『ゼルダの伝説 TotK』を「買わない人たち」の視点から考える、彼らが“2023年屈指の話題作”をスルーする理由

それでも彼らが『ゼルダの伝説 TotK』を買わない理由

 一方、『ゼルダの伝説 TotK』の人気や話題性、発売情報を知りつつ、購入を見送るプレイヤーたちもいる。彼らはなぜ、同タイトルの魅力にとりつかれないのだろうか。その理由のひとつには、オープンワールドゲームとそのほかのRPG・アドベンチャーゲームのあいだに横たわる性質の違いがある。

 私は先の見出しにおいて、オープンワールドゲームの特徴を「それぞれがゲームの世界で自由にフィールドワークをしている」と形容した。そうした状況を楽しめる下地には、各プレイヤーの遊びへの高い自主性がある。ゲームとしての最終的な目標(『ゼルダの伝説 TotK』であれば、最後の強敵を倒し、ゼルダ姫を救出すること)こそ存在するものの、そこに至るまでの過程は千差万別。場合によっては、攻略そっちのけでものづくりに励む人もいる。制作側によって敷かれたレールを歩く必要がなく、自由に遊び方を決められるジャンルがオープンワールドゲームだといえる。

 反面、従来のRPG・アドベンチャーゲームは、制作側によって緻密に張り巡らされた動線をひとつずつ辿っていくジャンルだ。パーティーメンバーに起用するキャラクターや、装備、育成の取捨選択こそあれ、基本的に道筋に関する自由度は用意されていない。その代わりに、制作側がプレイヤーの行動をコントロールしやすく、オープンワールドゲームと比較して、シナリオが充実している傾向にある。“往年の名作”と呼ばれるタイトルたちには決まって、没入できるだけの素晴らしいストーリーがあった。ロールプレイを通じて登場人物たちに感情移入しながら、いわば“映画的”に結末を目指すジャンルが、従来のRPG・アドベンチャーゲームというわけだ。

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 そうした両者の特徴を踏まえたうえで、双方のあいだにある性質の違いをひとことで表すとすれば、それは「主体性」と「受動性」という言葉に尽きる。舞台だけが規定されたなかでプレイヤーが主体的に遊び方を決めるのが前者、ある程度決められた遊び方のなかでひとつの物語として完成されているゲーム体験を受け取るのが後者なのである。たとえるならば、スポーツにおいて、「選手としてフィールドに立つことは好きだが、観戦には興味がない」「好んでフィールドには立たないが、観戦は楽しめる」といった違いになるだろうか。つまり、『ゼルダの伝説 TotK』に食指が動かない人たちは、主体的・創造的な遊びよりも、登場人物の目を通じた物語の追体験に重きを置いている層なのではないだろうか。このことは、日本と海外における、好まれるRPGの違いにも当てはまるのかもしれない。

 2023年屈指の注目作として、すでに大きな結果を残しつつある『ゼルダの伝説 TotK』。買った人、買わない人という二極から、ゲームカルチャー全体を考えていくのも面白いだろう。同タイトルははたして、どこまで売上を伸ばすことができるか。スタートを見るかぎり、前作超えの成功も射程圏内だ。

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