KinKi Kidsからの“愛のかたまり” 『ぼくらの勇気 未満都市』が2017年によみがえった意義

KinKi Kidsからの“愛のかたまり”

 7月21日にオンエアされた『ぼくらの勇気 未満都市2017』(日本テレビ系)。鑑賞中、“そうそう、コレコレ“と膝を叩いたのは、筆者が松本潤と同い年だからだろうか。金曜ロードショーの時間にて放送された本作だが、かつて10代のころに夢中で見ていた“日テレ・土曜9時枠ドラマ“のワクワクが蘇ってくるようだった。

KinKi Kidsが示した本作の存在意義 

 1997年のテレビドラマ放送当時、10代だった堂本光一、堂本剛、相葉雅紀、松本潤、矢田亜希子らが再集結し、すでに芸能界から引退していた小原裕貴までもが一肌ぬいだ本作。ストーリーは、20年という月日で、彼らが“ギリギリの大人“になっていることを強調していく。ヤマト(光一)は研究者の夢やぶれて堅実な中学教師に。タケル(剛)は紆余曲折を経てエキセントリックな弁護士に。キイチ(小原)は一家の大黒柱としてハンドルを握るバス運転手に、モリ(松本)は飲食店のオーナーとして成功し、アキラ(相葉)はあの幕原エリアの復興を担当する設計士に。そしてスズコ(矢田)も夫を復興事業で亡くし、シングルマザーとしてたくましく生きていた。

 20年後の再会の約束をきっかけに、地下水から大人を死に至らしめる微生物が復活したことに気づいたヤマトとタケル。かつての仲間たちに警鐘を鳴らすも、スズコは今の生活を変えることを「簡単に言わないで」と叫ぶ。モリは「風評被害にあったら……」と関わること自体を拒否。積み上げてきたものが大きければ大きいほど、人はそれを手放すことを恐れて守りに入る。それが大人のサガなのだろうか。自分の生活のために見て見ぬふりをするべきか。それとも、個を犠牲にしてでも正義のために立ち上がるべきか。

 ヤマトたちは決して強要することなく、あくまで自由意志を尊重して仲間たちの選択を見守った。大人になった彼らもまた失う怖さを知っているからだ。肉体的な死よりも、社会的死が怖い。孤独死よりも、死ぬほど孤独なことが怖いのだ。まさに、<ギリギリの大人たちが積み重ねてるすべてのもの 壊さなきゃ新しい明日はこない>展開に胸が高鳴った。

 プロデューサーの櫨山裕子氏は、インタビューで、今回の方向性にはKinKi Kidsのふたりの意見が反映されたことを明かしている。「KinKi Kidsと一回会って、プロットを見せて意見交換をしたとき、彼らはふたりとも…このドラマの良さややる意味は、10代の子たちに、今、なかなかできないであろう旧作と同じ方向性を提示するのがひとつの存在価値じゃないかと言われて、目から鱗が落ちた」(参照:『ぼくらの勇気 未満都市』が20年ぶりに復活した理由とは?日テレ櫨山プロデューサーに聞いた

 大人に対して、10代は失うことを恐れない強さがある。「カッコつけたいときにカッコつけさせよう」とタケルが言ったように、カッコつける=自分の理想に突っ走ることができるときは、若さゆえの勢いも手伝う。そして、その経験が自信になり、新しい強さになる。見ている10代には自分たちにも何かできるかもしれないという勇気になり、大人たちにとっては子どもたちに負けてられないと奮起するエンディングだった。

 餅は餅屋、ではないが、やはりジャニーズにしかできないドラマがあるのだ。KinKi Kids、嵐、そしてジャニーズJr.の道枝駿佑と、世代を超えたジャニーズが肩を並べたときの発信力は凄まじい。彼らだから多くの人に伝えられるメッセージがあることを、ひしひしと感じるドラマに仕上がっていた。

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