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yahyel・山田健人が語る、映像テクノロジーと表現の核心「VRよりも4DXよりも、想像力が人間の最強の武器」

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 映像作家として宇多田ヒカル、Suchmos、米津玄師などのMVを手がけ、yahyelではVJとしても活躍する山田健人(dutch_tokyo)。常にエッジのある映像表現でシーンの話題をさらってきた彼は、映像テクノロジーの進化とどう向き合っているのか。「技術ベースで表現することはしたくない」と語る彼が今、思い描いているクリエイティブのアイデアとは。そして、理想とする表現の形とは。デジタル音楽ジャーナリストのジェイ・コウガミが聞く。

ハイテクなものに対するこだわりはない

――山田さんはMV制作、あるいはライブVJにおいて、テクノロジーをどう取り入れていこうと考えていますか。

山田健人(以下、山田):実のところ、手段として選べればいいので、テクノロジーや機材ベースで物事を考えるのは本末転倒かな、と思うところもあるんです。中学生がiPhoneでYouTubeに映像をあげる時代で、フィルムカメラで写真を撮ってInstagramにアップしていれば写真家なのか、みたいな本質を問う議論は全然あると思っていて。VRやプロジェクションマッピングなど、テックっぽい表現は、瞬間的なエンターテイメントとしてはめちゃくちゃスゴいと思うけれど、1年後にもっといい機材が出たら乗り換えられてしまうわけだし、技術ベースで表現する、ということはあまりやりたくないなと。もちろん、好きな機材はあるけれど、ハイテクなものじゃないといけない、というこだわりはないですね。

――映像という表現を通じて、世の中に人にどんなことを伝えたいこととは?

山田:大きく言うと、映像自体を人の心のそばに届けたいと思っています。音楽って、人の経験やいろんなものにこびりつきますよね。例えば、僕はスポーツをやっていたので、テンションを上げるために試合前に聴く曲がありましたし、誰にでも、落ち込んだときに聴く曲があると思うんです。そういう意味で、人の心のそばにある表現だと思っていて。

――音楽で感じている感覚は、映像では実感できない?

山田:まだちょっと足りないと思っています。単純に歴史の長さもあると思いますし、映像は再生機器も必要だし、場所を選ぶ。自分なりの解釈としては、表現が消費されている一方だなと。

――「表現の消費」という言葉は、現代的ですね。

山田:例えば、渋谷のスクランブル交差点に行けば、5画面ぐらいあるじゃないですか。何も思わずにあそこにいると、そこで流れている映像は、ただ消費されているだけの表現と言うか、ツールですよね。これもテックの話に通じると思いますが、スマホがあればYouTubeで映像を観られるけれど、1本の映画をしっかり選んでじっくり観る、という体験よりもサクッと終わるものになっていて。僕も経験上、いろいろな人を撮っているけれど、いかにお金をかけずに話題になるか、ということがベースのことも多いんです。例えば、MVに人気のモデルさんを出せば、ニュースサイトの1行目にそのことを書ける。でも、それが10年残るものかと言えば、1週間しか残らない。だって、もっとかわいくてフォロワーが多い子が出てきたら、そのほうがいいということになるじゃないですか。

――ニュース記事を作るメディアも、表現を消費する側に回ってしまっていますね。

山田:そうなってしまうと、音楽家に対するリスペクトがないと思うんです。だから僕は、特別なオーダーがなければ、ミュージシャンを撮ることにしています。Suchmosも、宇多田ヒカルも、GLAYもそうですが、音楽家あっての表現だし、それが一番素直だと思うので。

映像の価値を上げるため、マスとコアの両極端で表現する

――映像表現をただ一方的に受け入れてしまう人のほうが圧倒的に多そうです。

山田:だからこそ、話題作りのためじゃない表現を想像させていくことも大事だなと。VRよりも、4DXよりも、想像することが人間の一番強い武器じゃないですか。五感の色んな部分をデジタルで定義していくと、瞬間的なエンターテイメントにはなるけれど、それが人間の想像力を奪ってしまうかもしれない。例えば、「赤いリンゴ」という言葉があったときに、僕の表現では「どれくらい赤いか」ということが簡単に定義されてしまうけれど、それが小説だったら、ものすごく研ぎ澄まされた表現で、想像させる奥行きをいかにもたらすか、ということを考えていて。「Iron」のMVも、歌詞を聴き込んでもわからない「なぜそうなのか」というところを、観ている人から引き出すものでないと、繰り返し観たいとは思われないし、何十年も残るものにはならないのではないか、という疑念のもとで作っていて。音楽家が説得力を持つのは、人間性がわかるから。だから、映像を取る人間も表に出ることが大事だと思っています。結局、パソコンで塗り替えられていくいろんな技術のなかで、「なぜその人じゃないといけないのか」という理由は、人となりだと僕は思うので

――最近は「AIやアルゴリズムが人の役割を奪う」など言われて、予測可能な行動や仕事が機械やテクノロジーで行うようにする傾向が高まっているだけに、なおさら説得力を感じます。

山田:日本の映像は、本当にテック寄りだと思うんです。引きこもって、誰も出てこない。「映像監督」と聞いて普通の人が思い浮かべられる人なんてまずいないし、そこに価値がない、という状況自体を変えていかないと、それこそ映像なんてコンピュータがすべてやってくれるようになってしまうんじゃないか、という恐怖もあります。だから僕は、取材も受けるし、テレビにも出て、表に立って説明する機会を自分から作りたいと思っているんです。映像でまるっと世の中をよくしたいし、カルチャーを作りたい。言葉にすると軽いんですけど、そういうふうにしか言えないですね。

 例えば、ケンドリック・ラマーの新譜が出るとなれば、何曲かはダサいかもしれないのにみんな注目するし、村上春樹の新作が出ると言えば、中身の内容に限らずみんな予約するでしょう。それは、表現の垣根を超えたカルチャーだと思うんです。そういうことを、音楽に近しい映像という単位でやりたいから、マスとコアの両極端ということを意識していて。つまり、GLAYを撮っている人間が、フジロックに出ているって面白いじゃないですか。それが入口になってくれればよくて、超両極端のようで実は隣り合わせだというものを、ひとりの人間が実現していくということは、カルチャーの足がかりになるだろうと。それは去年の目標のひとつでもありましたし、今後もやりたいことです。

――山田さんが求める映像カルチャーを作るために、いまのシーンに足りないのはどんな部分でしょうか。

山田:日本の芸能の歴史という部分もあるので、僕が言うのもおこがましいところですが、ひとつには、もう少し素直に「いいものはいい」というふうになっていけばいいなと思います。それはSNSによって型式化された「LIKE」というものではなく、もっと本質的なところで。僕の作品について、本当に好きになってもらえるかは正直言ってわからないので、まずはマスとコアの両極で、その入口を増やしていく作業は、映像人として取り組めることのひとつではあるのかな、と思っています。

“ミュージックビデオ”と“ビデオミュージック”の境界

――さて、一昨年に公開された「Iron」のMVがストーリー性重視の雰囲気があったのに対して、続く2017年の「Rude」はデジタルアートのような作品で、メタ的な描写の連続が斬新でした。あれはどういう経緯、意図で、あのような映像になったんですか?

山田健人(以下、山田):制作の流れで言うと、「Iron」と「Rude」はyahyelのなかでも早めにできた曲で。両A面でアナログ盤も出したりというなかで、MVを出す必要があるよねと。そんな状況だったんですが、「Iron」はもともと、僕がこういう映像表現をしてみたい、というコンセプトをメンバーに共有して、その逆算で曲の展開などが構築されていった部分があるんです。曲があって、映像があるという普通の流れではなくて、“ミュージックビデオ”と“ビデオミュージック”の境目に着地させる、という難しいことに挑戦していて。つまり、音楽のための映像、というところを超えて、映像ばかりが気になって音が入ってこなければ本末転倒だし、そのバランスの限界に挑もうと。

 一方で、両A面の「Rude」も並行して制作することになって。yahyelとしてやっていきたいのは、ハイファイな映像のなかに残る、生々しいものなんです。そういう映像なら、機械的なサウンドのなかに落ちている肉体的な部分、例えばリリックだったりと調和すると思うんですよね。自分がいることもあって、yahyelの映像に求められるハードルは高い。それでも、いつでも「Iron」みたいにお金をかけられるというわけじゃない――ということを考えると、もうひとつ、映像のカテゴリーとして新しいものを持っておいたほうがいいんじゃないかと。そこで考えたのが、簡単に言うと「キャラクターを作る」ということだったんです。

yahyel – Rude (MV)

 それで、われわれもyahyelという「宇宙人」にコンセプトが近い名前なので(※ニューエイジ思想において、2015年以降に人類が出会う未知のもの、異星人を指す)、それを象徴するようなキャラクターに歌わせるビデオにしようかなと。そこに、僕が「Rude」のライブVJで使っていた光のCGを再構築して作っていきました。メンバーを出さない新しいリリックビデオのひとつの形として、確立していける可能性はあるなと思います。

――キャラクターを中心に添えたリリックビデオは、新しいジャンルかもしれませんね。

山田: お金の面でも、撮影の必要がないし、極論、僕ががんばるだけでできるということも大きいと思います。だから、「Rude」は音像からというより、表現のフォーマットとして別の軸として考えていたということです。この宇宙人、みんなで“Rudeくん”と呼んでいて、最近は映像がしっかり見える大きいハコだと、ライブ中にも出したりしているんですよ(笑)。意味性はそんなにないんですけど、新しいフォーマットして確立できたかなという感じがあって例えば3作、5作と続いたときにジャンルとしてどうあるか、ということはいまから伏線として仕込めるかも知れないですね。

――yahyelって匿名性がないユニットで、シンボリズムに依存しないコンセプトが非常に印象的だったので、CGキャラクターが出てきたときはかなり驚きました。

山田:そうですよね。ただ、いいバランスにしようと思って人間っぽさと宇宙人っぽさ絶妙なバランス感が出せるよう頑張りました。

――yahyelのMVは海外の俳優を起用し、非常にアナログ的な撮影で作られた世界のなかで、いきなりデジタルアートの映像トリックが目の前に仕掛けられる、という部分に面白さを感じます。山田さん自身は、アナログとデジタルのバランスについてどう考えて制作していますか?

山田:僕はもともとデジタルから入った人間で、いまでもVJはわりとCG寄りの表現をするところもあるのですが、より直感的なのは実写表現だなと思っていて。CGだと論理や理屈が優先するので、そのバランス感がyahyelだな、と思うところもあります。例えば、僕らは音楽ユニットで、いわゆるバンドっぽい要素はドラムくらいしかない。なので、最初に曲を作っていくときは、理屈で詰めていく部分もあるんです。多くのバンドさんは、スタジオに入ってセッションして、グルーヴから曲を作っていく、というプロセスだと思うんですけど、僕らは基本的にラップトップのなかで音楽を作っているので、そこはデジタルっぽい要素だなと思います。

 ただ一方で、ライブになればドラムもいるし、ボーカルはけっこう熱のある発声をするので、エレクトロな感じのなかに肉体的な表現があるなと。そういう意味で、デジタルとアナログの融合のバランス感覚はほかになくて、yahyelらしい表現なのかなと思います。例えば、「Once」のグニョグニョしていく感じのバランスの取り方は、最終的なところではもう感覚なので。それがいまの僕のやり方に合っているというだけで、映像というジャンルに限らず、デジタルもアナログも「手段」だなと思いますけどね。

yahyel – Once (MV)

      

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