なえなのが持つ芯の強さ「仕事をやめたいとは全く思わない」 RADWIMPS・野田洋次郎の提供曲でアーティストデビューした背景

いまの仕事をやめたいと思うことは全くない。大好きだから。

――なえなのさんはSNSの活動から知名度を広げてきましたが、発信を始めた経緯を教えてください。

なえなの:中学校1、2年生のときにちょうど周りの子たちの間でSNSが流行り始めました。私もそれに乗っかって友達と遊んだ日の写真とか自撮りを何気なくTwitterに載せていたら、そういう投稿を好きだと言ってくれる人が増えたんです。それがすごく嬉しくて、なにか活動してみようと思い始めました。そこでミクチャに友だちと動画を上げ出したのが始まりです。そこからTikTokもやったけれど、いろいろなSNSの中で急に数字が伸びたのがYouTubeでしたね。

――TikTokで先にバズったからYouTubeも伸びたというわけではないんですね。

なえなの:TikTokをやっていたころは、まだ自分がどういう人になりたいかもわかりませんでした。それでもYouTubeはやってみたいという気持ちがあったので、始めたら2週間で登録者数が10万人までいって「なんだこれは」という気持ちに。急に波が来て、そこから東京にも引っ越してきてしっかり活動を始めたという感じです。

――最初にSNSが伸びた段階で、インフルエンサーや芸能で表に出る仕事をしようと思いましたか。

なえなの:インフルエンサーをやりたいというのは高校3年生の頃に思いましたが、ちょうどその時期に就活が始まってしまって。私の高校はほとんどが就職していたので、私も一旦就職することになりました。YouTubeと言ってもまだ世間には伝わらない時期でしたし両親も不安がっていたので、一旦就職をしてアパレル店員として5ヶ月くらい働いていました。働いていた時期の後半2ヶ月はYouTubeと両立していたので、とても忙しかったのですが、そこでYouTubeの仕事とアパレルの仕事を比較するようになりました。そして、やりたいことをやっている方が楽しいし、向いているのはこっちだなと体感できたのでYouTubeの方に専念する形になりましたね。

――実際に東京に出てきてからはいかがでしたか?

なえなの:仕事自体はYouTubeがあったのでよかったのですが、ちょうど上京と誹謗中傷がひどい時期が重なってしまい精神的にはとてもきつかったです。本当にしんどすぎて、一度はやめようかと思いましたが、やめたらまた自分が好きじゃない仕事に戻ることになってしまう。だったら辛い思いをしてでも好きなことをやった方がモチベーションも上がるのではと考えました。そうやって続けてきたので、いまではなにか言われたりしても、もう深くは悩まないですよね。鋼のメンタルになりました。

――いまはもう辞めたいと思うことはないんですね?

なえなの:まったくないです。私、いまの仕事が大好きですから。

――つらかった時期に何がきっかけで復活しましたか。

なえなの:ちょうど、その時期に『LARME』という雑誌が復刊して、表紙をやらせていただきました。ただ復刊に合わせてモデルさんや雑誌の雰囲気が変わったということもあり、ずいぶん誹謗中傷されてしまったんです。でも編集長が「大丈夫だよ、なえちゃん可愛いから」と前向きになれる言葉をかけてくれたので、明るい気持ちになれたきっかけになりました。ほかにも、その時期はずっとRADWIMPSさんの曲を聞いていました。

――ちなみに、どんな曲を聴いていたんですか?

なえなの:「夜の淵」という曲です。洋次郎さんが被災地のために毎年3月11日に出している曲の一つです。(2017年を除く)〈何のため生まれたのか わからない僕たちだけど 涙を流すためじゃ ないことだけは たしかさ〉という歌詞があって、たった2行だけれど、そこにすごく励まされて。私もボロボロ泣いていたけれど、そんなことのために生まれてきたわけではないという考えに至りました。

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