AIは楽器に過ぎない 菊地成孔が考える「音楽は誰のものか」という根源的な問い

 2026年3月5日、三軒茶屋・キャロットタワーで開催されたトークイベント『MY PLAYLIST』第6回。音楽家/文筆家の菊地成孔と、彼が率いる音楽制作ギルド「新音楽制作工房」の大野格をゲストに迎え、聞き手は編集者/批評家の松村正人が務めた。

 音楽生成AI「Suno」では1日約700万曲が生成され、2週間でSpotifyの全カタログに匹敵する量の楽曲が生まれているとされる。人類史上最も大量に音楽が生み出される時代に、菊地が語ったのはテクノロジーが明らかにする「音楽は誰のものか」という根源的な問いや「人間の音楽的死角」だった。

OpenAI「Jukebox」の衝撃

松村正人、大野格、菊地成孔

 松村の問いかけに菊地が応じながらイベントは進行。まず、昨年末にリアルサウンドテックが掲載した「音楽生成AIをめぐる年譜」に沿って菊地が「AIの問題は光の速度で日々更新される」と3年を回想した。

 年譜は2023年の「Suno」サービス開始から始まる。しかし菊地にとって、AIのグラウンドゼロは2020年。OpenAI「Jukebox」が生成したフランク・シナトラ風の「Over the Rainbow」だった。当時は1分尺の生成に9時間かかる仕様だったが、「MIDIの贋作とは比べ物にならない。腰が抜けました」と自身が受けた衝撃について語る。

 特に菊地が大事だと考えている訴訟問題でも、2025年は激動だった。RIAAとメジャー3社(ワーナー、ユニバーサル、ソニー)から著作権侵害で訴えられていた、生成AI「Suno」と「Udio」が続々とライセンス契約を締結。「Jukebox」から5年、「Suno」から2年、訴訟を経て音楽生成AIは事実上の適法化に至った。

 これについて菊地が引き合いに出したのは、P2Pによる無料MP3共有で一世を風靡した「Napster」をめぐる裁判。その判決でファイル交換サービスが閉鎖され、入れ替わるように「iTunes」などの配信ビジネスが登場した。現在における我々のストリーミングの出発点はここである。

 そんな歴史を知っているからこそ、菊地は「『Suno』と『Udio』は負けて別のビジネスモデルが出るか、大手と必ずWin-Winになる」と予測していたのだった。

AIは楽器の子孫

 菊地のテクノロジー観はシンプルだ。彼にとって音楽AIは、オルガンやチェンバロをはじめとしたヨーロッパの楽器の発明から連綿と更新される、音楽機材の最新版。つまりシンセサイザー、サンプラー、MIDIと同じ「楽器の子孫」に過ぎない。

「そろそろ僕は63歳で演奏キャリアは40年以上、AIなしで死んでも問題がない世代。でも音楽を演奏し理論を教え、色々な研究もした上で『AIは悪いもの、怖いものではない』と判断し、使い始めたんです」

 彼は「AIで人間が不要になる」というディストピア論も「コストカットによってプレイヤーの仕事がなくなることもゼロじゃない。でも、それは過去のデジタル機材でも起きたこと」だと否定。ドラムマシンにしてもドラマーが不要になることはなく、むしろアルバム収録曲の半分が打ち込み、もう半分が人力演奏という作品があっても違和感のない時代になった。

 その柔軟な態度で2023年、『岸辺露伴は動かない/岸辺露伴 ルーヴルへ行く』のオリジナルサウンドトラック(OST)にバルトーク「弦楽四重奏」を学習させた「AI制作による二つの弦楽四重奏の同時演奏」を収録。これについて、当時ドラマ制作側や放送側、視聴者ともにスルーだった。

 ところが2年で世論は一変。2025年3月、映画『岸辺露伴は動かない 懺悔室』OSTについて「世界の娯楽映画史で初めてAIを用いて作曲した」というXのポスト、それを受けた6月に新音楽制作工房として発表した1万6000字超のステートメントがともに物議を呼ぶ。

 これには菊地も「以前は無風だったんですけどね」と苦笑い。菊地が主催する音楽コレクティブ「新音楽制作工房」でも、20人のメンバー内で親AIと反AIに分かれている実情もあるようだ。

音楽は誰のもの?

 日本において、反AIの火の手が公式に上がったのは声優業界だった。2024年10月、山寺宏一ら声優26名が「NOMORE無断生成AI」有志の会を結成。無断でAI生成された自身の声が商用利用される問題などを訴えた。その主張には正当性がある。

 だが菊地の観点によれば、この論理は音楽に当てはまらない。コピー&ペースト(コピペ)=盗作となる“著作(本)”や声と違い、コード進行やリズムのコピペ、既存曲のサンプリングが違法とはされないからだ。彼は過去の「ワン・レイニーナイト・イン・トーキョー事件」や「ゴーストバスターズ裁判」に触れつつ、「音楽的な剽窃を原理/構造的に証明した裁判は1件もない」と断言する。

 近年では、ロビン・シック&ファレル・ウィリアムス「Blurred Lines」をマーヴィン・ゲイの遺族が訴えた裁判も、最終的な判決は音楽構造ではなかった。制作側が負ける根拠となったのは、シックが「ああいうグルーヴの曲を作ろうぜ!」と公言していた事実と、曲の"雰囲気"の類似性だ(※1)。

 さらに「音楽における著作権は20世紀のアメリカで設計された」と彼は続ける。メロディラインと歌詞を合わせた「トップライン」を音楽のDNAかの如く絶対的に扱い、下部の輪郭線であるベースラインやリズムパターンを蔑ろにする権利ビジネスなのだと。

 「〇小節まではパクってもOK」という都市伝説を聞いたことがある人もいると思う。そういった言説が流布してしまうのも、ルールに不備があるからだと指摘した。

 菊地は、音楽の著作権という制度そのものに懐疑的な立場だ。「権利」という言葉には迫力があるが実情、こと音楽においては足場がグラグラのまま。音楽生成AIについても、明確に確立されていない権利を「侵された」と言っても成り立たないと言う。

 確かに、AIの是非を突き詰めると「音楽は誰のものか?」という根本を疑うことは自然なことなのかもしれない。菊地をはじめ、ジャズミュージシャンの多くは名演を“コピーする”ことで腕を磨くものだが、名プレイに著作権が発生していたら、現在における「ジャズ」という音楽の世界的豊穣はありえなかっただろう。

人間の死角にクリエイティビティがある

 菊地がAI作曲で最も注目しているポイントのひとつが、同じリリックで別の曲を作る「Alt.cover(オルタネート・カバー)」。同じメロディに違う歌詞を乗せる替え歌は容易だが、その逆は意外と難しい。

「人間が発想して行動すると、そこに限界が必ずあります。その死角をAIは簡単にクリアにするので、そこにはクリエイティビティがあると断言していいのではないかなと思いますけどね」

 さらには本人の音声モデルで歌を生成し、舞台上はリップシンクでパフォーマンスするシンガーのプロデュースや、ドラムの音がストリングス音にシームレスに変化するような音のモーフィングなどAIへの興味は尽きない様子だった。

 イベント終盤、菊地はサックスを手に取った。フランスの研究機関IRCAMが開発した即興演奏AI「OMax」。MIDIやオーディオをリアルタイムで学習し、演奏者の音楽語彙を使って応答するシステムだ。それをDAW「Ableton Live」を使って出力する。

菊地成孔、即興演奏AI「OMax」とセッション(トークイベント『MY PLAYLIST』第6回より)

 今回はブーレーズのピアノ曲「構造 第1集」を学習したAIが、菊地の演奏を「聴いて」応答する形で伴奏を生成。会場のスピーカーからは、断片的なフレーズが即座に返ってくる。一瞬で生成する「Suno」などとは根本的に異なる対話としてのAI技術は音質もよく、クラシック的な現代音楽の質感として聴き応えがあった。

 菊地は90分という短い時間で、AIについて多くを語った。テクノロジーは道具であり、著作権は揺らいでおり、人間には死角がある。だからこそ面白い。63歳のAI推進派は、その面白さを手放す気がないようだ。今日も「Suno」が700万曲を生成する、この世界で「音楽は誰のものか?」と問われたとき、我々は何と答えるだろう。

※1:https://realsound.jp/2015/07/post-3929.html

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