クリストファー・ノーラン映画と『FFXIV』の関連性ーー「シタデル・ボズヤ蒸発事変」の“記憶の時間旅行”と『インセプション』を補助線に考察

「僕はノーラン監督にはいつも嫉妬しか感じない。この人がゲームを作ったら、いったいどうなるんだろうか、と。とんでもない映画である。この監督、やっぱりイカれてる!!ゲーマーたちよ、この映画は必見だ! そして、大いに語り合おう!!」

 『ファイナルファンタジーXIV』(以下『FFXIV』と表記)のプロデューサー兼ディレクターを務めるスクウェア・エニックスの吉田直樹氏は、映画監督クリストファー・ノーランの最新作『TENET』にこのようにコメントを寄せている。クリストファー・ノーランといえば、『メメント』(2000年)、『ダークナイトトリロジー』(2005-2012年)、『インセプション』(2010年年)、『インターステラー』(2014)などをはじめ、誰もが一度は耳にした経験があろうビッグタイトルを次々に生み出す現代の巨匠の一人だ。

 『FFXIV』とノーラン作品という組み合わせは、一見するといささか奇妙に見えるかもしれない。オンラインゲームと映画。私たちは両者のあいだをいかように接続できるだろうか。あるいは、ジャンルや媒体も異なるこのちぐはぐな組み合わせをあえて並置した時、何か新しいものを見出せるだろうか。ノーラン作品を念頭に検討することで、『FFXIV』の物語をより多角的に楽しむことができるのではないだろうか。そのような姿勢のもと、本稿では両者の物語におけるテーマ的連関を探ってみたい。

 言うまでもなく、双方ともに非常に巨大な物語であり、本稿がほとんど無謀とも言える試みであることを筆者は十分に承知している。以下の記述は、あくまで筆者が独自に物語を解釈し、考察した内容であることをあらかじめご了承願いたい。一人の光の戦士としてあえてこの無謀な冒険に踏み込み、そこに何かを見出すことができれば幸いだ。

『FFXIV』と『インセプション』―非現実の街の風景の類似

 『FFXIV』の文脈の中で、吉田氏はノーランのファンであることをこれまでにも公言している。2019年10月に公開された『ファミ通』によるインタビューでは、「クリストファー・ノーラン監督の『インセプション』は大好きな作品で何十回と観ているのです。(中略)。『メメント』があり、『インソムニア』を経て、『ダークナイト』の3部作があったからこそ『インセプション』が生まれたわけですし、そこから『インターステラー』にもつながっていくわけです」とノーラン作品への傾倒を明かしている。

 さらに、「これらは同一作品のシリーズではないですが、『FFXIV』のシナリオ制作も同じことだと思っている」と述べ、ノーラン作品の変遷・発展に、『FFXIV』の制作との類縁性を仄めかしている。無論『FFXIV』は吉田氏一人の手によって制作されているものではなく、何もかもを彼一人に帰してしまうのはいささか危険かもしれない。しかしながら、そのことを理解した上でなお、それからおよそ半年が経過した2020年4月、「漆黒のヴィランズ」パッチ5.25で実装されたサブクエストシリーズ「セイブ・ザ・クイーン」のとあるイベントシーンを目にした際に、筆者は吉田氏がノーランに言及したそのインタビューを思い起こさないではいられなかった。

 『TENET』や『インセプション』への吉田氏の言及を経て、ノーラン作品と『FFXIV』とのあいだに何かテーマ的親和性を見出そうという大風呂敷を広げた筆者が、両者のつながりを最も明確に指摘できるのは、本稿冒頭に掲載した2枚のイメージが示すとおり、『インセプション』での夢世界のワンシーンと「セイブ・ザ・クイーン」クエスト内で主人公が訪れる記憶の世界で追憶される「シタデル・ボズヤ蒸発事変」のインスタンスバトルシーンだ。

 レオナルド・ディカプリオが演じる『インセプション』の主人公コブは、人の夢の世界へと侵入することでそこから重要な情報を盗み出し、その情報を売るという非合法の産業スパイを生業としている。ある時、彼は渡辺謙演じる大起業家サイトーから、競合企業の跡取り息子の意識のなかへと潜り込んで父親から継いだ会社をわざと潰させる考えの植え付け、「インセプション」(”inception”とは「発端」の意)を依頼される。依頼の完遂を目指し、コブは恩師の紹介を通じて夢の設計者アリアドネをスカウトし、二人で夢世界のパリの街を練り歩くかたわら、その世界のルールや仕組みをレクチャーしていく。

 掲載した2枚のイメージのうち、1枚はコブに夢世界を案内されながら、アリアドネが夢の設計者としての才覚を発揮する場面だ。彼女はパリの街を自らの想像のおもむくままに再構築する。物理法則すら無視して縦横無尽に伸びる街の風景。そして、もう一枚は『FFXIV』ゲーム内のスクリーンショットだ。この街並みは『インセプション』のそれを想起させはしないだろうか。これは「セイブ・ザ・クイーン」で語られる記憶の中で再現された「城塞都市シタデル・ボズヤ」の街並みだ。本稿はこの両者のイメージ的類似を切り口として、以下では『インセプション』と『TENET』を補助線に、『FFXIV』のサブクエスト「セイブ・ザ・クイーン」内で描かれる「シタデル・ボズヤ蒸発事変」に注目しつつ、『FFXIV』における“記憶”と“時間”の二つのテーマについて筆者なりに考察を展開してみたい。

「シタデル・ボズヤ蒸発事変」とは?

 2020年4月7日に実装された「漆黒のヴィランズ」パッチ5.25「セイブ・ザ・クイーン」クエスト内でプレイ可能な「シタデル・ボズヤ蒸発事変」インスタンスバトルの詳細は次のようなものだ。本クエストは被支配階級である元シタデル・ボズヤの住民たちによって結成されたボズヤ・レジスタンスが、支配者であるガレマール帝国の圧政に抗うのを手助けする物語だ。レジスタンスの指導者たちは、物語の現在からは5000年以上前の第三星暦にシタデル・ボズヤを支配していた女王グンヒルドが持っていたとされる、通称「グンヒルドの剣」を、レジスタンス団結のシンボルとして再生しようとしている。

 しかし、復活に必要なオリジナルの剣に刻まれていたという碑文が分からず、かつてそのレプリカがあったシタデル・ボズヤの記憶を持つ人物を見つけ、それを探ることで碑文を突き止めようとしている。そこで主人公の仲間でもあり、消失前のシタデル・ボズヤの記憶を保持するガーロンド・アイアンワークス社の社長、シド・ガーロンドの手を借りる運びとなる。そして、かつての古代アラグ文明の技術を引き継いだ記憶を覗く装置「覗覚石」を用いて、主人公はシドの記憶世界へと飛び込み、「シタデル・ボズヤ蒸発事変」を追体験する。

 「シタデル・ボズヤ蒸発事変」は、『FFXIV』作中内の「現在」からおよそ15年前、第六星暦1562年に起こった。エオルゼアの東方オサード小大陸に位置するガレマール帝国属州の城塞都市シタデル・ボズヤにて、当時同国の筆頭機工師だったシドの父親ミド・ナン・ガーロンド指揮のもと、古代アラグ文明が生み出した、ハイデリン軌道上に浮かぶ人工衛星「ダラガブ」に秘められた、莫大なエネルギーの利用が目論まれた。「第一次メテオ計劃」と命名されたこのプロジェクトは、シタデル・ボズヤに設置されていた交信電波塔により実行された。しかし、交信は失敗に終わり、ダラガブから放たれたエネルギーは制御を失った結果、ミド本人をも巻き込み、シタデル・ボズヤの都市を丸ごと地図上から消滅させるほどの大規模な被害を出した(『Encyclopædia Eorzea』41, 47-53)。これが従来、作中で伝えられてきた歴史的記述である。しかし、「セイブ・ザ・クイーン」物語内で、シドの記憶のなかへと潜った主人公は、実は「シタデル・ボズヤ蒸発事変」はガレマール帝国の無謀な企みに起因する事故ではなかったと知る。のちに第七霊災を引き起こしたダラガブ内に封印されていた蛮神バハムートが、その力でミドをテンパードとして操り、故意にエネルギーの暴走を引き起こさせた厄災であったことが判明。蛮神バハムートの力によるシタデル・ボズヤ都市消滅は、新生エオルゼア、すなわち現在の『FFXIV』の物語の端緒である“第七霊災”の予型ではないかと筆者は捉えている。

超える力「過去視」と歴史の問い直し

 「セイブ・ザ・クイーン」では、この事件の真相が明かされる過程で、これまでも『FFXIV』に通底してきたテーマである”記憶“の概念が詳細に記述される。

 パッチ4.0シリーズ「紅蓮のリベレーター」で実装された「リターン・トゥ・イヴァリース」に登場するシャーレアンの賢人・ミコトが、本クエストでも再度登場。作中世界における記憶をつぎのように説明してくれる。生命体のエーテルには「肉体に宿る生命力」「個人を識別する魂」「経験を司る記憶」の3つがある。このうちの「経験を司る記憶」が作中での“記憶”のことだ。しかし、“記憶”は必ずしも正確とは限らない。“記憶”には「認識した情報」と「無意識に記録された情報」との2つがあり、特に前者の「表層意識、すなわち『認識した情報』の方がよほど嘘が多」く、それは「意図せず誤認された情報、意識的に改竄した情報、事実を無視して願望が記憶として保存された情報」だからだ。こう述べたうえで、彼女は「『無意識に記録された情報』が重要」なのだと説く。なぜなら「無意識にこそ『真実』が眠っている」からだ。無意識の記憶、「表層意識」との対比で考えるのであれば、深層意識のような深い領域に刻まれた記憶には、公には知られていない真実が眠っているということだ。

 『インセプション』のなかで、主人公コブは、夢の世界では「思ったことがそのまま起こる」と言う。夢の世界では、自身の記憶を、あるいは思いをそのまま形にできる神の如き想像力/創造力を得られる。そこで人々は、時に現実と虚構の境界線を見失い、たとえ真実ではなかったとしても夢の世界を現実として受容してしまう。実際、コブとマリオン・コティヤールが演じる妻モルは彼らだけの夢の世界の奥深くでユートピアを作り上げた結果、現実と虚構の狭間をほとんど見失ってしまう。望むままに構築される理想的な虚構は、しかしそれがあまりにも理想的であるがゆえに、現実を上塗りし、本来的にはifの世界だったものを現実のそれへと横滑りする。そして、ついに虚構は現実へと取って代わり、現実の形すらも歪めてしまう。

 記憶の持ち主も気づかぬまま、ありのままに保存される「無意識に記録された情報」としての生の記憶と、ほとんど自由に改竄、歪曲される可能性をふくむ表層意識上の「認識された情報」。前者が重視されるべき真の情報を含む“記憶”であるならば、後者の必ずしも正確とは限らない、表層意識が認識した情報としての記憶、その持ち主の意識や感情によって影響によって書き換えられてしまう記憶を、ここで筆者は“歴史”と言い換えて捉えてみたい。『FFXIV』は、恣意的に伝えられた“歴史”の裏に隠されてきた、あるいは置き去りにされてきた“記憶”を探求する物語ではないだろうか。

 『FFXIV』の主人公は“超える力”を持つ。主人公の“超える力”にはいくつかの特殊能力が含まれているが、特筆すべきは“過去視”の力だ。この力によって、主人公は失われてしまったはるか遠い過去の個人の記憶を追体験できる。主人公が遡るのは、歴史としては語られてこなかった記憶、つまり歴史の「無意識に記録された情報」だと言える。主人公が追体験する過去の出来事は、実際に起っていながらも誰もが知らざる記録、すなわち時に歪曲された情報を含む、人々によって「認識された情報」とその総体である“歴史”とはいささか異なるものだ。たとえば「漆黒のヴィランズ」で、第一世界のヴィランズとされてきた闇の戦士アルバートらの真実を知らしめたように、主人公の冒険とは、過去を視る“超える力”を通じて、記憶の奥底に忘れ去られた真相をあらためて明らかにすることで“歴史”という表層意識の記憶の集合体を問い直す行為ではなかっただろうか。

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