amazarashi、「Lyric Speaker」とコラボ 「それを言葉という」MVの魅力とは

 公式サイトで先行公開されている「それを言葉という」のリリックビデオでは、秋田ひろむの詞世界とのリンクを感じさせる様々な文学作品が収められた書棚の真ん中に「Lyric Speaker Canvas」が置かれ、楽曲に合わせてディスプレイに歌詞が浮かび上がってくる。その表示方法も楽曲の魅力と連動するようなものになっており、イントロ部分で宙をたゆたうように流れる文字の数々が、秋田ひろむの歌に連動して像をなしていく様子は、まるでamazarashiのライブでの映像/歌詞表現のようだ。また、言葉が表われ/消えていく方向やフォント、文字の大小もサウンドの盛り上がりや歌詞の意味と呼応しており、人が話す言葉特有の揺れや息遣いのようなものが想像できるのも面白い。中でも印象的なのは、最も楽曲が盛り上がるサビの部分でワードファイルの編集画面のように一文字ずつタイピングされ、変換されていく言葉の数々。これが「言葉を紡いでいく」という行為そのものの尊さを連想させるような効果を生んでいて、amazarashiの言葉にかける想いともリンクするような感覚がある。全編を通して、楽曲の言葉から臨場感や体温のようなものを引き出している。

 そうして立ち上がってくるのは、amazarashiの楽曲に込められた「言葉」の持つ意味だ。思えば、「それを言葉という」を収録したシングルのタイトル曲「さよならごっこ」も、彼らの言葉への想いを改めて感じさせるものだった。手塚治虫の名作マンガ作品を原作にしたTVアニメ『どろろ』(TOKYO MX)のエンディングテーマとして現在放送中の「さよならごっこ」は、人間の五感すべてを失った百鬼丸が徐々に身体を取り戻していく=感情や感性を取り戻していく中で逆に芽生える苦悩やとまどい、そしてその先に見える生の喜びを描いた同作に寄り添うような楽曲になっている。苦悩があるからこそ喜びがあること、別れがあるからこそ出会いがあること、過去があるからこそ今があることを、百鬼丸と旅をともにするどろろの視点で描写しているのだ。その言葉のひとつひとつが、「人が生きること」の意味をあぶり出すような効果を生んでいる。そして「それを言葉という」で描かれているのもまた、言葉に形を変えて紡がれる秋田ひろむの生き様や人生だ。これがamazarashiの最大の魅力であることは、多くの人々が感じていることではないだろうか。

 言葉は「人生」や「生きること」と同義である――。そうしたamazarashiの魅力に焦点を当てた今回のコラボレーションは、彼らの魅力をより深く理解するものになるはずだ。

■杉山 仁
乙女座B型。07年より音楽ライターとして活動を始め、『Hard To Explain』~『CROSSBEAT』編集部を経て、現在はフリーランスのライター/編集者として活動中。2015年より、音楽サイト『CARELESS CRITIC』もはじめました。こちらもチェックしてもらえると嬉しいです。

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