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菊地成孔の欧米休憩タイム〜アルファヴェットを使わない国々の映画批評〜 第5回(後編)

菊地成孔の『インサイダーズ/内部者たち』評:とうとう「銃が出て来ないギャング映画」が韓国から

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<やっと「刑事と犯人」から解放(笑)>と書いた次の回で(笑)

 すっかり刑事と犯人が戻って来たばかりか、今度は検事から悪徳マスコミ、巨悪の政治家まで押し寄せて来まして(笑)、しかもですなあ、今までワタシ観て来た韓国ノワールの中でも、単純に暴力性と凄惨さの数値はおそらく最も高く、『キック・アス』『キングスマン』『ヘイトフル・エイト』等々を「こんなに暴力性が高くなくても映画として充分成立する」と査定する立場の者(勿論「暴力性ちょうどいい、もしくは足りない」という立場もあるでしょうから、誰が正しいという訳ではありません。ラーメンの好みの様な物でしょう。因に『ヘイトフル・エイト』はフランスでは カトリック系団体から上映禁止を求められたと記憶しています)から見ても、「大傑作」と言うにまったく吝かでない、という、トンデモないのが出て参りました。

 とはいえワタシより更にさっぱり系がお好みで、血とか怖いわ〜、でもビョン様(イ・ビョンホン)が出てるから、、、、、といった熟ヨジャ韓ペン(「韓流ファンの、ご年配の女性」の意)の皆様に、暴力描写のコンテンツを先にお知らせしてしまいますとですな

1)そもそもビョン様の片左の手首は、映画の冒頭からありませんが、これは、ギロチンみたいのでスパンと切り落とされたのではなく、造園とかちょっとした部屋のリフォームとかに使う、イトノコという道具がありますな。アレでギコギコとゆっくりゆっくり切り落とされた物です。

2)その際、ビョン様は既にグジャグジャに暴行を受け、椅子に縛り付けられているのですが、黒目も白目も出血していて、「片目が全部真っ赤」という、「リンチされた男」の特殊メイクが施されています(日本映画には望むべくもない、物凄いリアル。アメリカ映画ですら滅多に見ない)。

3)最後、ビョン様はポクス(復讐)を果たし、悪者の手首を切り落としますが、これは、イトノコこそ使わない物の、ハンディサイズの斧でいきます(涙)。勿論、一撃では手首は落ちません。お肉屋さんのようにガツンガツンといきます(涙)。

 と、今、主演のビョン様周りだけに絞りましたが、これがこの作品の残虐描写平均値です。因にヴァイオレンスの対偶にある「エロ」も、かなりコッテリした描写――一般映画なのに、「抜けてしまう」可能性まで充分あるーーが出て来ます。

 ワタシはこの連載で「日本のギャング/ノワール映画に於ける<銃と札束>の扱いが、米韓に比べると、パーティグッズの様なオモチャ感がある」ことを指摘してきました。(参考1:菊地成孔の『セーラー服と機関銃 -卒業-』評:構造的な「不・快・感」の在処/参考2:韓国ノワールはなぜ匂い立つほどリアルなのか? 菊地成孔が『無頼漢 渇いた罪』を解説/参考3:日本のノワール映画は“エグいジャパンクール”ーー菊地成孔が『木屋町 DARUMA』を読み解く

 この事の原因は、単純に日本が銃社会ではなく、貧困も(米韓に比べれば)少なく、ゲトーやスラムも無く、何せ軍が無く、自動的に兵役も無い、なんだかんだで豊かで穏やかで反戦的な国である。という事で、もう総てが説明されてしまいそうですが、それはあくまで社会的/文化的な背景を述べているだけで、「映画に於ける欲望」という芯は喰えていません。

 とはいえ、そこまで考察していると一冊の本になりかねませんので、本稿では深入りはしませんが、とにかく本作の「暴力/残虐」の描写は(エロも)凄まじく、R-15で大丈夫かな?まあ大丈夫か。といったほどなのですが、話をまたしても一般化し、「映画に於ける銃に関して」に戻します。

映画に於ける銃に関して

 とにかく、どんな映画の、どういうシチュエーションであれ、チャカが出てしまった段階で、言ってみればそこで<対立構造の緊張感>は原理的には終わりな訳で(「セーラー服と機関銃ー卒業ー」の最後の方に書きましたがピストルはフロイド的にはペニスですから、恋から発展するセックスシーンで、ペニスが出てきた段階。と言えます)、あとは、よっぽど凝った「銃扱い」(例えば、銃を持ったことがない子供や女性が、初めて銃を手にしているので、ちゃんと撃てるかどうかわからない。等々)をしない限り、脚本の力が及ぶのは「引き金を弾かない理由」と「弾が当たらない理由」しかありません。

 これはマイナス方向のベクトル固定(所謂「引き算」とも違います)であって、この状態は一般的に自覚は難しく、映画の中の銃の扱いに限らないですよね。「今、自分はマイナスベクトルに固定されている。ので、どうするべきか」と、強く自覚して行動された経験は皆さんも余り無いと思われます。

 それに加えて前述の「社会の中の暴力も、銃の存在も」どちらも弱い我が国でドンパチをやろうとしたら、高い確率でパロディというか、絵空事というか、要するにパーティーグッズになってしまいます(「腕利きスナイパー」が使う、軍用っぽい凄いライフル。みたいのがありますが、あれは意味が別です。あれは言わば、<弓>のメタファーですね。日本映画であれの描写が上手いのは、やっぱ弓の伝統があるからだと思われます)。

 それに被せて「マイナス方向のベクトル固定を自覚する困難さ」があるので、結果として「バンバン撃ちあうけど、主役には(何故か)弾が当たらない」「(何故か)気圧されて引き金が引けない悪者」「引き金を引く前に、昂揚してひと演説ぶってる間に後ろから来た援軍に殺される悪者」等々、予定調和的なシーンが量産されるだけで、あんまり丁寧な仕事がなされません。

 これは、「牧歌的な西部劇が量産された頃のアメリカ映画」が一方の雛形になっているのですが、これまた深追いは止めておきます(そうでなくとも「長い」「クドい」「括弧が多い」とネチズンの皆さんからクレームを頂き続けているので、今回は頑張って短く書きますねウッソぴょーん)。

 んで、この事(銃や札束のパーティーグッズ化/銃撃戦に於ける書き込みの空洞化)は、映画的には、まあ、100%とは言わないまでも「悪い事」に含まれざるを得ないですね(そういう、ガラパゴス的な発達がアイデンティティから様式美まで昇華される事もありますし→歌舞伎に於ける「大立ち回り」等々)。また、一般社会的にはどうかと言えば、これまた100%とは言えませんけれども、「良い事」に含まれざるを得ないですよね(後述しますが、銃が無いと、殺傷が周到もしくは大掛かりに成るので)。

 いずれにせよ日本映画に於ける「銃」が、機種などの具体性を持ったピストルであっても、レーザー光線銃と変わらないファンタジー上の産物化しやすい事。そこはまあ良いとして、何せ、銃が無い事は軍が無い事と核が無い事と繋がっているのは言うまでもない訳ですが、その先が問題、、、、、とはいえこれも深追いしません。

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