令和の恋愛リアリティーショー に「ロマンス」が求められるわけ 炎上沙汰に疲れた視聴者の“心の穴”を埋める『オオカミ』の革新
Netflixで配信中の人気恋愛番組『オオカミ』シリーズの最新作『オオカミちゃんには騙されない』(以下、『オオカミ』)が、8月20日に最終話を迎えた。ABEMAにて配信されていた『オオカミ』がNetflixで配信となる今回は参加メンバーの年齢層もアップ。これまで恋リア離れしていた、新しい視聴者層にも共感しやすい仕掛けが加わり、話題を呼んだ。
恋愛リアリティショー(以下、恋リア)は、今年“再注目”されている。2012年に始まった『TERRACE HOUSE』からじわじわとブームが起こり、時間をかけて少しずつ形骸化していった「恋リア」というジャンル。しかし2023年は、その魅せ方、楽しませ方がアップデートされたとも言える。2017年から続く人気作品であった『オオカミ』の変化は、その革新を決定づけた。
※以下、ネタバレ注意
出演者の心理描写が埋めた、視聴者の「リアルさへの渇望」
ABEMAでは長く人気作品として君臨し続けた『オオカミ』だが、2017年に配信が始まった当初と比べると、ここ数年は若者文化の一部と化していた。ネクストブレイクの登竜門となったことで、若者受けしやすいキャスティングが増えたこと、そして「出演者の中には恋愛しない“嘘つき”がいる」という、恋愛に人狼的要素を取り入れたゲーム性などから、視聴者は10代がボリュームゾーンとなり、一般には話題になりづらかった。
当初、若者からはデスゲーム系作品に一定の人気があったし、恋リアの楽しみ方は考察性を際立たせることで、SNSで意見交換したくなるような構図が定番だった。
定着化したSNSでは「クラスタ化」が進み、恋リアにもジャンル自体に一定のファンがついた。しかし恋リアの考察は一部クラスタの中で繰り広げられるものの、大きなバズを生む作品は一部のビッグタイトルに限られるようになっていった。
そして、今回『オオカミ』は魅せ方から人狼要素を排除した。第1話から人狼自身に「カミングアウト」させるシーンを設け、人狼が誰かを予想するのではなく、人狼が抱える「ウソツキ側の心理」にフォーカスさせた。
これまで向けられてこなかった、作品におけるヒール役の心理。好きな人にウソをつく苦しさや後ろめたさは、これまで恋リアに求められてきたリアルな恋愛とは、かけ離れたものではあった。しかし、設定が生む切なさと「オオカミが流す涙」は、まごうことなき出演者の“リアルな感情”として映し出された。
平成の恋リアブーム時、視聴者から求められたのは「素人感のある出演者による、身近にありそうな恋愛の覗き見感」だった。しかし、いつからか視聴者の願いは「恋リアで繰り広げられる恋が、本当の恋であってほしい」という想いにすり替わっていったのだ。
恋リアというからには、出演者は売名のためにでなく、恋愛のために出演してほしい。成立したカップルの今後を応援したい。視聴者が求める「リアルさ」は、身近でも体験できそうな恋愛という意味ではなく、出演者たちのリアルな恋、リアルな感情にフォーカスされ始めていった。これまで恋リアで成立したカップルたちの破局を何度も見届けざるを得なかった視聴者たちは、破局しない「真実の恋」に対し、少々ジャンキーになっていたとも言える。
そんな中での『オオカミ』の考察性の排除は、作品の醍醐味が恋愛考察から出演者の心理描写にスライドしたことで、視聴者たちの“リアルな恋愛への渇望”は満たされたはずだ。結果、作品は「ドラマのような本物の恋」として受け入れられたように思える。
リアルすぎる恋愛の日常化。私たちが恋リアに求める「ロマンス性」
恋リアの変革は、昨今のSNSの風潮だけでなく、私たちの恋愛観の変化とも密接に関わっている。「リアル感」の求められる恋リアジャンルの歴史はまだ10年弱と浅いが、この数年で私たちの恋愛への向き合い方には大きな変化があった。
新型コロナの影響も後押しし、もはや定番の恋愛ツールとなったマッチングアプリの影響で、異性との出会いやすさは格段にアップ。初対面の異性との出会いは、非日常ではなくなった。
また、カップルYouTuberや自称恋愛強者による「恋愛系発信」も定番化……を通り超え、もはや形骸化しつつある。かつて恋リアで学べた異性側の心理やモテテクニックは、YouTube検索でライトに摂取できてしまう。見せ場を失った恋リアは、一時期「過激化」も進み、過度なボディタッチやキャットファイトにもフォーカスされていたが、炎上を生む描写は一部層からは煙たがられた。こうして、視聴者は恋リアの見どころを失っていったのかもしれない。
しかし今回の『オオカミ』でなされた演出は、まさに革新的だった。最終話で見どころとなった、オオカミであるシンガーソングライター・じゅりとその恋の相手、ロビンが最後にデートをするシーン。白いドレスに身を包んでピアノを弾くじゅりと、彼女に背を向けて座る黒いセットアップのロビン。その横には、じゅりが履いていたガラスのような輝きを放つハイヒール。あまりにもアイコニックで、そして制作側の演出をバッチリ感じるシーンなのだが、SNSでは「泣けた」という意見が大多数。「ヤラセでは?」などという考察風の意見はまったく見受けられなかった。
視聴者は、いや、私たちは、もはや一周回って、映画のように演出された恋を求めているのかもしれない。SNSを開けば、検索してもいないのにスキャンダラスな恋愛のニュースや発言がおすすめ欄に出てくる。私たちにとって、過去に恋リアで楽しんでいた「衝撃的な恋愛」は、もはや日常と化してしまった。
逆に、幸せな発信は「マウント」とされ、嘲笑される風潮すらある。しかし、誰しもが本質的には、恋愛にハッピーエンドや、ロマンス性を求めている。マッチングアプリで相手を検索して向かうデートにロマンス性はない。いま恋リアに求められるのは、人間としてリアルな感情を見せる出演者が魅せる、童話のようなロマンティックに溢れる恋なのだ。