連載「Studio Bump presented by SMP」(第二回)

URU × T.Kura 対談 日米を拠点に活動するクリエイターの制作論と機材に迫る

 気鋭の音楽クリエイターたちが、その志を共にする人たちのスタジオを訪れ、機材や制作手法などについて訊いていく連載企画「Studio Bump presented by SMP」。第二回は呉建豪(Van Ness Wu)や張惠妹(A-Mei)など、アジアを拠点にするアーティストの楽曲などを手がけたクリエイター・URUがホスト役となり、EXILE、三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE、安室奈美恵、三浦大知、Crystal Kay、AI、E-girlsなどの楽曲を手がけてきたプロデューサー・T.Kuraのスタジオを訪問。

 拠点を日本・海外に置いて活動してきたT.Kuraのルーツや楽曲制作論、自身のらしさを生み出すための機材・プラグインとは。ベテラン2人の興味深いキャリアとあわせて読み進めることをオススメする。

「リミックスは自分のキャリアにおいてすごく勉強になった」

URU

ーー今回はURUさんからT.Kuraさんをご指名しましたが、事務所が同じということもあり、もともとお知り合いではあったんですか?

URU:このスタジオは初めてなんですが、以前中目黒に構えていたスタジオにはお邪魔したことがあるんですよ。

T.Kuraが以前中目黒に構えていたスタジオ。(写真=本人提供)

T.Kura:お互いにキャリアも長いですし、事務所も同じなので、名前はもちろん存じ上げていて。とはいえガッツリお話する機会はなかなかありませんでしたから、こうして機会をいただけて嬉しいです。

――お互いの音楽クリエイターとしての第一印象は?

T.Kura:URUさんは、生楽器というか……ベースをはじめとした“弦楽器の人”という印象は強いかも知れません。あとはすごくお話が面白くて、ジェントルで良い人。総じて言えば「ハッピーなバイブスを持ってる人」という感じですね。

T.Kura

URU:個人的には、当時T.KuraさんがプロデュースしていたLL BROTHERSにすごく興味があって。彼らの「Bumpin' Freakin'」を聞いて、「あのスネアはどうやってるんだ!?」と研究をしたくらい、個人的には”独自性のある音”を作っている人、という印象でしたね。実際にスタジオへ伺ったときにどうやって作っているかを聞いたんですけど、あのときはあまり話してくれなくて(笑)。

T.Kura:そうでしたっけ。全然覚えてない(笑)。

URU:たしか、ハードウェアサンプラーやアウトボードのマルチアウトを全部立ち上げて、卓で一つひとつの音を作ってたとか……。

T.Kura:昔はそれしかできなかったですからね。『ProTools』はありましたけど、チャンネル数が少なかったので、ボーカルを入れたらサウンドのほうでできることが少なくなって……。結構な制約がありました。

――そもそも、T.Kuraさんが音楽の道に進んだきっかけを教えてください。

T.Kura:もともと音楽の専門学校に行っていて。そのあとにスタジオを作る会社にアルバイトとして入社したんです。

URU:スタジオを作る側だったんだ。

T.Kura:そう。施工会社で測定とかをする、といった仕事を何年かやっていて、その間に家で音楽を作る生活でした。やりたい音楽がダンスミュージックやヒップホップなどで、どうしても歌謡曲をやりたいとは思っていなくて、マニアックな会社にデモを送っていたら、『DMC』というDJの大会をやっている会社に入ることになって。そのあと何年かして、その会社がエイベックスと組んでジュリアナ東京のCDを作るようになったんですけど、ジョン・ロビンソンを手伝ってジュリアナのCDを一緒に作ったりしていました。あのころは音楽業界の景気が良かったっていうのもあって、とにかくいろんなジャンルにチャレンジできたんです。レゲエを作っていた時期もありましたよ。

URU:昔はリミックスの仕事も結構ありましたよね。

T.Kura:ありましたね。とにかく数バージョンも作らなきゃいけないという。でも、リミックスはすごく勉強になったんですよね。

アトランタでSony/ATVのスタジオ(当時)で作業していたころのT.Kura(写真=本人提供)

――どんな部分が特に勉強になりました?

T.Kura:リミックスが流行ってた時代って、原曲を壊すタイプのリミックスもあったんですけど、自分がやってたのは原曲を壊さずに、でも全然違う曲のように聴こえるものを目指して頑張っていたので、そういう制約の中での制作は、かなり勉強になりました。元のボーカルはいじらない、いっぱい刻んだりもしない。でも、がらっと変わった雰囲気にして、アーティスト側もびっくりしてくれるようなものを目指す。壊さずにどこまでできるかというゲームをやっているような気分でした。

URU:たしかに、面白いゲームをやっているような感覚ですよね。そのあとに中目黒にスタジオを作られたんですか?

T.Kura:そうです。修行時代の5〜6年あとに、仲間内で気が合う人といろいろやりたいと思って、中目黒にスタジオを頑張って立ち上げました。

URU:安室奈美恵さんの楽曲もそこで録ったんですか?

T.Kura:いや、奈美恵ちゃんのボーカルは、そのときに住んでた家のブースで録りました。

URU:そこでヒット曲たちが生まれたんですね。アメリカに行ったのはいつごろなんですか?

T.Kura:1999年か2000年くらいかな。

URU:アトランタですよね。

T.Kuraがアトランタに構えたスタジオ(写真=本人提供)

T.Kura:そうです。行ったり来たりしてる期間も結構あって、そのあと完全に向こうに移住して。計10何年くらい住んでましたね、でも、日本人アーティストのプロデュース仕事は結構やっていて。

URU:日本の仕事が忙しくなるタイミングでアトランタに行ったのは、どういう理由で?

T.Kura:アトランタに友人ができて、あっちの音楽も大好きだったし、学ぶなら実際にどんな人たちがどう思って作ってるのかを、現地で体験する必要があるなと。実際にゴスペルの教会に参加してみるとか、ミュージシャンがどんな風にやってるとか、見ないと分からないじゃないですか。ゴスペルだけじゃなくて、いまのトラップの前身であるクランク(Crunk)などが流行っていたころなので。実際に渡米して、すごく良い経験をさせてもらったように感じます。たとえば、向こうでは『TR-808』の音をとんでもない爆音でスタジオで鳴らしているんですよ。本当にPAで使うでかいスピーカーが入ってて、地響きするような音を出してやっている。そうすると、808のいい音だけ鳴っていればいいから、音をいっぱい入れる必要がなくなるんです。実際、アトランタの音楽ーーとくにマイアミベースなどは顕著ですよね。

URU:そうしてできたトラックに、その場でラップを乗っけたりとかするんですよね。

T.Kura:そう。結構いい加減なリリックだけど。アトランタに行ってびっくりしたのが、とにかく歌が上手い人が多くて。その辺の売店のおばちゃんでさえめちゃくちゃ上手いんですよ。日曜日に教会へ行って歌っていたりするから。そういう人がいる中で、プロはさらに上手いわけで。そうした環境で育つから、あそこまでレベルの高い音楽が生まれるのかと納得しました。

T.Kuraがアトランタに構えたスタジオ(写真=本人提供)

URU:刺激に溢れてる環境だったわけですね。

T.Kura:刺激というか、ここで普通に過ごしているだけで、こういう感覚を持つようになるんだとわかったのは大きいです。渡米の前に、日本でロンドンのアーティストのプロデュースをやっていた時期があって。そのときは毎週のようにロンドンにレコーディングに行っていたんですけど、ロンドンとアメリカでは全然雰囲気も違いますし、アーティストの音楽に対するマインドも全然違っていて。

URU:どんな感じに違うんですか?

T.Kura:個人的な感想ですが、ヨーロッパはもっとクレバーというか、インテリジェンスをもってして音楽と向き合ってる感じがして。アメリカの人がそうじゃないわけではないんだけど、アトランタに行ったときはもっと野性っぽくやってる感じがしたんですよね。日本はもっとインテリジェンスを音楽に込めてる感じがするんですよ。だからアトランタは日本と真逆な感じがして。

URU:じゃあロンドンは日本とちょっと近いっていう感覚?

T.Kura:そうかもしれません。アトランタに行ってからしばらくは、ソニーのスタジオを借りられたのでそこを使っていたんですが、何年かして家の下にスタジオを作れるような環境が手に入ったので、地下に自分のスタジオを作ってそこで制作を行うことが増えました。日本に帰ってきてからは今の場所が見つかったのでここを拠点に制作をしています。

アトランタでの最初の制作スペース(写真=本人提供)

――そういったキャリアの中でも時期によって音作りの方向性の違いもあると思いますし、アトランタを経て考え方にも変化があったと思います。中目黒のスタジオとアトランタとここ、それぞれのスタジオを作る際に心がけたこと、こだわった場所がそれぞれ違うんじゃないかなと思ったんですが、いかがですか?

T.Kura:考え方は変わっていますが、それはキャリアの違いではなく、時代の違いが大きいですね。30年くらいこの仕事を続けているわけですから、機材もどんどん変わっていって。昔はコンピューターでやることもできなかった時代なので、ひたすらケーブルでハードウェアをいっぱい繋ぐ、ケーブルだらけのスタジオが当たり前だった。だからいかにしてノイズが載らないように配線するかとか、そっちが大事で。いまとまったくスタジオの意味や考え方が違うから、時代ごとに機材に合わせてスタジオを作っている感覚になるのかもしれません。

T.Kuraの現在のスタジオ

――そんななかで現在のスタジオは、PCでの制作がメインになってきたタイミングでのスタジオだと思います。ご自身が特に重要視した部分はありますか?

T.Kura:このスタジオの役割って、自分的にはセッション用なんですよ。歌う人やギターを弾く人たちと一緒に音楽を作るための場所というか。スピーカーもある程度いいものを入れているので、仕上げをここですることはたまにありますけど、自分で音楽を作るのはいまの時代ラップトップ一台でできちゃうので。なのでボーカルの方のやりたいことがすぐに記録できて、すぐ次のアイデアをメモできて、エフェクトとかトリートメントしたものをすぐフィードバックするという一連の流れがやりやすいようにはしてあります。画面を大きくしたのもそのせいなんですよ。共有できるし、これを見て歌えるじゃないですか。

――ボーカルブースもありますけど、ここに立ってセッションすることもできるんですね。

T.Kura:そうそう。ファイナルレコーディングみたいな場合でボーカルブースで歌いたいって言うんだったらもちろんそっちで録るんですけど。でもコミュニケーションをしながら音楽を作っていく人は、一緒の場所でないと録りにくいんですよ。だから一緒の場所でやるときは画面も共有しています。

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