TRICERATOPS和田唱×GRAPEVINE田中和将 特別対談

トライセラ和田×バイン田中が語る、ロックバンドの美学(前編)「お互い違う場所で切磋琢磨してきた」

 

 ともに97年デビュー、変わり続ける音楽シーンの中で独自のスタンスを守りながらサヴァイブを続けてきたTRICERATOPSとGRAPEVINE。デビュー当時はライバルと目されたこともあったが、いまや互いに認め合う関係となった両バンドのフロントマン、和田唱と田中和将の特別対談が実現した。

 TRICERATOPSは『SONGS FOR THE STARLIGHTS』(12月10日リリース)、GRAPEVINEは『Burning Tree』(1月28日リリース)と、新たな環境での新作を作り上げた両者。前編となる今回は、お互いの出会いやルーツから音楽シーンの変化、そしてバンドを続けてきた原動力を語ってもらった。

「(GRAPEVINEは)自分たちに近い人たちなのかなって印象があったな」(和田)

――お二人が最初に出会ったのって、いつ頃のことですか?

田中和将(以下、田中):たしかデビュー前だったよね?

和田唱(以下、和田):そうそう。当時の『R&R NEWSMAKER』という雑誌が主催してた「BRAVO Night !」というイベントで、一年以上にわたって一緒にライブしてた。

田中:たしか7~8バンドくらいいて、東名阪を何度も回るようなサーキットイベントで。

和田:基本的にいつも一緒だったのが僕らとDragon Ashと――。

田中:あとは、ZEPPET STORE、the PeteBest、スキップカウズ、PLECTRUMだったかな。それが最初でしたね。

――その頃、お互いはどう意識してました?

田中:今でもそうやけど、僕らはもともと社交性も少ないし、音楽性も、キャラクター的にも媚びてなかったんですよね。だから「俺らはあんな風には客に媚びひんぞ!」みたいに思ってた。

和田 あははは! そうなんだ!

田中:その頃はまだ若いですしね。今思えば、若気の至りで尖がってた。

和田:たしかに当時のバンドはサービス精神を持った人が多かったですからね。俺らもどうやったらアピールできるんだろう、どうすればお客さんを掴むことができるんだろうって努力してたタイプだし。ただ、Dragon Ashはちょっと人種が違うと思ったな。俺、初対面で睨まれましたからね、kjに(笑)。

田中:でも、やっぱり彼らは抜きん出てたよね。

和田:そうだね。で、GRAPEVINEは確かに媚びない感じだったし、マーヴィン・ゲイの名曲をバンド名にしていた時点で、自分たちに近い人たちなのかなって印象があったな。

――田中さんからトライセラはどう見えていたんでしょう?

田中:トライセラはすごくナチュラルな感じだった気がしますね。自然に3人が曲を作ってバンドを楽しんでるスタンスに見えた。やっぱり、新人ばっかり集めてるイベントだから、みんな「どっか抜きん出てやろう」ってガツガツ、ギラギラしてたんですよ。それでパフォーマンスも過剰になっていたんだと思う。僕はそういうノリは嫌いやなと思ってましたけど(笑)。

――ちなみに、お二人にとって97〜98年の頃のJ-POPや日本のロックシーンはどういう風に見えていたんでしょう?

和田:ヴィジュアル系が多かったイメージがあるな。で、当時は雑誌でよく言ってたんですよ。「みんな衣装を着すぎだ!」って。

田中:ははは!

和田:俺らは普段着姿でステージに出てたし、みんな私服でステージ上がればいいじゃんって思ってた。バインもそうだったし。俺らぐらいからじゃない? 普段着姿のロックバンドが普通になってきたのって。

田中:それは俺も後から知った感じやな。俺らはTシャツ系ロックとか言われてた(笑)。

和田:ははは! そうそう! スニーカー系とか(笑)。

田中:そういう感じでカテゴライズされてたんですよ。それは世界的にも97年がグランジとかマンチェ以降の時代だから、世代的にそういう流れがあったっていうのもあると思うんです。で、ヴィジュアル系っていうのは日本独特の文化やから、あれはあれで独自のガラパゴス的な発展をしてきた。それだけの話やと思います。

――それ以前、90年代前半にはバンドブームがありましたよね。そことも世代感は違う。

田中:そうですね。バンドブームが一番熱かったのは中3から高2ぐらいまでかな。

和田:そのぐらいの時って日本のバンドの人たちに影響された?

田中:されたよ。正直こういう性格なので、表だってやってる感じの人たちは正直チャラいなって思ってたのよ。だからBO GUMBOSとかRED WARRIORSとか、そういうのが好きでしたね。

和田:俺は日本のバンドは疎かったんだよね。やっぱりビートルズとストーンズが大好きで。だからクラスの子たちと話が合わない。

田中:早熟だったんやろね。

和田:そうでしょ? だからバンドブームは全然通ってきてなかった。

田中:僕も始めたきっかけはまったく無関係で。RCサクセションを中学2年生ぐらいの頃に聴いてギターを始めたんですよ。そこからしばらくしてから、世間はバンドブームだということに気付きはじめた。だからやっぱり友達とは話が合わなくて。唱くんはビートルズとかストーンズをどうやって知ったの?

和田:僕は最初にマイケル・ジャクソンがあったんですよ。とにかく、小学生の時はマイケル一色だったわけ。その後マイケルが『スリラー』の「ガール・イズ・マイン」っていう曲でポール・マッカートニーとデュエットしてたんです。当時は「なんだ、このおっさん」みたいに思ってたんだけど、その後親父に聞いたりいろいろ調べてるうちに「こういうすごい人たちがいたんだ」と知って。あと、ビートルズの「カム・トゥゲザー」をマイケルが映画の中でカバーしてたんだよね。そういうところからいろいろつながって、ビートルズはすごいぞ、と。

田中:なるほどね。僕はもう、RCサクセション、ストリート・スライダーズって聴きはじめたんですよね。そうなったら、そのままストレートにビートルズ、ストーンズにいく感じでした。

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