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Nintendo Laboに見た、ハードウェアメーカーの矜持ーー任天堂の挑戦をさやわか氏が分析

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 Nintendo Switchのコントローラー=Joy-Conを見たとき、僕は「任天堂の苦悩が表れている」と思った。コントローラーが2つに分かれ、本体との着脱ができるなど、アイデアに富んでいるが、アタッチメントをつけて一体型にすると、極めて標準的な形になる。現在のゲームはマルチプラットフォーム化に伴い、各ゲーム機のコントローラーで差が出ないように、標準化が進んでいる。任天堂は「NINTENDO64」以降、ペンだ、リモコンだ、ヌンチャクだと、必ず新しい操作性を付け足してきており、それは継続しながらも、標準的なコントローラーとして機能させなければならない、というジレンマの表れが、Joy-Conのように思われたのだ。

 任天堂が常に変わった操作性を提示してきたのは、「ゲームの本質はインタラクションである」ということを重視しているからだろう。つまり、どういう機械なのだろう、と思ってボタンを押してみると、意外性のある反応がある。キーボードのように「A」のボタンを押せば常に「A」と打ち込まれるようなものではなく、「このボタンを押したらどうなるか」ということを常に意識させるようなデバイスを作り、ユーザーがハードウェア自体を面白がれるようにしているのだ。それがハードウェアメーカーとしての矜持であり、標準化したコントローラーを使う、単純なインターフェイスになるのは嫌なのだろう。

 そうした文脈で『Nintendo Labo』を捉えると、「ハードウェアの反応の面白さを全力で追求したもの」に見える。もちろん、プログラミングの楽しさを体感するもの、という見方もできるが、「ゲームの面白さって、もともとはハードウェアの反応自体にあったじゃん?」というハッキングのように思える。

 昔の『バックアップ活用テクニック』(三才ブックス。後の『ゲームラボ』)を始めとするハッカー志向の強いゲーム系雑誌を読んでみれば、ハードウェア改造の記事が溢れていて、勝手に別のメーカーのコントローラーを使えるようにしたり、ボタンを増やしたり、ということが面白がられていた。しかし、上述のように現在は、多くのメーカーが入力デバイスの標準化を受け入れており、操作自体を楽しむには、例えばHORIのような周辺機器メーカーに期待するしかないような状況だ。そのなかで、僕のような古いゲーマーが『Nintendo Labo』を見ると、「あ、昔の楽しいことをやらせてくれるんだ」と思う。お仕着せのプラモデルのようなものではなく、段ボールで作る、というのがまたDIYを意識させる良さがあって、レゴでとんでもないものを作るようなワクワク感がある。

 任天堂は誤解されやすい。否定的な見方をする人は、よく「無害な子供向けゲームを作るメーカーだ」と言うが、64時代からFPSやオープンワールドも視野に入れたゲーム作りへ積極的に取り組んでいて、いまも標準化に抗っていることを見ると、常にキッチュで尖ったものを作ろうとしてきた。「子供向け」というのは、それをマニア向けのものとして当て込むのではなく、「最大公約数を狙う」という、任天堂が自身に課した枷からくる印象だろう。つまり、面白いことをやるための免罪符に近い形で、外側を「マリオ」などのキャラクターでコーティングし、幅広い層が遊べるようにしている。

      

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