『ヘブンバーンズレッド』 を2章と言わず、4章までやってくれ

『ヘブンバーンズレッド』が最新章で描く“「生」の再定義・再構築”

 さて、以上を踏まえた上で『ヘブンバーンズレッド』の話に戻ろう。2章までは、これまで麻枝氏が紡いできた死生観や、死を通して顕現する各々の関係性に焦点が当てられる。物語におけるひとつのクライマックスを迎えるのは間違いなく2章であるから、野田クリスタルが言う「『ヘブバン』やってみろ! 2章まで!」という謳い文句に異論があるファンはおそらく少ないだろう。

 しかし、冒頭の繰り返しになるが、麻枝氏がその作家人生において我々に投げかけてきたメッセージやテーマ性が具体的に立ち現れるのは、4章、厳密に言えば3章の最終盤からなのだ。

【ヘブバン】メインストーリー第四章後編「凍てつく息吹と爆ぜる感情」ティザームービー

 茅森擁する31A部隊は、3章の最終盤で「ある事実」に直面する。その段階から、死に向かっていたベクトルが“そもそもどのような状態を死と定義するのか?”に軌道変化するのだ。その事実と向き合うために茅森一同は遮二無二もがくわけだが、その物語が4章から本格的にスタートする。

 

 『ヘブバン1st Anniversary Party!』で柿沼氏が語ったように、麻枝氏のこれまでの作品群から『ヘブバン』と共振するものをひとつ選べと言われれば『Angel Beats!』なのだろう。けれども、4章からは『Charlotte』的要素も随所に見受けられる。すなわち、“「生」の再定義・再構築”だ。

 麻枝氏は、これまでの作品でも一貫して「死」から逆説的に「生」を俯瞰していた。そのスタンスはときに“お涙頂戴”と揶揄されることもあるが、それは実に一面的な見方だと筆者は考えている。『CLANNAD』のシナリオを書く際に、麻枝氏は柳美里の『命』シリーズをリファレンスにしていたという(『ビジュアルスタイル』2008年1月号の巻頭インタビューより)。同シリーズは作家・柳美里の私小説的な作品で、不倫相手との間にできた新たな命と、かつての恋人が癌に侵される絶望的な状況という、極めて対照的な「生」を描いている。これから誕生する命と、死にゆく命。まさしく表裏一体な生と死が、ほとばしる熱量によって書かれたのが『命』四部作である。こうして改めて整理した内容を読んでいただくと、どこかKey作品と通ずるものがありはしないだろうか。

 けれども、『ヘブンバーンズレッド』はこれまで挙げたKeyの過去作品と比較するとより直接的であり、大胆である。なにせ、茅森たちの葛藤や問題は、煉獄でも来世でもなく、“いま、ここ”で起きているからだ。本作における記憶や人格はむしろ彼女たちを縛るもので、必ずしもポジティブなものではない。どこかに棚上げできる問題でもなく、すこぶる切実なファクトとして存在している。それらに立ち向かう彼女たちの姿は、Key作品における新たな物語の描き方であると同時に、これまで麻枝氏が様々な角度から描いてきた“生命の躍動”でもある。

 また、本作を語る上で「音楽」や「バンド」の存在はやはり外せない。セカイ系同人誌『ferne』を敢行する北出栞が、弊サイトに寄稿した文章の中で極めて重要な指摘をしている。

 麻枝作品とバンドといえば、LiSAを輩出した『Angel Beats!』の〈Girls Dead Monster〉が真っ先に思い出されるだろう。その後『Charlotte』でも〈ZHIEND〉というバンドが登場しており、『ヘブバン』はそれに続く3作目となる。ここに筆者は、近年麻枝の抱く人間関係のリアリティが「家族」的なものから「バンド」的なものへと移行していることが見て取れると考えている。『AIR』や『CLANNAD』をはじめ、麻枝の初期作品では「家族」というテーマが支柱となってきた。しかし『リトルバスターズ!』で「友情」がテーマに据えられて以降は、愛情や血のつながりといったものに支えられた人間関係よりも、ある共通点を持った個々人が、ばらばらなままひとつの共同体を形成するような人間関係のモデルが前面に出るようになっている。

(引用: 『ヘブンバーンズレッド』 その核をなす、麻枝准というクリエイターの「最大の武器」と「人生」

【ヘブバン歌ってみたコンテスト】課題曲「Burn My Soul」

 先述した葛藤や問題に、31A部隊の全員が納得できたわけではなく、その解釈やリアクションは実に不揃いなものだった。そこにはやはり、家族としてのリアリティではなく、他人同士であるがゆえの決まりの悪さがあった。しかし、血縁関係がないからこそ求めてしまうロジックや道理といった、その真摯な現実こそが本作に強度をもたらしているように感じる。そういった不格好なバンドの姿がはっきり顕現するのも、やはり4章からなのだ。

 が、麻枝氏は「家族を描き切れた」と考えているわけでも、その関係性に飽きたわけでもないだろう。なぜなら、4章後編ではもう一度家族の描写に戻って来るからだ。ここまでなるべく“ネタバレ”に配慮しつつ筆を進めてきたが、早い話が本作を4章までプレイすると、本作だけでなくKey作品の集大成を感じられるのである。それも、新たな発見と切実さを伴って――。

 ちなみに、第4章開幕にあわせて、新曲「死にゆく季節のきみへ」がリリックMV付きで公開された。この楽曲で歌われている内容は、4章をすべてプレイし終えた後では印象が大きく変わっているはずだ。しかし「きみだけがきみだった」とリフレインするフレーズは、作品全体に通底する情念を端的に言い当てているようにも思う。

 そして「きみ」の命に触発される我々もまた、いまを生きている。『ヘブバン』やってみろ、4章まで。

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