『学園アイドルマスター』有村麻央の格好良さと可愛さに揺れ動く姿に感じた、“現代の菊地真”の姿
「現実を受け入れること」で生まれた、アイドルとして羽化する姿
実際にプレイしてみた感想としては、筆者が当初求めていたものとは違ったが、アイドルの成長を繊細に描いた良いストーリーだと感じた。有村の理想である「純粋な格好良さ」ではなく、自身に備わった可愛さを武器として使っていくこと、それを受け入れていく過程には一抹の寂しさを覚える瞬間もあった。しかし、格好良さへの執着から解き放たれることで、有村が自分自身を好きになっていく過程を見ていると、そこにはたしかにアイドルとしての魅力や輝きがあった。
ストーリーを進めていくと、最後には彼女の持ち歌である「Fluorite」が披露される。有村麻央を体現するような、内なる自分を受け入れて輝くさまを描いた楽曲なのだが、それを歌唱する彼女の歌声と表情は必見だ。
作中で語られた通り、可愛さの中に格好良さがチラ見えすることで、それがより際立つのである。
正直なところ、プロデュース方針に関して「妥当ではあるもののギャップ狙いか……」と思ってしまった瞬間もあった。しかし、プロデュースを踏まえたうえで前述のライブシーンを見ると、本当に魅力を引き出せている。プロデューサーに対して「半信半疑でいて申し訳なかった」と謝りたい気持ちだ。
そもそも何故菊地真に惹かれたのか その頃の気持ちを思い出す
自身と向き合い、可愛さを受け入れることで格好良さと両立させた有村の姿は、そもそも何故自分が菊地真に惹かれたのかを思い出すきっかけにもなってくれた。そもそも筆者が菊地真に惹かれたのは、有村麻央と同様に格好良さと可愛さのあわいを描く、理想と現実で揺れ動く狭間を写し取ったアイドルだからである。
菊地真が初めて登場した初代『アイドルマスター』は来年で20周年を迎える。菊地真で描かれたアイドル像や魅力は、形を変えてもなお輝き続ける普遍的なパワーがあると言える。その証拠に、菊地真は今もなお後継作品で活躍し続けている。
そして、そんな節目に登場した有村麻央は菊地真のコンセプトを再構築したアイドルなのだとも思える。幼少期の憧れが自身にとっての原点となり、成長とともに自身の外見によって悩まされることになる……そんな背景を持つふたり。異なる点としては、菊地真は格好良さを、有村麻央は可愛さを周囲から求められていることだろうか。ある種、鏡合わせのような関係性も見いだせる。
その菊地真を再解釈するように本作で描かれた有村麻央の物語は、自分らしさを優しく受け入れる内容となった。
有村麻央は、自分らしさに悩む人を応援するアイドルであり、「一歩を踏み出せば、きっと輝ける」ということを伝えてくれるアイドルである。筆者にとっては、昔憧れた菊地真をふたたび思わせてくれ、あらためて勇気づけてくれるものであった。これからもぜひ、有村麻央をプロデュースをさせてもらいたい。
「完成」の美しさと「未完成」の過程、どちらに心を動かされる? 『学マス』に自分の価値観をひっくり返された話
編集長の中村は『学園アイドルマスター』をプレイしたことをきっかけに、価値観が変化したことを明かしている。