『レッド・デッド・リデンプション2』はなぜ「現代の西部劇」なのか 映画的側面から読み解く

 では、『レッド・デッド・リデンプション2』はどうなのだろうか。それは、本作のメーカーであるロックスター・ゲームスの代表シリーズ『グランド・セフト・オート』を見れば理解できる。この作品は、アメリカの犯罪者の世界を誇張して、偏見あるステレオタイプで悪趣味な描写をプレイヤーに提供している。そしてそんな不謹慎な世界をまるごと俯瞰して笑うことで、暴力や欲望にまみれた社会に皮肉を浴びせるということもできる、二重的な構造になっている。だから『グランド・セフト・オート』は、あるプレイヤーによってはただの「暴力ゲーム」であり、あるプレイヤーにとっては戯画化された暴力への皮肉な批判として機能することになる。

 『レッド・デッド・リデンプション2』の世界では、プレイヤーが操作するアーサーが町や草原などを歩いているだけで、様々なイベントが発生する。銃撃に遭ったり、酒場で乱闘することになったり、娼館でトラブルに巻き込まれたり……。酔っ払った男が馬に蹴られて突然死するのを目撃することもある。さらには黒人奴隷の酸鼻な最期を暗示している部分も見られる。ここでも、プレイヤーは描かれる暴力や野蛮さをそのまま味わうことができるし、そんな様々な暴力が肯定される描写を、「開拓精神」と呼ばれてきたものへの批判として捉えることもできるのだ。このような二重構造を持つことで、あらゆる暴力が存在する「西部劇」が現代的な意味を持つことができる。

 しかし本作はあるキャラクターが宣言する「世界は今日も美しい」という言葉が象徴するように、ハワード・ホークス監督の『赤い河』(1948年)、『リオ・ブラボー』、ジョン・フォード監督の『捜索者』(1956年)同様、それでもなお西部のおおらかさや、大自然のなかでの人間の営みの魅力を肯定しているように見える。

 自由に行動できる広大なオープンワールドのなかで、キャラクターたちの楽しい合唱にひたったり、バルビゾン派の絵画を想起させる詩情に満ちた風景を眺めながら時を過ごし、自身の髭や馬、銃のメンテナンスにひたすら快感を感じることもできる。そして制作者の意図すら超えて、町の入り口付近の地面に刻まれた、圧倒的リアリティによる馬車の轍(わだち)や、馬のひずめの跡を見て、プレイヤーが人生を想うことすら可能なのである。

 このように本作はゲーム作品でありながら、西部劇映画の歴史を一つずつ負い、さらにはその先に行こうとする、真に「現代の西部劇」といえるものになっていると感じられる。だから本作を最大限に楽しもうとするなら、西部劇映画をまず観ることが必要である。そしてこのゲームに懐疑的な西部劇映画のファンもまた、プレイしてみることを強く薦めたい。『レッド・デッド・リデンプション2』は、ゲームファンと映画ファンを媒介するだろう、大きな可能性を持った「西部劇」なのだ。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

レッド・デッド・リデンプション2【CEROレーティング「Z」】 - PS4

■販売情報
『レッド・デッド・リデンプション2』
発売中
プラットホーム:PlayStation4/Xbox One
CERO:Z(18歳以上対象)
発売元:ロックスター・ゲームス
(c) 2018 Rockstar Games, Inc.

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