「上演」か「上映」か? 『ダークマスター VR』によって拓かれる“VR演劇”の可能性

VR演劇は「上演」か「上映」か

 原作である『ダークマスター』の主題は、“私たちは誰の意思のもとに動いているのか?”というものだと思う。“主人公=彼”は謎のマスターの指示によって行動し、そこに彼の意思は存在しない。その主人公を“私”に置き換えたとき、私たちは本当に自分の意思で行動しているのか? という問いが生まれる。これがVR化によって、ダイレクトに観客に与えられることになったのだ。

 ここで、果たしてこれは「上演」なのか、あるいは「上映」なのか? という疑問が生まれてくる。つまりは、VR演劇であることの意義だ。演劇において「主観」を観客に与えることは、理論上は不可能である。ところがこれをVRが可能にした。演劇とは、演者と観客が影響し合うインタラクティブな芸術だ。そういった意味では、演劇を演劇たらしめるライブ感というものがVR演劇にはない。しかし本作のように、扱われる主題によってはVRであることが大きな意義を持つことになるだろう。

(撮影=前田圭蔵/東京芸術劇場)

■折田侑駿
1990年生まれ。文筆家。主な守備範囲は、映画、演劇、俳優、服飾、酒場など。最も好きな監督は増村保造。Twitter

■関連リンク
東京芸術劇場「ダークマスターVR」

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「コラム」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる