大野雄二とゲーム音楽の邂逅 他の映像仕事とは異なる未知のモチベーション、コーエー×アルファレコードの関係性とともに辿る

 大野雄二にとってゲーム音楽はさほど縁深い存在ではない。両者が接近していたこと自体、初耳だという人も多いのではないだろうか。CM〜映画〜テレビ〜アニメとあらゆる映像音楽フィールドを駆け抜けてきた氏が、なぜ、あるいはどのようにゲームと交じりあったのか。ここではキャリアの過渡期にふと立ち寄った特異な交差点を元に、作曲家としての横顔を再考してみたい。

コーエーと菅野よう子のタッグを生んだ、シブサワ・コウとアルファレコードの繋がり

 大野が最初にゲーム音楽に関わったのは1991年12月発売のシミュレーションゲーム『ヨーロッパ戦線』である。プラットフォームはPC-8801/SR用が初出で、MSX2、FM TOWNS、X68000へ移植され、家庭用ゲーム機ではスーパーファミコン、メガドライブで遊べた。そこから10年ほど経ってWindows 95でプレイできるようになったのが最後で、現在手軽に遊べる環境にはない。開発したのは光栄(現:コーエーテクモゲームス。以下コーエー)で、歴史ものを得意とするメーカー。『信長の野望』『三國志』そしてモンゴル帝国を舞台にした『蒼き狼と白き牝鹿』という歴史三部作を上梓したのち、明治維新を舞台にした『維新の嵐』(1988年)、第二次世界大戦の『提督の決断』(1989年)、『水滸伝・天命の誓い』(1989年)、ナポレオンの『ランペルール』(1990年)、『大航海時代』(1990年)など題材を広く求めて量産期に入った頃の作品で、シリーズ化されなかった短命作でもある。

 サウンドトラックは先行して10月に発売(型番:KECH-1017)。また、ゲームソフトにサウンドトラックCDを付属した『ヨーロッパ戦線 with サウンドウェア』なる特別版も存在しており、こちらはジャケットの配色がセピア単一になっている。

『ヨーロッパ戦線』

 当時コーエーは社内に作曲家を抱えておらず、ゲームプロデューサーであるシブサワ・コウのつてを辿って手配していた。その最初期に関わったのが菅野よう子で、アルファレコードを通じて紹介されたのがはじまりだが、シブサワとアルファを繋ぐものは何だろうか。シブサワは本名を襟川陽一といい、慶應義塾大学在学中にコンボバンド「the KALUA(ザ・カルア)」でベースを弾き音楽を嗜んでいた。学生ながら東芝からシングル2枚とアルバム1枚をリリースしており、後者『二人のセレネード』(型番:UPCY-7928)は2024年に初めてCD化されたばかり。オリジナル曲はなく、フィフス・ディメンションなどのソフトロックカバーで構成されている(編曲はメンバー自身でなく、前田憲男、田辺信一、山木幸三郎)。襟川はもともとギター弾きとして入るつもりだったが、あまりの志望者の多さに驚き、その場でベースに転向して潜り込んだという。慶應カレッジサークルといえば真っ先に名が挙がるのがビッグバンドサークル「ライト・ミュージック・ソサエティ」だろう。ソサエティ出身の音楽関係者は多く、アルファレコードを興した村井邦彦もその1人。クラリネット奏者だった村井にピアノを教えていたのが同サークル3つ上の大野雄二だった。襟川と村井には在学期間の重複はないが交流があり、自社ゲームに音楽を付ける際、作曲家を求めて知恵を借りた。またかなり先の話になるが、『仁王』(2017年)の主題歌を村井に依頼している。

 その村井のアルファレコードは、1984年に細野晴臣プロデュース『ビデオ・ゲーム・ミュージック』を皮切りに、ゲーム音楽を事業化した先駆者であり、主だったゲームメーカーのレコードはほぼここから出ていた。YMOを擁して電子音楽を日本に広めたレコード会社は、未来の電子音楽としてゲーム音楽に目をつけていたのだ。社内でコーエー案件を担当したのが千装敏夫で、CASIOPEA、佐藤博、松山千春、吉野千代乃、近藤等則IMAなどの制作ディレクター。菅野よう子を作曲に迎え『蒼き狼と白き牝鹿 ジンギスカン』『信長の野望 戦国群雄伝』『大航海時代』をプロデュースしてコーエー・ミーツ・アルファの礎を築くが、発売はポリドールからとなったため、アルファゲーム音楽史の中では傍系である。千装は1993年にアルファを退社してドマーニを設立。1996年に代々木アニメーション学院内にミュージックアーティスト科を設立した際、細野晴臣を最高顧問に迎えている。2014年にはコーエーテクモゲームス・サウンド制作顧問に就任し再びゲーム制作に関わるも、2020年1月に離職。在任中に『ゼルダ無双』(2014年)、『無双スターズ』(2017年)などを手がけている。

 このように、コーエーと慶應という結びつきから大野は近い位置に居たものの、ゲーム音楽仕事に至る道筋は長い。大野は在学中からキャバレーや米軍キャンプまわりをするなど演奏家として活動しており、渋谷毅の後任として藤家虹二クインテットに参加しプロとなる。転機となったのは1968年。3年ほど在籍していた白木秀雄クインテットを27歳で辞めた頃に、慶應同級生の兄が放送関係者だった縁でカメラメーカー「ペトリ」のCM音楽を書き、作曲家として歩み始める。渋谷毅からCM制作会社を紹介されて作曲業を増やすが、「心のどこかに”CMの音楽なんて稚拙でくだらないもの”という考えがあったのは否めない」(大野著『ルパン三世ジャズノート』)と、あくまで主業はジャズに軸を置こうとした。ところが自由を追求するジャズと規制だらけのCM音楽を「同じものさしで計ることがナンセンス」(同著)と気づき、その規制ゆえの面白さに目覚め、ジャズとの比率が逆転してゆく。「あいかわらず(ジャズには)頭の固い連中が多くてね。CMに首をつっこんでる人間はあまり理解してもらえなくなってきたんだ。それでもう、ここにいても意味がないだろうと思って、スパっとジャズから身を引いた」(同著)

大野雄二がジャズの世界へ舞い戻った時期と近接する『ヨーロッパ戦線』の制作

 1975年頃には年間150本もCM音楽を作る売れっ子になり、映画〜テレビ〜アニメと領域を拡げていくが、あまりの多忙ぶりに映像仕事に楽しさを見出せなくなる。「なんかつまらなくなってきちゃった。いろいろわかってきちゃって興奮しないんだよ。もうやりきっちゃったような気すらしてきた」(大野著『大野雄二のジャズ放浪記 JAZZ SQUALL』) 。その頃ドラマー岡山和義からの声がけで、20年ぶりにライブでピアノを弾くことになるのだが、あまり気乗りはしなかったという。1回だけということで受けたが「自分でもビックリするぐらい気持ちよくてね。自分がとっくの昔に忘れていた快感が体中をかけめぐってしまったんだ」(『ジャズノート』) 。またこの頃両親と死別しており、人生観に影響を与えたことも手伝った。「人間なんていつ死んでもおかしくないんだから、自分が本当にやりたいことをやるのが一番なんだよな」(同著) 。作曲家へ転身して魂を売ったと陰口を叩かれ「ジャズの世界なんか2度と戻ってやるか」(雑誌『Wax Poetics Japan No.03』)とまで誓った大野だったが、こうしてジャズプレイヤーの世界に舞い戻った。

 アニメ『ルパン三世』、NHK『小さな旅』だけはライフワークとして残し、作曲家としてはセミリタイアを心に決めた時期が1990年頃あたりと言い、『ヨーロッパ戦線』の制作期間と近接していく。主力の菅野よう子は世間的にはまだ無名の存在であったが、コーエーは著名人を続々起用していた。かつて大野が師事し、襟川とも縁のある前田憲男に『水滸伝・天命の誓い』(1989年)を、その主題歌をアルファ制作でデビューした滝沢洋一に依頼。その他、向谷実『三國志II』(1989年)、宮川泰『提督の決断』(1989年)、石黒彰『ランペルール』(1990年)などがあり、そのラインナップに大野も加わった。

 作曲意欲が薄れていたと述懐するものの、そうとは思えない仕事量をこなしている。相変わらず日本テレビ仕事が多く、連続ドラマ『外科医・有森冴子』(1990年)、単発ドラマの水曜グランドロマン枠や、24時間テレビ内『いつか見た青い空』(演出:佐光千尋)。そしてVシネマではセントラルアーツ制作の『狙撃』シリーズ(1989年〜/監督:一倉治雄)や、『悪人専用』(1990年/監督:長谷部安春)といった作品で、『ルパン三世』シリーズや角川映画で組んだ音楽監督:鈴木清司との仕事も継続していた。1992年頃から急激にペースを落とし、シリーズもの以外の仕事を抑えることになるのだが、常に最先端と刺激を求めて路線変更を行ってきた大野にとって、ゲーム音楽という領域は、20年書き続けた映像音楽とは異なる未知のモチベーションを与えたのではないだろうか。常日頃「それじゃ、つまらない。面白くない」を口癖にしていた氏にとって、題材にも好奇心をそそったと思われる。村井はすでにアルファを退職していたものの、有賀恒夫、宮住俊介、粟野敏和といった慶應ソサエティ出身の敏腕ディレクター達が活躍していたレコード会社との仕事に奮起した、と想像したいが、いかがだろう。

 音楽性を眺めてみると、『ヨーロッパ戦線』ではミリタリー色の強いマーチングオケを中心に、ハードロック、アコースティック小品、刑事モノ風のブラスジャズが配置されている。中でも大野のハードロックは珍しい気がするが、「ロックはあまり聴いてこなかったな。でもCMの仕事で明日何を頼まれるかわからないから、あらゆる音楽を勉強するようになったんです」(『Wax Poetics Japan No.03』)と語っており、映画『野性の証明』(1978年/監督:佐藤純彌)などでも時折顔を覗かせている。

 予算の問題かドラム、ベース、オケはシンセ代用。デビュー間もないシンセシスト吉田潔(当時PENGUIN POWER MUSIC)も精力を傾けるが、これまでの大野サウンドとは趣を異にする。「シンセって面白い楽器でもあるけど、人の音、人間には敵わない。だから補助的に使っている感じです」(2021年『ルパン三世アニメ全史ぴあ』より)とあるように、シンセ比率の高さには内心忸怩たるものがあったようにも思う。一転、M-06「エア・コマンダー」などでは村岡健がサックスを吹きまくる大野印のジャズフュージョンを聴くことができ、ルパン系譜の音を望む人には溜飲が下がる1曲だろう。M-5の「ロマンス」は、古川望のアコギや村岡のテナーと弦カルテットで構成された『小さな旅』路線の旅情メロウ。またM-9「ディフェンジヴ・バトル」は派手なオケヒットに無国籍ブラスを重ねた、ルパンのアクションシーンを思わせる曲調で、和製ボブ・ジェームスと呼ばれたシティサウンドを随所に織り込んでいる。

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