VTuber文化の広さとグラデーションを表現するために 岡本健×山野弘樹が明かす、『VTuber学』に込めた思い
VTuberを学問として捉えることで、世界はどう変わる?
バーチャル美少女ねむ:最後に、VTuberを学問として捉えることで今後世界がどう変わるのか、どうなるのを望んでいるのかといったことをお聞かせください。
岡本:私が『VTuber学』を作りたかったもう一つの強い動機としては、「VTuberを研究したい」という学生が増えてきたというのがありまして。研究をするためには、先行研究をしっかり探して読むことがとても大切なんですね。これまでは先行研究が見つけづらかったりした部分もあるのですが、入口として『VTuber学』を読んで、そこでさらに引用されているものに触れたりしながら、より深く調べてほしいと思っています。
内容としても、本当に様々な方がいろんなことを書かれていますし、引用もされていますので、元の論文や書籍にもアクセスしやすくなっていると思います。『VTuber学』を小さな地図のようなものにしていただいて、そこからもっとディープで広大なVTuberの世界に踏み込んで、自分なりに研究を進めてもらえたらと思っています。『VTuber学』の存在をお見せすることで、学生さんたちに「研究していいんだ」と思ってもらいたい。
くわえて、学生以外の方も研究してディスカッションができるような、そんな環境ができたらいいなというのも、ひとつの野望として考えています。冒頭でもお話ししたように、VTuberはインターネット、メディア、コンテンツなどさまざまな文化の結節点なので、そういった様々なサブカルチャーやメディアコンテンツを扱えるおもちゃ箱のような学会ができたら、きっと楽しいのではないかと思っています。
山野:VTuberというコンテンツ単体を研究するという土壌ができたことが、『VTuber学』刊行の大きな意義になっていると思います。今後、たとえばフィクション作品の系譜の中にVTuberを位置づけたり、あるいはインターネットの歴史、ライブ配信の歴史の文脈の中にVTuberを位置づけたりするときに、「VTuberとはどういうものか」という共通理解の土台になると思うんです。
VTuberのことを、単に「アバター付きの、顔を出さないタイプの配信者がいる」という風に整理してしまうと、あまりにもカルチャーのことを捉えられていないじゃないですか。
簡単に分類するだけでも、人々が気軽にアバターを身にまとって配信する「なる」タイプのVTuberがいる一方で、電脳世界やバーチャル世界から「来る」タイプのVTuberがいる。そうした様々なタイプの配信を実践している配信者や、それを受容しているリスナーが、どんな形でこのカルチャーを育んで、どういう見せ方をしているのかという部分に着目をしないと、VTuber文化の面白さや独自性は見えてこないと思います。
VTuber、メタバースの住民、REALITYを始めとするアバターを使った配信者やライバーを全部同じようなものとして捉える見方はあまりに単純すぎるし、何より、それぞれのカルチャーの特徴や多様性を掴み損ねてしまっています。
そういった細かな違いがあるものを、『VTuber学』という土台を出発点にすることでよりよく理解することができるし、インターネットの歴史やライブ配信の歴史、フィクションの歴史、ビデオゲームの研究といった様々な文脈にVTuber研究を位置づけることができる。適切な位置づけをしながら広い文脈でインターネットのカルチャーを相対的に見てみたり、フィクション論という文脈でより大きい研究をするための非常に大切な一歩を踏み出すことができたんじゃないかなと思っております。