ドレスコーズ志磨遼平、映画『ギミー・デンジャー』を語る 「ストゥージズは僕の人生を変えてくれた」

志磨遼平、映画『ギミー・デンジャー』を語る

 映画界の鬼才ジム・ジャームッシュ監督が、イギー・ポップ率いる伝説のバンド、ザ・ストゥージズ(以下、ストゥージズ)の歴史を迫ったドキュメンタリー映画『ギミー・デンジャー』が9月2日に公開される。8月26日に公開されたもうひとつの監督作『パターソン』とは打って変わって、ジャームッシュ監督にとって約20年ぶりのドキュメンタリーとなる本作では、イギー・ポップを軸に、ストゥージズのメンバーと本当に近しい関係者のみによって、華々しくも混乱に満ちた彼らの歴史が語られていく。

 今回、リアルサウンド映画部では本作の公開を記念して、20代の頃、ストゥージズの楽曲によって「人生が変わる」と直感したというドレスコーズの志磨遼平にインタビューを行った。ストゥージズとの出会いやジム・ジャームッシュ監督作品への思い入れから、本作についての感想まで、たっぷりと語ってもらった。

「『Shake Appeal』がなければ、今の僕もない」

『ギミー・デンジャー』(c)2016 Low Mind Films Inc

ーー志磨さんは本作に「21歳のある日、床が揺れるほどの爆音で “Shake Appeal”  が突然スピーカーから流れ始めた。すぐに『これで人生が変わる』と直感した。まさしくそのとおりになった。イギーがストゥージズを語り、それをジャームッシュが撮る。これでまた誰かの人生が変わる」とコメントを寄せています。21歳当時は前のバンド、毛皮のマリーズを結成した年ですよね?

志磨遼平(以下、志磨):そうです。ある日ストゥージズの「Shake Appeal」をたまたま聴いて、これだ、これをこのまんま僕がやればいいんだ、と気づきまして。その時のインスピレーションを具現化したのが毛皮のマリーズです。だからストゥージズは僕の人生をカウント4つで変えてくれたんですね。「Shake Appeal」がなければ、今の僕もないので。

ーー初めて聴いたストゥージズの楽曲が「Shake Appeal」だったんですか?

志磨:いや、ストゥージズ自体は10代の終わり頃とかに、『ロー・パワー』を買って聴いていたはずです。ただ、その当時はそこまで愛聴盤というわけでもなくて。当時からデヴィッド・ボウイは大好きだったので、ストゥージズに関しても最初は “デヴィッド・ボウイ周辺の人たち” という認識だったんです。だから、ファースト(『イギー・ポップ・アンド・ストゥージズ』)でもセカンド(『ファンハウス』)でもなく、デヴィッド・ボウイがミキシングを担当した『ロー・パワー』だけ基礎教養として持っていた程度、ということだと思います。むしろイギーのソロ、『イディオット』とか『ラスト・フォー・ライフ』をよく聴いてました。

志磨遼平

ーー10代の頃の志磨さんにとってストゥージズはそこまで大きな存在だったわけではなかったんですね。では「Shake Appeal」のどこにそれほどまでの衝撃を受けたんでしょうか?

志磨:その当時、21歳の頃はとにかく暇だったんですね。それで下北をぷらぷら散歩していて、たまたま古着屋さんに入ったんです。それがどこの古着屋だったかは思い出せないんですが、僕が店に入ったそのタイミングで、イギーの「1,2,3,4……」ってカウントから「Shake Appeal」が始まったんです。今思うと、そのカウントが入っていたということはイギー・ポップがミックスし直したバージョンですね。その「1,2,3,4……バンバンバンバン!」っていうのが、本当にビックリするぐらいの爆音だったんですよ。もう服を見れないぐらいの、ライブハウスぐらいの音量で流れ出したんです。

ーーそれが衝撃だったと。

志磨:頭が真っ白になっちゃって。自分の存在が消し飛んだような、生まれ変わったような……本当に “神の啓示を受けた” という感じです。それまでもたくさん曲を書いていて、有名になるにはどうすればいいのか? とかいろいろ悩んでた時期だったんですけど、これをやればよかったんだ! これで有名になれる、と思ったんですよ(笑)。それで店員さんに「これ誰の曲ですか!?」ってすげー大声で聞いたら(笑)、「これですよー!」って『ロー・パワー』のジャケットを見せてくれて。「あれ? 持ってるな……」と思って、家帰ってまた聴いてみたんですけど、もうその衝撃は起こらなくて。とにかくその衝撃、魔法は1回きりだったんですが。その時にひらめいたコンセプトに基づいて毛皮のマリーズを作り、その通りにやって、今に至るという感じなんですよね(笑)。

ーーその後、毛皮のマリーズは“東京のストゥージズ”と呼ばれる存在にもなりましたね。

志磨遼平

志磨:これは各所の怒りを買う発言かもしれませんけど……ストゥージズ、あるいは今回の『ギミー・デンジャー』にも出てくるMC5とかから音楽的な遺伝子を継いだバンドっていうのは、日本のオーバーグラウンドな音楽シーンにはいなかったと僕は思っていて。今振り返っても現にそうだったと思うんですよ。イギー・ポップのようなスタイルのシンガーという意味では、遠藤ミチロウさんや甲本ヒロトさんのようにいろいろな方が影響を受けたり、インスパイアされたりしてきたとは思いますけど、音楽的にストゥージズから影響を受けているバンドはいなかった。別に受けてもしょうがないだけかもしれないけど(笑)。それを大きなフィールドでやろうとしたのは、毛皮のマリーズが最初だったと思います。あと、その古着屋で「Shake Appeal」を聴いた時に気づいたことがあって。

ーー何に気づいたんですか?

志磨:「髪の毛が長いパンクバンド」が日本にいないということに気づいたんです(笑)。例えばストゥージズと違ってラモーンズなんかは音楽的なスタイルこそ模倣されやすいバンドですが、意外とストゥージズやラモーンズみたいなルックスのバンドとなると、いなかったんですよね。パンクっていうと、みんなセックス・ピストルズやザ・クラッシュのような短い髪をツンツン立てるロンドン・パンクのスタイルだった。だから、髪の毛の長い、ベルボトムに上半身裸の男が、ガラス瓶の破片が散らばった床の上を血まみれになりながらゴロゴロ転がれば、1発で有名になるなと思って(笑)。それで毛皮のマリーズを始めたんですよね。音楽のスタイルはいわゆるデトロイトの、ひとつのリフを延々繰り返しながらうなったり叫んだり、あとはストーンズのレコードを「回転数まちがえてかけたのかな?」っていうくらいの速いテンポでやる、とか。MC5やニューヨーク・ドールズからも影響を受けましたが、なかでもやっぱりストゥージズは僕の中でひとつのアイコンでしたね。

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