青空と「終わり」、世界と「セカイ」――『リバースブルー×リバースエンド』が提供する、現代の「読書」体験

『リバ×リバ』が提供する現代の読書体験

 そのスマホゲームはなぜか私の心を捉えた。はじめは適当なYouTube動画を再生したときに広告として流れたのだったと思う。青空を浮遊する少女。「配信遅延」だとか「覇権」だとかいったメタ的なセリフを可視化する、明朝体のモーショングラフィック。どこかで見たような要素の寄せ集めでありながら、そのことに自覚的なようにも思える、この独特の感触は何だろう。

《リバースブルー×リバースエンド》TVCM 「覇権だなんだ」篇

 なかでも私の心を捉えたのはその名前だった。『リバースブルー×リバースエンド』。スマホゲームでありながら、「青空」と「終わり」を主要モチーフにしているところに、大いに関心を持ったのだった。というのも、筆者はスマホゲームも含むクラウドを前提とした「終わらない」コンテンツ供給/消費の現状に対して疑問を呈するために、「終わり」のモチーフとしての「青空」を置くという内容の本を書いた人間なのである(『「世界の終わり」を紡ぐあなたへ――デジタルテクノロジーと「切なさ」の編集術』、太田出版、2024年)。

 論旨としてはこうだ。スマホゲームやストリーミングサービスは、ビッグデータに基づいて各ユーザーに最適化したコンテンツを絶え間なく供給する。アニメを例に取れば、テレビ放送においてはオープニングとエンディングという形式の存在によって意識できていた「作品(の終わり)」という「世界の終わり」が、ストリーミングプラットフォームにおいては本編を観終えた瞬間に次のタイトルがレコメンドされるため、意識することが難しくなる。「鑑賞する」という行為はアルゴリズムによって規定され、それ自体がアルゴリズムに情報を提供する「労働」と同義になってしまっている。

 デジタルテクノロジーは「作品」を「情報」に、「鑑賞」を「労働」に変えるものでしかないのか。そうではない。2000年代初頭の、インターネットとPCが普及し始めたばかりの時代には、それまで個人では作ることが難しかったアニメや音楽がPC上で作られ、インターネットを通じて遠くの誰かの心を動かすということがポジティブな可能性として信じられていた。その実例こそ、新海誠がPC一台で自主制作し、彼自身の個人サイトを起点に広まったアニメ『ほしのこえ』である。宇宙生命体との戦争に象徴される「世界の終わり」のイメージと、地上と宇宙に引き裂かれた少年少女の(ガラケーを通じた)コミュニケーションが織りなす空気感は、遠くの出来事(世界)と身近な出来事(セカイ)とをワープ的に結びつける想像力、〈セカイ系〉と呼ばれた。

 このように、デジタルテクノロジーと「世界の終わり」が共存できていた時代の表現として〈セカイ系〉を参照することによって、現代のデジタルテクノロジーとの向き合い方を再考するというのが拙著の取り組みであった。

青空はなぜ「世界の終わり」と相性が良いのか

 「世界の終わり」と「青空」は相性が良い。〈セカイ系〉のオリジンとされるテレビシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』のオープニング映像を思い出してもらっても良いし、『ほしのこえ』でも、少女がクライマックスでたどり着く惑星で青空が印象的に描かれていた。なぜ青空はかくも「世界の終わり」と結びつくのか。それは空の青色が、日光が空気中の粒子に乱反射して私たちの目に見せているものにすぎず、「どこか遠く」に存在していそうでありながら、実質的には「無」であることに由来すると思われる。

 『リバースブルー×リバースエンド』においても「青空」は、「世界の終わり」と結びつくものとして捉えられている。本作の世界は、人類を弄ぶ神々によって八度の滅亡を迎えており、現在時点で九度目の人類史をたどっている。神々は今度こそ人類を滅ぼすために、星の認知――星自体に知性があるかのような物言いである――を「はじめから人類などという存在はいなかった」というものに書き換えることを実行しようとしており、そのための手段として神々が作り出した仮想世界「神域」を人類の守護者たるプレイヤーたちは、「魔王」として滅ぼさなければならない(「神域」にも仮想とはいえ住民がいるので、彼ら彼女らからすればプレイヤーたちは世界を滅ぼす「魔王」なのである)。そして、首尾よく世界を滅ぼせたとき「位相が反転」し、「END BLUE」と呼ばれる「青空」が現れる。

 こうした神々と人類との戦いは、何が真実で何がフィクションなのかを独断的に決定する視座、メタ視点を奪取しようとする神々に対して、それを阻止しようとする人類側の戦いなのだと言えるだろう。事実、これまでの八度の人類史や「神域」は、「剣と魔法の世界」だったり「SF的な科学文明の高度に発達した世界」だったり、それぞれが異なるフィクションジャンルのように描かれている。

 本作のプロデューサーはインタビューの中で、「いわゆる“ソシャゲあるある”や“スマホゲーのお約束”が盛り沢山です。そして、我々はそれを否定しません。むしろ、ポジティブにソシャゲを作ろうとしています」と語っている。システム的な部分だけではない。設定的にも、人類史の危機を阻止するべく数多の世界をめぐるという設定は『Fate/Grand Order』っぽい・・・し、プレイアブルキャラクターが学生相当の見た目の不老不死の存在であるというのは『ブルーアーカイブ』っぽい・・・。「スクリプト」と呼ばれる、いわゆる装備品アイテムのイラストカードはライトノベルの表紙風にデザインされており、このキャラのこの設定はライトノベルに見られる「お約束」的なものですよ、ということを自ら主張している。

参考(外部サイト):キャラも作り手も全員“好き”放題!ハピエレ× グリモア新作『リバースブルー×リバースエンド』目指したのは“古きよきソシャゲ”【プロデューサーインタビュー】

 しかし、それをニセモノだとかホンモノだとか断定せず、「っぽさ」自体を肯定するということがひとつのテーマになっていると思われる。それは一義的には「好きなことを好きなようにやり、好きにした」という作り手側の宣言なのだが、受け手である私たちにとっても意義深いテーマとなっている。

『リバ×リバ』が歩もうとする「失われた第三の道」

 ソーシャルメディアが普及した現代では、メタ視点に立って賢しらにコンテンツを論じることのハードルが低くなっている(そう考えるとアルゴリズムによるレコメンドに身を任せるのも、そんな不毛な論争から距離を置き、いっそ価値判断を機械にアウトソーシングしてしまいたいという願望の表れであるようにも思え、一概には否定できない)。何を観ても聴いても「既視感があるよね」と簡単に嘯いてしまえる現代のニヒリズムを、「打ち倒すべき神々」という形で本作は取り込んでいるのである。そして、既存のものと似ていようが知ったことか、自分はこういうのが好きなんだと蹴っ飛ばす、それが本作の開発会社であるグリモアが社是として掲げる、「中二病を救う」ということなのだろう。

《リバースブルー×リバースエンド》PV 2nd & Opening Movie "Ebullient Heartbeats"

 「中二病」とは何か。ここでも〈セカイ系〉が補助線になる。前島賢『セカイ系とは何か』によれば、もともと先述したような特徴を持つ物語の持つ雰囲気、まさしく「っぽさ」を言い当てる言葉にすぎなかった〈セカイ系〉は、「なぜ自分たちは、ゲーム、マンガ、アニメ、ライトノベルといった虚構の世界の人物に、巨大ロボットや宇宙戦争や密室殺人などという物語に、率直に自己を重ね合わせ、感動しているのか?」といった自己言及をその内に織り込んだ、「オタクの自意識」を描く「文学」として成長していった。「中二病」とは、この意味で〈ポスト・セカイ系〉の一種であると言えるだろう。〈セカイ系〉として括られることも多い『AIR』『涼宮ハルヒの憂鬱』といった作品のアニメ化を手がけたのち、『けいおん!』のアニメ化で「日常系」のムーブメントを生んだ京都アニメーションが、初の試みとして自社レーベルから刊行した小説作品をアニメ化する際にこの題材を選んだことに象徴されるように(『中二病でも恋がしたい!』)、「中二病」とは勇者も超能力も「世界の終わり」も存在しない現実の中で、あたかもそれらが存在するかのようなマインドで生きること……退屈な日常の中に、自らがそれを演じることで「セカイ」を埋め込もうとする、傾奇者の態度なのである。

 そして現在。さらに時代は下り、この十余年の間に進行したのは、どんなコンテンツを愛好しているのかがすっかりアイデンティティ表明のツールとなり、またアニメカルチャーもすっかり人口に膾炙したことで、ある種の自己防衛として当のオタクが「中二病」を「冷笑」して距離を取るという事態だった。ソーシャルメディアのタイムライン上で、いわばすべてが「世界=現実」化し、個人的なカッコよさを追求する領域としての「セカイ」が消滅したのである。

 終わりなき自己言及のループに陥り自意識をこじらせるのではなく、かと言ってあらゆるものにメタな視線を向ける冷笑主義でもない、あえてベタの次元にとどまり傾奇者を演じ続けるという、失われた第三の道を本作は進もうとしている。開発陣の言葉を借りて、それを「中二病」と呼んでもいいのかもしれないが、筆者はそれを「セカイ」の回復、と呼びたい。

「中断しやすさ」と「長期運営」を両立する、「読書」をモデルとした設計

 では、こうした本作の世界観は、どのようにゲームとして実装されているのか。結論から言うと、本作はゲーム部分――与えられた目標を戦略を立てて達成するプロセス――以上に、スマホゲームにおける「読む」体験の追求において、唯一無二の実装が行われていると感じる(もちろんゲーム部分が面白いと評価する人もいるはずだが、それを比較検討するには筆者には圧倒的にゲームという娯楽そのものの経験値が足りない)。

 本作のプロデューサーはシナリオについて、先述したインタビューの中で「細かく完結を用意し、ユーザーの皆さんが人生の節目のいつでも中断しやすいように、逆に言えばいつでも戻ってきやすいようなシナリオ構成を目指しています」と語っている。「ログインボーナス」や「デイリーミッション」などあの手この手で接触機会を高めようとする――それは「日課」を超えてほとんど「労働」に近づいていく――のが基本のスマホゲーム運営において、むしろ「中断しやすい」ことをポジティブに捉える発言をしているのは興味深い。

 もちろん、上記に続けて「なるべく長く運営を続けていきたい」とも語られている通り、この「中断しやすさ」はサービスが継続することと不可分である。そのために本作のプレイ体験は、「読書」をモデルとして設計されているのだろう。読書というものの良いところは、読む側の任意のタイミングでいつでも止めることができ、それゆえに長く付き合うことができるという点に尽きる。

 まず言及すべきは、ゲーム内機能としてWikipedia的な用語集が実装されている点だ。本作のテキストには、初見では理解不能な専門用語が目くらましのように登場するのだが、そのすべてがホーム画面から入ることのできる「リリィの本屋」内にあるDATABASE(用語集)の中に登録されていくのである。用語集の余白を埋めたいという気持ちがさらにメインストーリーを読み進めさせ、用語集自体もまた読み応えがあるというポジティブなフィードバックループを生んでいる。

 用語集への案内役である謎の少女・リリィは、メインストーリー中においてもプレイヤーを「我が読者」と呼び、本質的にこのアプリが「読む」ものであることを意識させてくる。冒頭で紹介した、メタ言及的なセリフを発するプロモーションムービーの語り手も彼女であり、いわば第四の壁を破ってこちら側に語りかけてくる存在なのだが、こうしたキャラクター配置からもゲーム全体が「読み物」として設計されていることは明らかだろう。

 「読み物」としての追求は、戦闘画面にも見て取れる。キャラクターが必殺技を出す瞬間には、ボイスとともにその技の名前が画面に大写しで表示される演出が入るのだが、これは西尾維新作品や冨樫義博『HUNTER×HUNTER』の能力名に見られるような、ルビと文字面がまったく一致しないような表現を思い出させる。日本語は――「世界」を「セカイ」と表記できることがまさにそうなのだが――漢字・ひらがな・カタカナ・英数字と、さまざまな視覚的特徴を持った文字を組み合わせて「絵」として表現できる唯一無二の言語だ。こうした文字を視覚効果として捉える発想は、いわゆる「ボカロ以降」に一般化したミュージックビデオやリリックビデオの文法とも近く、本作を私に最初に印象づけたプロモーションムービーの表現とも一致している。

 本作よりも文学的なレトリックの多彩さや哲学的なテーマの掘り下げについて勝るスマホゲームは、おそらく幾つも存在するだろう。本作のテキストの内容そのものは、一見いかにも「ラノベ的」で、「軽い」。しかし、スマホゲームのインターフェースに最適化された、「観る」ことと「読む」ことを一体化させ、さらにシステムを噛ませることでインタラクティブな面白さも加えた広義の「ビジュアルノベル」として、ありそうでなかった体験を提供している。

「世界の終わり」の価値を問い直す作品に

 本作、『リバースブルー×リバースエンド』は、印象的な「青空」のビジュアルの下、「読む」ことに重きを置いたインターフェースを備えることで、現代における「作品」=「世界の終わり」の価値を問い直す。今回、筆者の専門(?)なこともあり〈セカイ系〉というタームを用いて論じてきたが、それは本作が〈セカイ系〉的であると言いたかったというよりは、〈セカイ系〉がなぜデジタルテクノロジーの普及期において出現したのか、そして、それを現代において論じ直すことにどういった意味があるのかという、〈セカイ系〉という概念が射程に収める問題系そのものを構造化したような一作だと感じるからである(そして、それゆえに本作は注目すべき一作なのだと筆者は確信する)。

 実のところ、本稿を書くのにだいぶ長い間本作を「読む」のを中断してしまっており、こうしている間にも早く続きを「読み」たくなっている。このあたりで筆を置き、ひとりの「読者」に戻ることにしよう。

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