼らはますます安あがりに“感動”させることにスキルを特化させていくに違いない…泣かせる歌を作ることにそれこそ血道をあげることだろう。売れるのはそこだからだ」と予測していて、示唆に富んだ指摘だと思うけど、些かドライすぎる感じもするんだよね。だって、確かに、湘南乃風も泣かせる歌をつくっているものの、それは、単なる“しのぎ”ではなく、“ほんき”でもあると思うんだ。例えば、若旦那さんはこんなことも言っていた。

●…俺が東京でそういう(引用者注:湘南乃風のような)歌に出会ってたら、もっとまっすぐな人間になれた気がするんです。「喧嘩は大人からしたら犯罪だけど、お前は仲間を守るためにやったんだろ?」とか、そうやって少しでも自分を肯定してくれる歌があったら、俺はもうちょっとマシな方向に進んだんじゃないかと思ってて。でも、あの頃(引用者注:若旦那の青春時代)の東京の不良にはそれがなかった。ホントにヤクザみたいな世界で、昨日まで友達だったヤツらにいきなりリンチされたり。そういう生活を振り返ったときに、不良の規範となるような音楽があればいいのにと思って、湘南乃風でそれを体現しようとしたんですよ。だからこそ、マイルドヤンキーの子たちにウケたんでしょうね。
(磯部涼・編『新しい音楽とことば~13人の音楽家が語る作詞術と歌詞論』、P342)

 単行本にそのやり取りは収録されていないけど、この後、僕が「それって“キャッチャー・イン・ザ・ライ”ですね!」と言ったら、若旦那さんが「その小説は知らない。ただ、まさにそういうことがやりたいんです」と頷いていたのも印象的だった。00年代以降のJ-POPにおいて、“テンプレ”化と共に、“泣ける曲”や“アガる曲”みたいに楽曲の用途がはっきりとした“サプリメント”化が進んだという批判もあるよね。でも、湘南乃風はそれを承知の上で、自分たちの音楽や自分たちのライヴを不良の子たちのためのセーフティネットとして機能させようとしているんだと思う。年末に行われた〈さいたまスーパーアリーナ〉のライヴでもヤンチャそうな子たちがここぞとばかりに楽しんでいたし、若旦那さんもステージからフロアに対して「みんなおつかれさま。1年、頑張ったな」って繰り返し声をかけていた。その熱さを小馬鹿にするのは簡単だけど、日本ではアンダーグラウンドなヒップホップやダンス・ホールレゲエのシーンがコミュニティとして上手く機能していない現状にあって、湘南乃風はそれを一手に引き受けているようにも感じたな。

中矢:若旦那さんとターゲット層がまったく違いますが、やはり『新しい音楽とことば』に参加して頂いたじんさんも同じようなことを試みているのかもしれないですね。「ボーカロイドは歌でフィクションをやろうとしたときに、生ぐささをなくして他人に伝えられる絶好の機械だと思ったんですよ。カゲロウプロジェクトは僕個人が描かれた物語だとは思ってもらいたくなくて」などと冷静に語る一方、「僕は小さい頃、しゃべれるようになるのが普通の人より遅くて、勉強もできなくて……」「僕はバックホーンに救われましたから。歌詞カードを読みながら聴いて『カッコいい』と思って涙を流していました」「あの頃の僕みたいに、『ひとりぼっちだ』と思っている人を変えていけたらいいなと思って(自分の音楽を)つくっている」といったエモい発言もしていたのが印象的で。

磯部:そこで、湘南乃風とじんがつながるのが面白いよね。あるいは、じんさんと、『新しい音楽とことば』にも参加してくれた高城晶平のグループ、ceroを比較してみるとする。後者は、佐々木敦が『ニッポンの音楽』(講談社現代新書、14年)で取り上げたようなリスナー型ミュージシャンでもあるので、いわゆる音楽ファンはコンテクストがわかりやすいと思う。一方、前者はそういう人たちからは音楽的に面白くないなどと批判されがちで。でも、両者を歌詞という観点から捉え直してみると、物語性という点でつながっている。ここで、最初の問いに戻ると、本書の制作を通して見えてきた、“新しさ”とは何か? それは、結局のところそれぞれだというつまらない答えしか言えないんだけど、“メルト”化や“サプリメント”化といった批判に対する反論だったり、“ポスト・ラップ”や“物語”といったテーマだったりをキーワードにすることによって、共通点も見えてくるんじゃないかな。ただ、それは、「最近のJ-POPの歌詞、翼広げすぎ」とひと括りで片付けられるような単純なものでもない。

中矢:私としては“新しい音楽とことば“がそのように単純じゃないことをヴィジュアル面でも表わそうと思って、江森丈晃さんに今回の本をデザインしていただきましたが、磯部さんとしては例えばこの表紙から読者のみなさんに何か感じ取ってほしいことはありますか?

磯部:表紙の模様はよく見ると鉛筆だということがわかると思うんだけど、それが未使用のままずらっと並んでいるというのは、これからこの鉛筆たちが新しい歌詞を生み出すのかもしれないし、もはや歌詞を書くのに鉛筆を使う時代ではないので、墓場のようなものだと言えるのかもしれない。ちなみに、この大量の鉛筆は、江森くんがアメリカで安く買ってきたアウトレットなんだよね。それを“和”のテイストが出るような配置で並べている。そこから、アメリカと日本の関係という、日本のポピュラ―音楽における重要なテーマを読み取る人もいるだろうね。あるいは、この本に栞紐が2本付いているのは、繰り返し言っているように、参加している様々なタイプのアーティストのリンクするところを探してほしいということでもある。そんなメッセージを意識しながら読むと、より楽しんでもらえるんじゃないかと思います。

■磯部 涼(いそべ・りょう)
音楽ライター。78年生まれ。編著に風営法とクラブの問題を扱った『踊ってはいけない国、日本』『踊ってはいけない国で、踊り続けるために』(共に河出書房新社)がある。4月25日に九龍ジョーとの共著『遊びつかれた朝に――10年代インディ・ミュージックをめぐる対話』(Pヴァイン)を刊行。

■中矢俊一郎(なかや・しゅんいちろう)
1982年、名古屋生まれ。「スタジオ・ボイス」編集部を経て、現在はフリーの編集者/ライターとして「TRANSIT」「サイゾー」などの媒体で暗躍。音楽のみならず、ポップ・カルチャー、ユース・カルチャー全般を取材対象としています。編著『HOSONO百景』(細野晴臣著/河出書房新社)が発売中。余談ですが、ミツメというバンドに実弟がいます。

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