連載:クリス・ブロードの「ガイドブックに載ってない日本」(第2回)

外国人YouTuberの僕が、東日本大震災翌年に移住した日本で感じた“難しさ”

山形の子どもたちに英語の楽しさを教える“難しさ”

 多くの外国人が居住し、観光に訪れる、東京をはじめとする大都市と違い、山形では、生徒たちが日常的に英語を使う機会は多くありません。私が教えていた学校には10人ほどの英語教師が在籍していましたが、数人は英語をあまり話すことができませんでした。なかには海外に行ったことのない教師もいました。英語を教える立場なら、たとえ短期間でも、実際に現地で生の英語を学ぶ機会を持った方が方がいいでしょう。

 教師ですらその状態なので、英語を学んだところで、どう役立てればいいのか、英語が自分の人生に必要なのかと、疑問に感じている生徒いました。そのため、英語を学ぶ楽しさとともに、英語を話すことで得られるものを教えることも重要でした。つまり、将来において仕事の幅が広がること、映画をより深く理解できること、洋楽の歌詞を理解して聴けるようになること、世界中に友人を作れることなどです。

 日本以外のアジア諸国では、海外に出たことがない人たちも、その多くが英語でコミュニケーションをとっています。ある大阪のバーで、ふたりの日本人女性が、台湾と韓国からきた人たちと英語でコミュニケーションをとっているのを見たことがあります。その時のことを生徒たちに話して、英語を話せると、英語圏以外の外国の人とも友人になれることができ、人生の楽しみが増えると話しました。

 そうして生徒たちに英語を学ぶ意味を知ってもらい、次のステップとして、実際に英語を使って何かを成し遂げる達成感も味わってもらおうと考えました。

生徒たちと励んだ雑誌やショートフィルム作り

 私は文章を書いたり、映像を作るのが好きですが、生徒たちも同様に、表現することを楽しんでいることに気がつきました。そこで、好きなことを実用的な学びにつなげようと考えて始めたのが、英語を使って雑誌やショートフィルムを作ることです。板書で学んだことは忘れてしまっても、インタラクティブに学んだことは一生忘れないもの。私はそれこそが、自分の得意を活かせる授業、私にしかできない授業だと確信したのです。

 雑誌の作り方はこうです。まず、初めの授業でアイデアを出し合ってもらい、次の授業で日本語で記事を作ってもらう。3時間目には、日本語を英語に訳す作業をさせます。4時間目に英語の文章を校閲し、5時間目に、ワードドキュメントで清書させました。そして、6時間目にすべての記事を集めてファイリングし、製本して完成です。制作期間は2週間程度でした。

 この雑誌には、20の記事が掲載されました。食べ物やペットのこと、旅行のことなど、その内容は多岐にわたり、美しい絵を書いてくれた生徒もいました。

 ショートフィルムを作ったのは、雑誌を作った翌年です。私が配属されたのは、東北で最も大きな高校のひとつで、教室にはグリーンスクリーンがありました。そのグリーンスクリーンを見たとき、これを使って映像を作りたいと考えました。手順は雑誌のときとさほど変わらず、生徒たちの書いた日本語の脚本を英語に翻訳し、撮影して1本の作品にする、というものでした。

 グリーンスクリーンがあれば、背景を自由に設定できます。これを使う前提があったので、ストーリーは、「世界中に飛んでいくことができるマジックボックスで、さまざまな国を訪れる」というものにしました。ロケーションを限定する必要がなくなると、想像の幅が広がります。生徒たちはイギリスやブラジル、アメリカなどを舞台に、現地にいる気分で、英語のセリフに挑みました。

 私の作業量も多く、プライベートも含めてかなりの時間を費やすことになりましたが、いま思い返しても楽しい経験をしたと思います。準備やアドバイス、まとめ作業に使った時間は、英語教員としてのキャパシティを超えていましたが、共に働いてくれた先生も楽しんでくれていたと思います。

 私は決して最高の先生だとは思いませんが、こういった“自分にしかできない活動”を通して、他にはない体験を提供できる先生にはなれたのかなと考えています。

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