なぜAnthropicの最新AI「Mythos」は“カピバラ”と呼ばれたのか ソフトウェアのコードネーム文化を考える
2026年3月末、Anthropicの社内ドキュメントが設定ミスで一時公開された。そこで存在が明らかになったのが、次世代AIモデル「Claude Mythos」である。4月7日に正式発表され、一般公開はせず、Apple、Google、Microsoft、JPMorganなど約45組織にのみ限定提供されることが告げられた。OSに27年間潜んでいた脆弱性を発見するほどの能力で、FRB議長が緊急会合を招集するほどの衝撃を与えた。
注目したいのは、そのAIの社内コードネームだ。「Capybara(カピバラ)」ーー動物園でゆず湯に入る姿で有名な、あののんびりした齧歯類。世界最強クラスのAIに、なぜそんな“ゆるふわ”な名前がつくのか。
ソフトウェアに“あだ名”をつける文化は古くからある
コードネームの文化はAIに始まったわけではない。AppleはMac OS X 10.0を「Cheetah」と名づけ、Puma、Jaguar、Panther、Tiger、Leopard、Lionと大型猫科の動物を順に当てていった。10.9からはカリフォルニアの地名、Mavericks、Yosemite、Big Surと切り替わる。
GoogleのAndroidはCupcake、Donut、Eclairとアルファベット順のデザート。MicrosoftのWindows XPは「Whistler」、Vistaは「Longhorn」で、どちらもカナダのスキーリゾートに由来する。Longhornに至っては、WhistlerとBlackcombという二つの山のあいだにあるバーの名前だ。
名前は単なるラベルではない。その会社の文化と世界観を映す鏡である。Appleは自然の序列を、Googleは親しみやすさを、Microsoftは社員が通ったスキー場の記憶をプロダクトに刻んできた。開発中のソフトウェアに愛称を与えるという行為は、半世紀近く続いてきた小さな儀式だ。
Anthropicの“3つの詩”、そして神話へ……
Anthropicは別の系譜を選んだ。詩の形式である。
最速・最安のモデルは「Haiku」。17音で情景を凝縮する俳句のように、少ない計算量で鮮やかに応える。
中間モデルは「Sonnet」。ソネットはシェイクスピアも多用した14行の定型詩で、決められた枠のなかに豊かな感情を織り込む。そのバランス感覚を、速度と深さの両立に重ねている。
最上位は「Opus」。作曲家が生涯を賭けた大作を指すラテン語だ。バージョン番号だけでは伝わらない役割と性格を、詩の形式で示そうとした。
そして2026年、そこに「Mythos」が加わった。ギリシャ語で神話、物語。Anthropicは「知識とアイデアを深くつなぐ組織的な連結を想起させる」名前として選んだと説明している。俳句、ソネット、作品、神話……短い詩から長い物語へという拡張の系譜だ。内部で「Capybara」と呼ばれていたのは、その神話モデルの愛称である。
AI業界の頂点争いは「カピバラ VS ジャガイモ」に
Anthropicから流出したコードには、Fennec(フェネック)、Numbat(フクロアリクイ)といった名前も並んでいた。面白いのは、いずれもかわいく、そして珍しい動物が選ばれていることだ。強そうな猛獣ではなく、絶滅が危惧される小型動物たち。世界を震撼させる性能のモデルに、あえて柔らかい名前を当てている。
OpenAIも同じ傾向がある。o1の開発コードは「Strawberry」、2026年3月に事前学習を完了した次世代モデルは「Spud(ジャガイモ)」だ。サム・アルトマンが「経済を加速させる」と語る最強候補の社内名が、根菜。Googleのデザート、Microsoftの都市名と並べてみると、業界の頂点争いが、カピバラとジャガイモで繰り広げられていることになる。
コードネームは、本来は正式名称が決まれば役目を終える暫定のラベルだ。それでも開発者は、半世紀ちかくプロダクトに愛称を与え続けてきた。機密保持だけが理由ではない。目に見えない無機質なコードに「Lion」や「Cupcake」や「Capybara」と名前を与えるとき、それは生き物になる。開発チームは、自分たちが育てている対象を人格化して呼ぶ。
ただしAIには、これまでのソフトウェアにはない特殊性がある。名前をつけられた対象が、自分の呼び名を含んだ言葉で応答するということだ。Claude Opus 4.7に「君のコードネームは?」と訊けば、ネット上に流出したCapybaraの情報を踏まえて答えを返してくる。開発者が与えた愛称が、学習データを経由してモデル自身に届き、ユーザーとの会話に戻ってくる。命名という一方的な行為はAIの時代に入って循環し始めている。
日本の妖怪「天狗」も登場、次なるコードネームは?
ちなみに漏洩したコードのなかには、まだ公式には使われていない「Tengu」の名があった。西洋由来の動物名が続くリストに、なぜ日本の妖怪が混ざっているのか。誰かの趣味か、文化への敬意か、単なる語感か。
どれだけ性能が上がっても、どれだけ機密が厳しくなっても、開発者はAIに名前をつけることをやめない。むしろ能力が高くなるほど、その愛称はかわいいものになっていく。2026年は、最も強力で、最もかわいらしい動物園が作られつつある年なのかもしれない。