【ネタバレあり】『The Last of Us Part 2』の“炎上”から考える、ポリティカル・コレクトネスに向き合うということ
ポリティカル・コレクトネスと向き合うということ
本作で描かれるレブの物語については、少なからずLGBTQIA+当事者からの批判的意見も存在する。それは、前述の通りレブの物語があまりにも悲惨であるーーカミングアウトしたのにも関わらず、理解を得られず反発を受け、周囲の理解者をも傷つけてしまうーーことに起因している。また、自身のトラウマが蘇り、辛い想いをしたという感想もある。
レブの性自認が招いた悲劇を、娯楽作品として消費することが果たして正しいことなのだろうか。「安易にポリティカル・コレクトネスを描くこと」を否定し、極めて現実的に描こうとした本作もまた、「ポリティカル・コレクトネスを消費すること」への批判の対象となっている。一方で、筆者は最後までレブに感情移入しながら、「Part 2」の後のレブの物語を見届けたいという気持ちを抱きながら本作を終えており、レブは『The Last of Us Part 2』のプレイヤーの中で人気のキャラクターになっている。本作をきっかけに多様な性への理解を深める人も少なくはないだろう。だが、一方では本作の表現に傷付いた人々も存在する。
もちろん、プレイすらしていないのにも関わらず、本作を「自分の信条を消費するために」批判するのは愚かだ。しかし、ポリティカル・コレクトネスを巡る炎上の中にある本作を楽しむことは、決してポリティカル・コレクトネスに対して寛容であることを意味するわけではない。誰もが何かしらの差別意識や偏見を抱えている。
だが、現代のエンターテイメントに触れる上で、もはやポリティカル・コレクトネスを無視することは不可能である。そして、ここまでの規模で、ここまで正面からこのテーマに向き合ったビデオゲームは『The Last of Us Part 2』以外には存在しないだろう。今後は、これが一つの基準になる。
この基準を上回る作品が登場する日も、恐らくそう遠くはないだろうし、Naughty Dogの新作はその作品を更に上回るはずだ。少なくとも、ビデオゲームは進化し続けるのだから。
そして、そのような作品を通して、プレイヤーもまた、自分にとってのポリティカル・コレクトネスと向き合い続ける必要があるのではないだろうか。
■ノイ村
92年生まれ。普段は一般企業に務めつつ、主に海外のポップ/ダンスミュージックについてnoteやSNSで発信中。 シーン全体を俯瞰する視点などが評価され、2019年よりライターとしての活動を開始
note
Twitter : @neu_mura