ボイス・トランスレーションーー“バ美肉”は何を受肉するのか?:後編

 ボイスチェンジャーを用いて「女性らしい声」を装う、「バーチャル美少女受肉」おじさんこと、「バ美肉」おじさん。彼らのキャラクターをめぐる創作実践は、トランスジェンダー(MtF)の外科手術を経ない発声訓練に接近する。NHKの特設サイトに公開された動画をきっかけに紛糾した、Vtuber「キズナアイ」に固定されたジェンダーロールを見出す批判は、バ美肉にまで連続する問題系を捉えている。それは両者に共通する、音声の扱いだ。前回に続き本稿では、この声の来歴について扱うことで、バ美肉に潜在する問題の本質と、可能性を明らかにしたい。

 ルーツは「声優の声」にある。周知のように、国内で生産されるキャラクターグッズのなかには、声優の声それ自体が商品とされるものも多い。これには国内のテレビアニメの製法と制作条件が影響している。

 本格的なテレビアニメとしては国内初の、『鉄腕アトム』において試みられた静止画の多用や、動画の使い回しなどによる極端な作画枚数の節減は、欠落した視覚情報を音声で補填するものとなった。これは筆者においても重要な論題であり、ほかの文章で詳しく論じているのでここでは割愛する(詳しくは批評誌『アーギュメンツ』を参照されたい)。しかし要点だけを述べるなら、筆者は『鉄腕アトム』において開発された音声情報過多の映像は声優の起用を決定づけ、今日まで国内のテレビアニメの多くは、音声情報の解釈の手がかりとして絵図があるような映像を作ってきたものだと捉えている。音声偏重の映像となることで量産可能となったテレビアニメは、数多く専業の声優を産み、その「声」自体への需要をも育てた。

 一方で、そのような声優の声はときに、著名なアニメ監督から忌避されることもあった。宮崎駿は海外のメディアの取材に対し、声優の声について「コケティッシュ」であるとして自身の作品への起用については消極的であることを示した。また宮崎は別の機会では、「声優さんの器用さに頼」ることもあるとしつつも、「存在感のなさ」に不満を漏らし、「特に女の子の声なんかみんな、「わたし、かわいいでしょ」みたいな声を出す」と指摘している( 『出発点 1979~1996』における糸井重里との対談)。宮崎は声優の声がもつ扇情的な響きを明確に批判しているのだ。

 声優の声の「ガワ」として表れている、映像、キャラクター。「キズナアイの声優」の特定がファンたちに急がれているように、Vtuberの動画視聴もまた声優の声の消費形態と地続きに捉えられているようだ。彼女の声色もまた、宮崎に言わせればコケティッシュな響きをもつものなのだろう。であるならば、Vtuberに潜在しているセクシズムの本質はこの声にあるのであって、視覚的なデザインや発言のパターンはあくまでも副次的なものに過ぎない。批判者は、彼女の声にこそメスを向けなければならない。そもそも、例の動画でジェンダーロールに晒されている確かな女性の身体とは、声をおいて他にないはずだ。

 身体から切り離された声に向けられた、欲望。これに応えることで誇張される、女性の声。このような問題提起は、「声優」以前のメディア環境に向けられたものもある。社会学者の吉見俊哉は『「声」の資本主義 電話・ラジオ・蓄音機の社会史』において、ほとんどが女性であった大正期の電話交換手に統一的に施された、言葉使いや発声の訓練に「性差別のメカニズム」の萌芽をみている。また吉見は、これに地続きのものとして、大正期に発展する「デパートの店員や企業の受付嬢、ラジオのアナウンサーやバスガイドなどの声の問題」を挙げている。ここに「声の複製化と女性の身体の資本主義的再編が、広範な匿名的な顧客との応対という場面で広く接合されている」のだという。

 吉見は以上のように、電話やラジオといったテクノロジーの普及に際して、女性の声がその都度、規格化されて現れていることに注意を促している。録音編集技術が産んだ職能である声優や、3Dモーションキャプチャーによって実践されるVtuber、ボイスチェンジャーに支援され実践されるバ美肉もまた、彼は同様に批判するだろう。奇しくも、先にも挙げた魔王マグロナが発声法を指南する配信では、推奨される声のイメージを「電話声」「お母さんが電話するときに声高くなるようなアレ」と表現している(動画、16分ごろから)。

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 広範な匿名的な顧客に向け複製される女性の声は、セクシズムを潜在させた訓練を施される。動画に出演し、リアルタイム配信も行うVtuberはもちろんのこと、これを応用するバ美肉もまた、発声者が男性であれ訓練される発声法は男性によるジェンダーバイアスが多分に含まれた「女性らしい声」を目指している。キズナアイに提起された問題の本質が「音声の扱い」にあるのなら、女性が立ち会わずして制作を完結させることができるバ美肉は、これを男性たちによって模倣することで、強固に再生産するものなのかもしれない。

 よって、キズナアイに「性差別」を読みとる向きの批判は、やはり退けてはならない。しかし差別の本質は声の扱いにあり、困難もここにある。バ美肉の創作においてはもはや、一方的に訓練を施される女性は存在しない。偏向し誇張された女性理解に基づくものであっても、これに向けて望んで自らを訓練する男性しかいない。彼らに先述の批判を向けることは、すなわち「異性の声に幻想をもつな」というに等しい。

 「異性の声に幻想をもつな」。これがなぜ困難なのか。

 示唆を与えてくれるのは、前回の記事でも参照した『あたらしい女声の教科書』(原作者:hitomine)において紹介される、ボイスチェンジャー「恋声」の使用法だ。興味深いのは、本書において恋声は、あくまでも「音声のピッチの軌跡をリアルタイムに描画するソフト」として活用が手ほどきされており、ボイスチェンジ機能はその存在が触れられるのみであることだ。

 これは本書が「女声」の獲得に向けて掲げている、三つの主題によるものだ。一つは先の記事でもみたように「メラニー法のローカライズ」、残る二つは「女声の可視化」と「女声の定量化」である。本書において恋声は、この二つの主題に際し紹介され、訓練の過程で変容する自分の声の聞こえをパラメーターとして可視化し、調整の試行錯誤を支援するものとして推奨されている。つまりここでは恋声は、ボイスチェンジを施した声を不特定多数に届けるためのツールではなく、「自分の声を聞く」ためのメディアとされているのだ。

 今日バ美肉によってボイスチェンジャーとして活用されている恋声が、MtF向けの指南書においては自分の声を聞き可視化するために活用されていた。本書にとってそれは、自分の発声訓練に「気長に付き合ってくれるだけの友人」の代わりであった。重要なのは、これによって「女声の定量化」を図った著者による声の分類である。本書では「アニメ声」をピッチが極端に高く、抑揚が不自然である「女性らしさを極度に誇張した声」であることを問題視し、トレーニングに向けて目標とされる声質がかなり具体的に数値として掲げられている。これは、日常生活における対面の発話で違和感のない発声を目指すためなのだろう。

 そもそも、メラニー法をはじめとした「女性らしい声」を目指したボイストレーニングは、喉にかなりの負担を与える。「トランスジェンダー (MtF) が女性として生活出来る、最低限のレべルを目指」すとする本書では、「アニメ声」を忌避し、先述の定量化によって示された目標を「ナチュラル声」と呼称した上で、目標とされる声がそれほど高いものではなく、無理なく目指せるものであることを繰り返し述べている。それでは、本書が目指す「女性らしい声」は、キズナアイに見出されたようなジェンダーロールと無縁のものなのだろうか。

 ところが、そうではない。本書は、恋声をはじめとしたソフトを利用しながら、定量化された音響データによって声質自体の誇張を避けてはいるが、その他の指示においては「文法の男女差は、社会における男女の力関係によって表れ」るとして、対比的に描かれた男女の性格を元に、語彙や語尾の選びを指南している。「一般に、女性は断定的な表現を避け、命令的でなく、自分の考えを相手に押し付けない言い方をする傾向があります。これに対して、男性は断定や命令を含み、主張や説得をするための表現を多用する傾向があります」。  当然、これらは既存の社会におけるジェンダーロールを再生産するものである。

 バ美肉においては、恋声を「自分の声を聞く」メディアでなく「他者に声を届ける」ボイスチェンジャーとして利用されている。しかし魔王マグロナが説明するように、未だ加工技術の発展途上にある恋声においては、あらかじめ訓練された発声で吹き込まなければ、ノイズのない声を発することができない。だが、既存のVTuberと連続したこの創作実践において、音声のピッチやフォルマントの調節がソフトによって代行されるぶん、ここで目指されるような声質は『あたらしい女声の教科書』によって指摘されたような「女性らしさが極度に誇張された声」であることは言うまでもない。

 ここで困難をより具体的に記述できる。「異性の声に幻想をもつな」という提言は、「男女の声を対比させるな」とほぼ同義だ。しかし、対比そのものをキャンセルすることは可能なのだろうか。バ美肉においては、ボイスチェンジャーに支援されてこその音声が男女対比的に目指され、『あたらしい女声の教科書』においては、男女対比的な話法が性適合の出口であった。そしてそもそも、私たちは「声質」といった相対的で曖昧な聴覚の印象を、とりあえずは高低の対比で捉えるのではなかったか。

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