映画史に残る圧巻の5分間! 『坂道のアポロン』から感じる“映画の力”

『坂道のアポロン』から感じる“映画の力”

 音楽を通じて、性格の真逆なふたりが絆を育んでいく……言葉にすると陳腐だが、これが映像になると涙が出るほど眩しくなる。これが映画の力なのだろう。『坂道のアポロン』を見て、改めてそんなことを考えさせられた。“見逃さなくてよかった”と心から思える映画だった。学校の窓に射し込む眠気を誘う陽の光、雨に打たれて気持ちいいと微笑む友人の横顔、友達とかけ合う海水の飛沫、何かに打ち込んだときに額に光る汗……そんな青春のきらめきを見逃さなかったときの幸福感に近い。青春は形に残らない宝石のような時間だ。ときにはその後の人生の支えとなり、心を温めるものになる。それが、たとえ自分が経験した実の記憶ではなくとも、青春のきらめきは疑似体験できるのだ。『坂道のアポロン』には、誰もが憧れた青春の輝きとエネルギーに触れられる映画だ。

 本作の舞台は、1966年の長崎・佐世保。それは、かつて実際の日本にあった町並み。だが、セピア色の写真が動き出した昭和の風景は、現代を生きる私たちにとって異世界にも感じる。今、私たちが暮らす世界とは違うどこか。絵本の中に迷い込んだような、タイムスリップしたような……その少し遠い世界観が、どこかファンタジーに感じられる。それが、現実に染まった大人も素直に友情物語を受け入れられる、余裕を作ってくれる気がした。

 物語は、主人公の西見薫(知念侑李)が都会から転校してくるところから始まる。気の合わない親戚の家に引き取られる形で、引っ越してきた薫。家の中にも、クラスにも居場所を見つけられずにいる彼は、1960年代の世界に徐々に慣れていく観客の視点とリンクする。そんな迷える薫と私たちと、その世界を繋げてくれるのが、クラスメイトの律子(小松菜奈)だ。律子はそのまま、ピアノが得意な薫と、ドラムが大好きな千太郎(中川大志)、そしてジャズを結びつける。

 ケンカっ早い千太郎の売り言葉に買い言葉で、ジャズに挑戦することになった薫はレコードを入手。レコードプレーヤーのある部屋から、階下のピアノのある部屋へ、何度も何度も階段を昇り降りしなければならない。きっと今の時代であれば、そんな苦労をせずともスコアを手に入れることができるだろう。そのもどかしさこそ、この時代ならではの友情にかける熱量として伝わってくる。簡単に繋がることができない不便さ。だからこそ、繋がったときの喜びが倍増するのだ。ジャズを通じて、千太郎に向き合おうとする薫。なんでこんな面倒なことを……と、思いながらも、つかめてきたワクワク感が溢れてくるのが、なんともくすぐったい。そして授業中、思わずピアノの動きをしてしまう薫の指を見つけたときの千太郎の嬉しそうな顔に、こちらまで笑顔がうつってしまう。

 薫の机は鍵盤に、千太郎の鉛筆はドラムスティックに。ふたりには、楽器が見え、音が聞こえるのだ。同じイメージを想像する時間の尊さ。ふたりを繋ぎ、劇中で何度も流れる「モーニン」の一節は、私たちにとっても大切なフレーズになっていく。薫はピアノ、千太郎はドラム。それぞれ人と打ち解けられない寂しさを、楽器にぶつけてきた過去を持つふたり。楽器越しに目で会話をし、お互いの呼吸を読み合う。彼らにとって、セッションできる相手は、友情以上の特別な存在を意味していたのだろう。「俺の友達!」千太郎が、そう薫を紹介したシーンは、薫と同じように胸が熱くなった。

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