生成AIは“ユーザーの遍在化”を実現するのか バーチャルビーイング研究者・佐久間洋司が見据えるAI×バーチャルの未来
AIによる「VTuber遍在化」のアイデアと、対話から見えてきた“逆の発想”
――数年前からある程度、生成AIの台頭が見えていたんですね。では、昨今の生成AIの発達は、佐久間さんの研究にどんなインパクトを与えているのでしょう。
佐久間:アバターなどの議論に落とし込めば、「AITuber」はトピックとして挙がると思います。ユーザーの投稿や我々が話しかけたテキストに対して、いわゆる大規模言語モデル(LLM)を活用しながら、そのキャラクターが言うであろうテキストと発話を組み合わせて、発話とモーション生成されたVTuberが無限に配信し続けるコンテンツがすでにありますね。玉置絢さんがプロデュースした、AITuber同士の麻雀対戦を垂れ流しにする「ゴー・ラウンド・ゲーム(ごらんげ)」が代表例です。
まずAITuberの方向性は面白いですが、個人的に興味があったのは「元々の魂やアイデンティティのないもののファンになれるのか?」ということでした。だから生成AIの特性を活かすのは、VTuberさんのような実際に存在する方が同時に多数の方に適応した配信するとか、本人と1対1で話しているように錯覚させるような方向もあると思っています。SiriやAlexaをどんなに偏在しても”推し”にはなりませんが、VTuberが遍在化したら面白いのではないかと。
これについてはすでに著名人などのタレントがインタラクティブにユーザとやりとりできるようなサービスが、私が関わっているものも含めていくつか提案されています。大規模言語モデルの「過去の会話を保持できない」という課題を「ユーザーとChatGPTの間にデータベースを挟む」という古典的な方法で解決し、投げたテキストをパーソナライズ、さらに適切なテキストに変えて発話するところまでやろうとしているものもあります。これを研究ではなく、いきなりサービスとしてやるのがすごいですよね。
――「VTuberが同時多数に配信する」という佐久間さんのアイデアを具体化すると、例えばどんなコンテンツになるのでしょう?
佐久間:先日、VTuberの白上フブキさんと対談したのですが、例えば彼女のような人がデスクトップ上に待機して話し相手になってくれたらいいなと思っていたんですよ。Microsoft Officeのイルカのキャラクター「カイル君」みたいに。これを白上フブキさんや、バーチャルシンガー・ヰ世界情緒さんにお話してみたところ「自分がカーナビをしていたら面白そう」「ファンが私よりも私のAIを好きになりそうで嫉妬するかも」と話していました。
ただ、意外だったのは「私たちがファンの人たちのもとに行くというよりも、ファンの人がバーチャルの世界に来たいんじゃないんですか?」という反応があったことです。彼女たちが私たちの元に訪れるだけではなく、私たちもまたバーチャルビーイングになれるし、なりたいと思っているのではないか?という問いでした。これで自分がVTuberとユーザーとを勝手にカテゴリ分けしていたことを反省しました。
――要するに「ユーザーが遍在する」という逆の発想ということですか?
佐久間:そうです。つまり彼女が言ってくれた考え方だと、僕たちの代わりに仕事をしてくれるようなエージェントを制作する方向性の応用になってきます。僕の指導教員だった石黒浩先生(※1)が『ムーンショット型研究開発制度』で研究している「個人が10体のロボットを同時にオペレートして、10カ所で同時に働く」という考え方などにも近づいていくので、真っ当な研究の方向性でもあるかと思います。
バーチャルビーイングの目標としては、自分がオペレートするのではなく、代わりとなるゴーストがデータをもとに他の10人と“私のように”対話してくれて、その結果を要約してくれるということです。あとは自分が本当に行きたいと思う現場に行けばいい。
※1 大阪大学基礎工学研究科教授、ATR石黒浩特別研究所客員所長、大阪関西万博テーマ事業プロデューサー、AVITA株式会社代表取締役。
――自分を遍在させた結果、その分の要約を自分にフィードバックするのは相当な精神的負荷がかかると思います。そちらについてはいかがですか?
佐久間:そう思う人もいるでしょう。それについては、VTuberさんの場合は、ファンが勝手に物語を考えて2次創作の4コマ漫画などを投稿する文化のことを考えると想像しやすいと思います。たとえばヰ世界情緒さんは「パスタが好き」という設定になっているので、パスタを食べさせまくる漫画が投稿されたり。そうするとファンがそれを共有して、半分真実のようになっていく。第三者によって、しかも生前から記されるなんてめったにないことです。
僕はそれを羨ましいと思って見ています。「どう思っているんですか?」と対談などの機会にVTuberの方々に質問したのですが、彼女たちは「私だけど私ではないものを表現してくれてありがとうと微笑ましく思う」というような達観した返答をしていました。コントロールが効かない生成物でもそれなので、僕たちが遍在する時代が来たら、自分の代わりにインタラクションしてくれる存在が、コミュニケーションの要約を報告してくれる際に「ありがとう、私の子どもたち」という感覚になるのかもしれません。