SF映画としての『ドラえもん』ーー最新作のフィロソフィーを読み解く
現在公開中の『映画ドラえもん のび太の宝島』。スティーブンソンの名著「宝島」に憧れたのび太が、ドラえもんの道具「宝探し地図」で宝島の場所を見つけ、その場所に突如現れた謎の島を目標に大冒険に繰り出す。そこまでの流れは、藤子・F・不二雄が亡くなった後に作られた最初の大長編『のび太の南海大冒険』とほぼ同じプロットだ。
しかし『南海大冒険』では穏やかな船旅を盛り立てるためのひみつ道具が不具合を起こし、時空の乱れに巻き込まれ海賊の時代へとタイムスリップしてしまうのに対し、今回の『宝島』ではタイムスリップはせずに、目的の島を前に海賊たちに襲われ、しずかちゃんが連れ去られてしまい、取り返すための大冒険を繰り広げていく。それを踏まえると、今回の作品はSF的な要素が比較的抑えめで、『ドラえもん』という作品の最大のテーマである「友情」に重きが置かれた作品と言えるだろう(これまでもはぐれた仲間を助けるという展開は映画版の定番である)。その点では、藤子・F・不二雄へのリスペクトが強いことで知られる川村元気の脚本らしい部分であると考えられる。
それでも、のび太たちがたどり着くキャプテンシルバー率いる海賊たちの島とクライマックスの展開は、本作における重要度の高いSF要素であるといえる。基本的には夢に溢れた様々なファクターを兼ね備え、あらゆるSF的なポイントを有しているのが『ドラえもん』の魅力だ。ここで過去の「映画ドラえもん」シリーズのパターンを分類してみる。すると大きく4つのタイプに分けることができるだろう。
まずもっともオーソドックスなパターンといえる【時間旅行】系統の作品は『恐竜』や『日本誕生』のようなシンプルなタイプから、現代の地下空間から過去へ往来する『竜の騎士』や、過去に行ったことから現代が変わってしまう『パラレル最遊記』のようなタイプがあり、『ひみつ道具博物館』では初めて未来へと行く。
つづいて【地球の未知の場所】へ行く系統。アフリカの秘境で犬たちの国を発見する『大魔境』をはじめ『海底鬼岩城』や『ふしぎ風使い』などがこのパターンといえよう。昨年の『南極カチコチ大冒険』は、南極から過去の世界へとタイムスリップするという少々変わり種の、ハイブリッド型の作品だった。
またSFの定番である【宇宙】を舞台にしたものは、「映画ドラえもん」でも定番中の定番。『宇宙開拓史』や『宇宙小戦争』、『アニマル惑星』、『銀河超特急』『宇宙漂流記』、『緑の巨人伝』や『宇宙英雄記』など数多くの作品が宇宙を舞台に繰り広げられている。もっとも、宇宙を舞台にしながらも自分たちで作り出した世界という点では『ねじまき都市冒険記』は『創世日記』や『雲の王国』と同じ分類にしても良さそうだが、ここは宇宙に分類し、また『雲の王国』はひとつ前の【未知の場所】に分けるのがいいだろう。
そして『創世日記』や、前述した『パラレル最遊記』も含まれるのが【パラレルワールド】タイプ。「もしもボックス」を活用した『魔界大冒険』や、「おざしきつりぼり」で鏡面世界へ行く『鉄人兵団』、夢の中の世界を旅する『夢幻三剣士』や物語の世界に入り込む『ドラビアンナイト』もこちらの部類に入るわけだ。
この4つの分類の中で【時間旅行】、【宇宙】そして【パラレルワールド】の3者は言わずもがな一般的なSFというジャンルの主要素が物語の軸となっている。しかしながら今回の『宝島』が分類される【未知の場所】というタイプは、もっとも現実に近いストーリーであり、ドラえもんやひみつ道具という大前提を除けばSF要素は非常に少ない。そういった中にこそ、藤子的な“SF”、つまり「すこし不思議」というフィロソフィーが最大限に発揮されるのではないだろうか。