若者にヒットする音楽「ダリハイ」とは──Lost Frog Productions・石原ハルオに聞く、“Hyperflip/Dariacoreの現在地”
名義を使い分ける文化とテーマ性
——ところで、冒頭から話題に挙がっているagataさん……現在のsega73さんですが、かなり名義が多いですね。同じアルバムの中で使い分けていたりもするし、最近Hyperflipのシーンで使っていた名義での活動を終了して一本化していたりする人もいますよね。
石原:そうですね。これはそれこそ、「○○core」系の特徴であるテーマ性に由来しています。『Daria』をテーマにしたLeroyに倣って、自分の楽曲にテーマを定める人が多くて、それによって名義を分けている人が多いんですね。
——単にアニメがテーマというだけでなく、作品ごとに分けている?
石原:そう、ある特定のコンテンツをテーマに据えて、その世界観を表現していく、というコンセプトがあるんですよ。なので、コンテンツごとに名義を分ける人が多いんです。まあ、中には全然関連していないものも多々あるんですけど(笑)。
——Hyperflipの中でも、アーティスト名がある種ジャンル分けというか、タグとして利用されていると。つまり、そのアーティスト名で調べれば、同一人物の統一された作品が聴ける、と。サンプリングミュージックならではですね。
石原:その辺も最初に私が面白いと思った部分で、それまでアーティスト名自体にテーマがある音楽って、そこまで多くは聴いたことがなくて。アーティスト名とその楽曲をもう一つのコンテンツにしてしまう、という行為がすごく面白いなと思ったんですよね。
——だからHyperflipの名義には、『ウマ娘(ウマ娘 プリティーダービー)』のウマたちの名前だったり、アニメキャラの名前の人が多いんですね。Hyperflipをディグろうと思ったら、アーティスト名にも注目してみると面白いと。
石原:そうですね。ニッチな発想ではあるけど、ネット発祥だからこそ、リスナーの共感を得られやすい要因の一つだと思います。
——過去にさまざまなネットレーベルが立ち上がった中で、今回のHyperflip/Dariacoreのような爆発的な盛り上がりは、過去類を見ないものですか?
石原:私が触れてきた範囲では、Hyperflipのように一種独特な盛り上がり方のムーブメントはなかったと思います。
30年以上音楽を聴き続けていて、いくつかのジャンルやムーブメントが出現した瞬間に立ち会ってきましたが、過去のそういったものとHyperflipを比べて、そのどれにも当てはまらない雰囲気を感じています。
というのも、90年代はネットが全然普及していない時期だったので、盛り上がり方も感じ取れる範囲も違うんですよね。今みたいにネットがあると、それをSNSに書いている人がものすごくいっぱいいることを直接観測できる。でも昔は、ライブハウスやクラブといった場に行ってはじめて「あ、こういうのが好きなお客さんって実はこんなにいたんだ」と分かる感じでしたから。
——たしかに、ライブハウスやクラブに足を運んでも「クラブに遊びに来たのか」「好きなジャンルを楽しみに来たのか」の区別が付かないし、かといってダイレクトな感想を知る方法もないですもんね。
石原:そう。なんとなく雑誌で取り上げられていたら「盛り上がっているのかな」と思うくらいで。だから今って、生の声みたいなものが、検索すればバーッと出てくる。そこがものすごく「今っぽい」感じで。盛り上がり方だけで言えば、過去のものに一致するものはあるかもしれないんですけど、そういう時代背景も含めて、違うかな、と思っています。
Lost Frog Productionsと石原ハルオの30年
——Lost Frog Productions自体の歴史についても伺わせてください。創設が1990年代とかなり古く、もうすでに30年近く運営されている、日本最古級のネットレーベルと言っても差し支えないのかなと思うんですが、そもそも創設当初は、どのような音楽を発信していて、どんなコミュニティだったのでしょうか。
石原:一応1992年に設立しているのですが、まだ専門学生だった頃、学校の仲間と一緒に始めたバンドの曲をリリースするために立ち上げたんです。いわゆるバンドサウンドを中心に扱うレーベルでした。その後、音楽活動を続けていく中で、同じシーンの面白いバンドや仲間と知り合う機会が増え、「自分たち以外のアーティストも紹介したい」と思うようになり、本格的にレーベルとしての活動を広げていくことになります。
ちなみに「バンドサウンド」といっても、一般的にイメージされるようなJ-POPや邦楽ロック的なものではなく、もっと歪で実験的なサウンドでした。元々、高校生の頃からノイズミュージックなどが好きで、私のルーツはそういう尖った音楽にあるんです。18歳で上京した当時、アンダーグラウンドなシーンで「スカム・ミュージック」がすごく盛り上がっていた時期でしたね。
「スカム(Scum=カス、ゴミ)」を直訳すると言葉は悪いですが、要するに「本当はうまく演奏したいのに、技術が追いつかなくて滅茶苦茶になってしまっているような天然の音楽、もしくは疑似的に同じような行為をしたもの」を指す、90年代のムーブメントです。ただ、それは決して否定的な意味ではなく、むしろ最高のリスペクトを込めた表現。下手くそだろうが何だろうが「どうしても音楽で表現したい!」という、純粋すぎる音楽愛に溢れた素晴らしい世界なんです。その剥き出しのエネルギーにものすごく惹かれて、初期のLost Frogはそういった変で愛おしい音楽を世に発信していました。
——石原さんのことを調べていると、サーファーズ・オブ・ロマンチカの名前が出てきますね。
石原:上京して真っ先にレコード屋で買ったのが、サーファーズ・オブ・ロマンチカのソノシートだったので、当時の私からすると憧れのバンドでした。レーベル活動をしていく中で、おもしろい音楽を扱ってるやつがいる、みたいな感じで、サーファーズのメンバーと仲良くなって。それで前任者のベーシストが脱退した際に、声をかけてもらい加入しました。94年か95年くらいでしたね。この時ばかりは、さすがにレーベルをやっていてよかったと思いましたね(笑)。
——ネットレーベル化したのはいつ頃からですか?
石原:90年代はカセットテープやCDなどのフィジカルでリリースしていましたが、2002年にネットレーベルへと移行しました。実はうちより前に日本でネットレーベルを名乗っていたところもあったらしいのですが、そこは2~3年ほどで終了してしまったため、現存する日本のネットレーベルとしては、おそらくうちが一番古いんじゃないかと思います。あのMaltine Recordsなどが出てくるのが2005年頃なので、それよりも前の話ですね。
当時はネットレーベルという仕組み自体に詳しくなかったですし、どこが一番古いかなんて全く気にしていませんでしたけど(笑)。
ただ、ちょうどこの時期から本業でWeb制作の仕事をしていたこともあって、海外でネットレーベルが盛り上がり始めているのを目にし、「これからはネットの時代だし、こういう選択肢もありだな」と自然にシフトしていった感じです。
それと、もう一つ大きかったのが、ちょうど我が家に子どもが生まれた時期と重なっていたことです。当時はレコードを買う余裕がなくて、音楽に思うようにお金をかけられない時期でした。だからこそ、「同じような境遇にいるリスナーのためにも、無料でデジタル配信するという選択肢はどうか」と考えたとき、一気に気持ちが傾きましたね。
——同じ境遇の人たちに向けた取り組みでもあったんですね……。また、ネットレーベル化には海外からの影響もあったんですね。
石原:Wayback Machineなどのサービスを提供している「Internet Archive」というサイトの中に、「ネットレーベルを保存する」というセクション、取り組みがあるんですよ。
当時、自分でサーバーを借りようとすると維持費が高額でしたので「無料でアップロードできるところはないかな」と探したときにInternet Archiveの存在を知って。そのときに「ネットレーベル」という言葉自体も初めて知りました。私が記憶する限り、「ネットレーベル」という言葉自体も、Internet Archiveの「Netlabel Collection」が発信源だったような気がします。
当時、海外のレーベルはすでにかなりの数がInternet Archiveに登録していて。私も参加したいと思って、Internet Archiveにメールを出して「どうやったら参加できますか」と聞いたんです。結構ちゃんとした審査があって、アクティブに活動しているレーベルなのか、と問われて。Lost Frogの場合、ネットレーベル自体は初めてだったので、カセットテープやCDでのフィジカルリリースの資料を提出した記憶があります。
無事に審査に受かって登録、という流れで、そのとき初めて「他に日本人でここに登録している人はいますか」と担当者にたずねたら、「君が初めてだよ」と言われたんです。なので、Internet Archiveにネットレーベルとして初めて登録したのは、日本ではうちが初めてのはずです。