アニメ『サイバーパンク エッジランナーズ』をゲーム視点から分析 『2077』との共通点や違いは?
一方で、“再現しなかった部分”についても本作の成功を考える上で極めて重要だ。「サイバーパンク」を題材とした作品だからこそ期待される、ある種の“過剰さ”。それは『2077』にも徹底的に盛り込まれているが、自分が操作するわけではないからこそ描ける“さらなる過剰さ”を『エッジランナーズ』では明確に意識しているように感じられる。
そのもっとも象徴的な例は、作中でも特にアイコニックに描写されている、デイヴィッドがサイバーウェアの「サンデヴィスタン」を使用するシーンだろう。同デバイスは起動することで装着者の神経システムを大幅に加速させ、相対的に時間の流れを遅くするという機能を持っており、『2077』でも使用することが可能だ。
だが、デイヴィッドが装着しているものは(『2077』で手に入れられるのが市販品であるのに対して)本来は出回るはずのない軍用の試作品であり、ゲーム内で使用出来るものよりも遥かに高い性能を誇っている。その結果、シーン自体も極めて印象的なものとなり、『2077』のプレイヤーにも納得出来る理由を与えたうえで、デイヴィッドの凄さを感じさせるつくりとなっている。
同様の“さらなる過剰さ”は、デイヴィッドと行動を共にする主要登場人物の描写にも見受けられる。尋常ではないスピードで大量のクイックハックを遂行するルーシーや、防犯カメラに映る大量の敵全員を一気に回路ショートさせるキーウィなど、武器を使わずにハッキングを駆使して戦うネットランナーである彼女たちもまた、デイヴィッドに負けず劣らずの圧倒的な実力を誇る存在だ。
また、忘れてはならないのが、小柄な体型を一切気にすることなく大量の銃を乱射して相手を圧倒し、作品の後半では両腕をサイバーウェアに換装したことで更にド派手な火力を誇るレベッカだ。先日のアップデートで彼女が愛用するショットガン(「カーネイジ GUTS」)が『2077』にも追加されたのだが、どれほど屈強な肉体であろうとあまりの反動に圧倒される代物となっており、ゲームを通して改めて彼女の屈強ぶりを実感できるだろう。
これらのキャラクターの戦闘描写は、そのいずれもが『2077』の世界観をベースにした上で更に過剰に味付けされたものとなっており、だからこそ既にプレイした人でさえも、圧倒的な戦闘描写に魅了される(細部まで描かれる容赦のないグロテスクな描写や過剰な肉体/機械の動きも、その破壊的な魅力を過剰にブーストさせる)。その“過剰さ”は、観る者の欲望に応えるかのように、作品がクライマックスへと向かっていくにつれてさらに加速し、より暴力的に、より機械的に、よりサイバーパンクに変貌していく。
『2077』の世界観を損なわないようにベースは丁寧に構築した上で、“過剰さ”が輝くシーンでは、ゲームでは(プレイヤーが操作するが故の面白さを損なうために)実現出来ない領域までアクセルを一気に踏み込んで、徹底的に過剰に突っ走る。この、アニメ作品ならではの極端なバランス感覚が『エッジランナーズ』における唯一無二の魅力を形作っているのではないだろうか。
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最後に、ネタバレにならない程度でストーリーにも触れておきたい。ナイトシティという街を舞台に、あるタイミングで全てを失った主人公が、仲間に助けられながら、時には仲間以上の特別な存在と出会いながら、やがてこの街の“伝説”へと向かって、身体中を改造し、ありったけの血を流しながらサイバーパンクとして駆け抜けていく。
このような物語の流れもまた、『エッジランナーズ』と『2077』に共通しているものだ。『2077』の主人公であるVが「Relic」を、デイヴィッドが「軍用サンデヴィスタン」を装着しているのも、ある“意味”において重要な共通点と言えるだろう。
『2077』ではオープンワールドというシステムを活かし、作り込まれた世界観を舞台に様々なキャラクターとの物語を並行して丁寧に描くことで、人生の儚さと愛おしさを立体的に演出していた。
一方の『エッジランナーズ』では一話約20分/全10話のリニアな流れに沿って、設定や固有名詞の説明をほぼ省き、続編の余地すら与えないほど、大胆に余計な要素を削ぎ落とし、サイバーパンク的な要素を過剰にブーストしながら物語を描き切ることで、その人生の刹那ぶりを強く印象付けている。
『2077』で描かれた「サイバーパンク」というテーマに対する美学もまた、『エッジランナーズ』では表現手段を変え、その手段を最大限に活かした上で描かれているのだ。その美学は、『2077』におけるカクテル「デイヴィッド・マルティネス」の説明文に集約されている。
「ウォッカのロックにニコーラを少々。高みを目指して派手にくたばれ」
なによりもこの美学が一貫しているからこそ、『エッジランナーズ』は既存の『2077』プレイヤーを満足させるだけではなく、多くの人々に憧れを与え、ナイトシティへと誘うことに成功したのではないだろうか。
筆者としては、作品を観終えたいま、この世界を舞台とした新たな作品を渇望している。本作の登場は、このナイトシティにまだ見ぬ魅力と奥深さが存在することを証明したのだ。
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