キーパーソンが語る「音楽ビジネスのこれから」第2回(前編)
アゲハスプリングス玉井健二社長インタビュー「今は邦楽を作っている人にとって大きなチャンス」
「自分には才能がないことを認めることから始めた」
ーーソロの音楽活動、DJとしての活動、さらにはイギリスで音楽制作を行ったりと、20代の頃にはいろんな経験を積んでいますね。その中でプロデューサー志向を強めた経緯は?
玉井:木崎賢治さんというプロデューサーに出会って、「こういう道もあるのか」と思ったのがきっかけですね。木崎さんには圧倒的に魅力があって、子どもの頃から見ていたテレビの向こう側の人よりも、面白そうな仕事をしているように見えました。もともと「将来ああなりたい」と思っていたことだった気がします。だから、93年にバンドを解散してソロアルバムを作ることになったときは、自分では作りませんでした。将来プロデューサーになるために、本当の意味でのプロデュース・ワークというものを体験したかったんです。結果これが大きな財産になりましたね。表に出るスターというのは、何かを磨いて輝かせる人だと思うのですが、僕の場合は何かを捨てることで道が拓けたんじゃないかと思います。
ーー1999年にはEPICレコードに入社していますね。そこでは嫌な仕事も進んでやっていたとか?
玉井:レコード会社では、アーティスト出身のプロデューサーとして入社してヒットを飛ばす方がかっこいいんですが、ADから始める方が間違いなく多くを学べます。だから僕も制作の仕事をちゃんと学ぶために、プライドを捨ててADから始めたのですが、自分をすべて否定しなければいけないので、本当に辛かったですね。しかしそこで学んだことは圧倒的に大きくて、もしその体験がなかったら、現在の具体的なプランは練れていないはずです。
ーーEPIC入社前後から、“売れるポップス”とは何か、かなり具体的に分析したと書かれています。その分析はどのようなところから始まったのですか。
玉井:まず、自分には才能がないことを認めることから始めました。それが素直にできたのは、ミスチルの桜井さんやつんく♂さんのように、同時期に優秀な人がいっぱいいたから。成功する人とそうではない人がはっきりしていて、彼らと自分との違いを分析すると、音楽性の違いうんぬん以上に成功する才能、それ自体がない、というところに行き着く。しかし、才能がないなりに、どういう曲がヒットする曲かは分析できるので、その作り方を学んでいきました。これは人から学ぶことは少なくて、自分でひたすら研究して覚えたことがほとんどです。20歳前後の頃だったと思います。当時の事務所をクビになった後、たまたまクラブで雇ってもらえて、そこがいい環境で、毎日いろんな曲が聴けたんです。僕らにはダサイものとされていて、これまで触ってこなかったダンスクラシックなども聴くことができた。Earth,Wind&Fireとかね。「ジンギスカン〜」とか最初はまったく理解できなかったんですけど、でもそれがなぜ売れたのかを分析していくと、時代背景はもちろん、様々な音楽的な要素があるんです。細かいことをいうとR&B以前、ブラック・コンテンポラリーとか呼んでいた頃の曲は、コードは循環なんだけど、サビはちゃんとサビっぽく聴こえるように作られている。それはコーラスワークが影響していたりするのですが、そういった基本的なことを一個一個覚えていったんです。自分なりの発見が沢山あって、すごく面白かった。また、そうして後天的に身に付けた事だから他人に教えられるという側面もあるんじゃないかと思います。