「やりがい搾取」から「やりがい再分配」へ? 『DEATH STRANDING』が示す、郵政再公営化とポストクリティーク的批評の可能性

 対照的に、『DEATH STRANDING』の国道建設に限って言えば、個人の快楽というプラスの情動をただ追求することが、そのままリソースの再分配という「世界の難問」を解決するプラスの行為と結びついており、ただゲームを楽しむだけで、新自由主義的な自己責任論を否定して郵政再国営化へと向かってしまうことになるのではないか。このような行為と情動の結びつきを、本論では仮に、「やりがい再分配」や「ノリノリ格差是正」と呼ぶことにする。

 この「やりがい再分配」や「ノリノリ格差是正」の要素は、『DEATH STRANDING』に2010年代のビデオゲーム作品の中でも重要な位置を与えるように思われる。というのも、このようなかたちでポジティブな情動と再分配が組み合わされることは、リタ・フェルスキ (Rita Felski)が『批評の限界(The Limits of Critique)』(2015年、未邦訳)の中で主張したような、ネガティブな懐疑の解釈学の行き詰まりにとらわれないポスト・クリティーク的批評モードの実践になりえているように思われるからだ。フェルスキは、これまでの批評はテクストを疑い、脱神秘化し、転覆し、疑問を投げかけることに終始し、ネガティブな情動と結びついていたと述べる。そして、そのように凝り固まった批評観にとらわれず、批評と呼べるもののレパートリーを増やし、情動の組み合わせを試し、情熱や想像力を喚起するような批評スタイルが模索されるべきだと主張する (The Limits of Critique p187)。テクストを無邪気に楽しまないために、あるいは、テクストの見かけに騙されないために、批評家はしかめ面でテクストに対峙してきた。それによって、批評家たちは「やりがい」や「ノリノリ」のようなポジティブな情動を批判対象として遠ざけることになった。

 しかし、それらのポジティブな情動によってもたらされる批判が、従来のネガティブな情動による批判と同等の、いや、それ以上の効果を発揮するとしたらどうだろうか。フェルスキは前掲書の中で説得力のある具体例を出せたとはいえないが、「やりがい」や「ノリノリ」といったプラスの情動がリソースの再分配と結びつく『DEATH STRANDING』のような例は、従来の批評の限界にとらわれないポスト・クリティーク的批評の実践例として考察するに値するのではないか。

 『DEATH STRANDING』についてのこのような見立てについて何人かに意見を求めたいと思った私は、4人の識者に声をかけた。そして、2021年某月某日。私は彼らと共に、『DEATH STRANDING』の謎を解明すべく、アマゾンの奥地へと向かったのだった(Amazonについての議論だけに)。そこで私たち一行は、上記の見立てが覆されるような驚くべき発見をするのであった。

【中編へつづく】

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