高畑勲監督は“アニメの作り方”を抜本的に変革したーー遺作『かぐや姫の物語』の功績

 アニメーション界の巨匠・高畑勲監督が5日、肺がんのため東京都内の病院で亡くなった。82歳だった。

高畑勲『かぐや姫の物語 [DVD]』(ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社)

 高畑勲監督は、東映動画によるテレビアニメ『狼少年ケン』(1963年)で演出家としてデビュー。『アルプスの少女ハイジ』(1974年)、『母をたずねて三千里』(1976年)、『赤毛のアン』(1979年)、『火垂るの墓』(1988年)など、アニメーション史に残る名作を数多く手がけた。「日本におけるウォルト・ディズニー」を目指し、自ら絵を描くのではなく、総括的な立場で制作に携わることを旨とし、『ホーホケキョ となりの山田くん』(1999年)や『かぐや姫の物語』(2013年)では、革新的な手法が世界的にも高く評価された。

 映画評論家の小野寺系氏は、高畑勲監督の作家性を次のように語る。

「高畑勲監督がほかのアニメーション監督と大きく異なるのは、生活を丹念に描き出すことに異様なほどの情熱を捧げているところです。実写ドキュメンタリー『柳川堀割物語』(1987年)は、そんな高畑勲監督の特殊性が如実に現れた作品で、日本に残る古い水路や、水門の仕組みや歴史、そこでの生活について執拗に追ったものでした。人間を描くということは生活を描くということであり、その背景を丁寧に掬わなければ本物のドラマは立ち上がってこないという哲学が、高畑勲監督にはあったのだと思います。アニメには、現実には起こり得ないことを描くことができるという強みがありますが、高畑勲監督はその逆を行くことで作家性を獲得し、後進に影響を与えた稀有な監督といえます」

 『かぐや姫の物語』では、登場する楽器や牛車にいたるまで、当時使われていたものがどんなものだったのかを徹底的に調べ、作品に落とし込んでいたという。『アルプスの少女ハイジ』におけるチーズや、『火垂るの墓』におけるドロップが、リアルな質感を持って視聴者の記憶に刻まれるのも、高畑勲監督が“生活を描く”ことに並ならぬ信念を抱いていたからではないだろうか。

 一方で、高畑勲監督は新しいアニメ表現を模索することにも、極めて意識的だった。

「高畑勲監督の手法で革新的だったのは、動画と背景画を自然になじませたことでした。たとえば、スタジオジブリの男鹿和雄氏などは、写真のように緻密な背景画を描くことで知られていますが、従来の手法では人物や乗り物などの動く絵をその背景画と同じような緻密さで描くのは難しく、どうしてもアンバランスなものにならざるを得ませんでした。アニメの主役は“動く絵”であり、それを芸術の域まで高めようとしている作家にとっては、これは大きな課題です。ディズニーの場合は、それを3DCGアニメで解決し、手描きによるアニメからは離れていきました。

 対して高畑勲監督は、『ホーホケキョ となりの山田くん』でまったく異なるアプローチを採ります。ムラのある有機的な線と水彩のタッチで濃淡をつけた、いわば手描きの絵を動かすということにCG技術を利用することで、人物と背景を同じように描くことに成功したのです。その手法の画期性から、同作はMoMA(ニューヨーク近代美術館)に永久収蔵されました」

関連記事