なぜ2024年にフィルムカメラの新製品が続々登場? 若者からも支持を集める理由とは

デジタルでは得られない、フィルムカメラの「体験と描写」

 なぜフィルムカメラが若者の支持を集めるのか? そこには「体験」と「描写」の2つの理由があると推察する。筆者は子どものころ、旅行に「写ルンです」を携行した記憶があるが、いまの若者にはこの経験がほとんどない。そうした世代の人々にとってフィルムカメラの撮影行動が新鮮に映ることは理解できる。撮影した結果をすぐに見られないことすら楽しいはずだ。

『写ルンです』の公式WEBサイトには撮影の方法が細かく記載されている。

 また、撮影枚数が「有限」だということも重要なファクターだろう。スマートフォンの普及以後、撮影は非常に容易かつローコストになり、日々の記録を画像に残すことは日常的で無制限な行動となった。しかし、フィルムカメラを手にとって撮影枚数が有限になった瞬間、この行動に取捨選択が生まれる。こうした選択は技術が進歩しても変わらず楽しい行動であるということだ。これは現在、音楽メディアの世界でカセットテープが再興していることにも似ている。ストリーミングサービスもほぼ無限に音楽を再生できる仕組みだが、カセットテープで聴く音楽は有限の幅にある。この選択自体が体験であり、面白いのだ。

 描写においてもフィルムカメラで撮影する画はデジタルカメラがもたらす画とはまったく違う。描写の決定にはさまざまな要素が絡むので細かい説明は避けるが、たとえばフィルムの粒子感は若い人には新鮮に映るようだ。本来フィルムというのは粒子が細かい(粒状性が低い)ほど描写が美しいとされるものだが、近ごろは粒子の粗さをウリにするフィルムすら散見する。色温度や色の転びを撮影時に調整できないこと、同サイズのセンサーと比べてダイナミックレンジが狭い(ラテチュードが狭い)ことなども独特の描写の一因である。

『Nikon FM2』+Planar 50mm F1.4 ZF、Fuji Superia Premium400にて撮影

 また周辺光量の落ち込みや解像の甘さ、周辺の流れ、湾曲など、本来カメラレンズの"欠点"として扱われる描写についても、フィルムカメラで撮影した画像を未補正で楽しむ上では"味"になる。古いカメラのこうしたトーン、あるいはこうしたトーンを模倣した編集が流行するのは今に始まった話ではなく、現在の状況は筆者が中高生のころに起きた"トイカメラブーム"にも似ていると感じる。2000年代中盤に香港製中判カメラ『Holga』やソ連製カメラ『Lomo LC-A』の独特な描写が支持を獲得し、さまざまな雑誌やショップが「トイカメラ」を特集していた(ちなみにこの直後にデジタル一眼レフのエントリー機種が相次いで発売され、デジタルカメラの普及がより進むことになる)。

AI補正全盛の今こそ見直したい、フィルム独特のトーン

 最後にごく個人的な感想をいうと、昨今のスマートフォンでは撮影した画像に自動でAI由来の補正をかけることが一般化しており、高コントラストのカリッとした画像を簡単に得ることができるものの、あまり歓迎できない瞬間がある。

 特にAIによる画像の"補完"は補正の域を超えており、実像とはかけ離れてしまっていると感じる。私がフィルムカメラでの撮影を趣味としているのはこうした思いもあってのことだが、若い人々にもこうした「写りすぎ、きれいに撮れすぎ」の写真に対する反動として、フィルムカメラが流行しているとするなら少し嬉しい。

『Ricohflex VII』+ LomoChrome Metropolisによる作例。装填するフィルムによって描写が大きく変わるのもまた”味”である。

 今夏には香港のカメラメーカーMiNTが『Rollei 35 AF』を発売する予定だ。往年の名機『Rollei 35』を模したデザインにLiDARセンサーによるAF(オートフォーカス)を搭載するという野心的な設計で、発売前から新情報が公開されるたびにカメラファンたちを騒がせている。まだまだフィルムカメラの再興は続きそうだ。中古市場も活況で特にハーフ判カメラは人気が高い。家に眠っている古いカメラに心当たりのある方は、久しぶりにフィルムを詰めてみては?

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