WONK・井上幹に聞く『Logic Pro』での空間オーディオ楽曲制作 「技術を閉じず、オープンにしていきたい」

「『新しいものを作らなきゃいけないんだ』という地平にポンと放り出された感じ」

――すごく面白いです。演奏もそうですが、空間オーディオでは歌の扱い方にも工夫されたと思います。そのあたりについてはどうでしょう?

井上:たしかに、声に関してはいつもと違って色んなことを意識しましたね。まずひとつは「イコライジングしすぎない」こと。イコライジングには音そのものを格好良くするという意味合いもありますが、周波数帯域で距離感などが結構変わってくるっていう性質もあって。たとえばドルビーで前後関係を出すのもイコライジングだし、勝手にドルビーがやってるEQによって距離感が出ているので、こっちで元の音を弄りすぎちゃうとそれだけで距離感がでてしまうから、それは意図しているところじゃないと思い、できるだけ必要最低限のイコライジングで持っている音をそのまま置いてあげた方が定位感がしっかり出る、というのは念頭に置いていました。

――必要最低限のイコライジングで成立するのは、ボーカリストである長塚(健斗)さんの力量ありきだと思います。

井上:そうですね。今回は素材の良さがかなり良い方向に作用していますし、レコーディングの良さありきの作品だなと思いました。すごく慎重に練習もいっぱいしましたし、かなり回を重ねてレコーディングしていましたから。

――もともと宅録をベースにしていて、リモート録音にもバンドとしてトライするなど、コロナ禍で録音の方法もさまざまな型に変化しましたよね。改めてこういった形で素材をしっかり録ることで、録音に対する考え方も変わったのでしょうか?

井上:DAW上で作るグリッド感ーーなにがグルーヴを決めてるかということに関しては、ここ数年打ち込みを続けたうえで限界を感じてしまう部分があって。本当は細かく調整すればDAWでも再現できるんですが、それを手っ取り早くいい感じに出すのは生で録ることなんだと改めて気づきました。まあ、昔の方からすると当たり前のことなんですけど(笑)、僕らの世代は逆じゃないですか。最初に打ち込みで完璧なことができて、それを簡単にする手段が生で録音することだった、という。

――元々打ち込みに特化してきたからこその考え方の変化、というのは面白いですね。今回のように音をイマーシブに作ることができるようになったことで、作れるもの自体がかなり変わってくると思います。こうした音作りにおける前提が変わったことで、ご自身のクリエイティブにどういった影響があると思いますか?

井上:まずは「新しいものを作らなきゃいけないんだ」という地平にポンと放り出された感じはしています(笑)。これまで自分が慣れ親しんだ名曲は、ほぼステレオかモノラルの曲なんですが、最近だとステレオを用いた特殊な技法に関しては、かなりやりつくされてて。それをリファレンスに自分もやってきたわけですけど、スピーカーが増えたりすると、これまでのやり方は通用しなくなるのだと思い知りました。そこに関してはめちゃくちゃ影響を受けたのですが、とはいえアウトプットが全部変わるのではなく、ただ選択肢として増えたという考え方に近いです。ステレオのほうが良い音楽はステレオのままがベストだと思いますから。圧の高いキックやヒップホップのトラックみたいなものは、ドルビーやマルチチャンネルだと作れないかもしれないですし、どうしてもラウドネスの制約などもあるので。選択肢として増えただけなので、いまの段階ではそれをどういう武器にしていくか、まで話すのは難しいですし、今回は割と生楽器でというコンセプトのアルバムだったのですが、今後は「実際にはありえないけどマルチチャンネルでこれをやったら面白い」といったことなどを模索する期間は自分で設けたいなと思っています。

――ゲームの方でもバイノーラル的な音響をはじめ、イマーシブな音作りはかなり前提条件になってきていると思うのですが、そのあたりはどうでしょう?

井上:どのゲームにも共通しているのは「現実をどうゲームの中で構成するか」ということなのですが、それはそれでわかりやすいんですよね。

――リファレンスが現実だから、そこに近づければいいだけなんですね。

井上:そう。基準がしっかりしているからこそ、そこからもっとリアルにするかデフォルメするかという選択ができるんです。音楽はリファレンスをどうするかも自分の自由だし、モチーフも自由なので、そこは圧倒的な違いだと思いました。

――空間オーディオの技術を使って音楽を聴ける人もデバイスが増えてきたわけですが、そのうえで作り手として「もっとこういうことができたらいいな、こういうものが生まれたらいいな」というものはありますか?

井上:作り手としては、『Logic Pro』が空間オーディオへ対応したように作り方が簡素化していくことは良いことだなと思っていて。自分としては技術を閉じずにみんなにオープンにしていきたいという気持ちはすごくあります。技術を自分の中に溜めることで市場価値が上がるのかなとは思いつつ、それは正しいことなんだろうかという自分の中の思いがあって。ドルビーアトモスは知識がないとできない、みたいな流れもある気がしていて、作り手の裾野が広がっていくことの方が価値があることだと考えているので、そういうノウハウをまとめて世に出そうかとも考えています。

 実際にこれを聴いてくれる受け手の方は、そこまで考えなくてもいいのかなと。僕らのリスナーの方々はそういうのをすごい楽しんでくれる人たちで、懇切丁寧に説明するとちゃんと面白がってくれるので、個人的には引き続き取り組んでいこうと思います。

■リリース情報
WONK『artless』
https://virginmusic.lnk.to/artless

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