VRは現代の魔術だーーゴッドスコーピオンが見通す、人間の能力が拡張した近未来

 VR/MRの領域を中心に、アート、ビジネスの両面で次々と革新的なアイデアを形にしている、気鋭のメディアアーティスト・ゴッドスコーピオン。「現代魔術」を標榜し、「個々人の世界の認知のあり方を変えたい」と語る彼の目に、未来はどう映っているのか。これまでの足跡から、魔術やオカルティズムの捉え方、現在の仕事内容まで、じっくり話を聞いた。(編集部)

テクノロジーが人に与える、魔術的な能力

――現在の活動に至るまでの経緯を教えてください。

ゴッドスコーピオン(以下、ゴスピ):もともと精神科医になろうと考えていたんですよ。ノームチョムスキーみたいな言語学系の分野と、精神的な分野に興味があったので、合わせてやるなら精神医学だと思い、そのあたりの領域をおさえておけば、幅広い解像度で世界が見れるんじゃないかと。

――現在テクノロジー、メディアアートの世界に進んだ理由とは?

STRICKER

ゴスピ:東京に出てきて渋家っていう家に住んでた時に、たまたま遊びに来てた篠田千明という演出家に知り合って一緒に海外ツアーに同行したり、篠田さんの思考、制作のプロセスが自分のなかで勉強になって。自分も何か作ろうと思い『STRICKER』という作品を構想しました。それが文化庁の「メディア芸術クリエイター育成支援事業」に選ばれて。そんななかで出会ったのが、いま所属しているPsychic VR Labの社長、山口(征浩)なんですけど、当時から「超能力者になりたい」って本気で言っていて、この人サイコーだなと思って(笑)。「VRやるけど、一緒にどう?」と聞かれて、即答でいまの会社のPsychic VR Labの立ち上げをしたのが3年前くらいですね。もともと関心を持っていた認知科学や魔術なども含めて、自分が面白いと思う領域にかかわっていたらこうなった、という感じです。

――お話に出たように、ゴスピさんはテクノロジーによる魔術、超能力、オカルティズムを掲げています。あらためて、ここで言う「魔術」とは、どんなイメージでしょうか?

ゴスピ:例えば、究極にIoTが行き届いた世界で、ノーディスプレイ/ノータッチであらゆるものを操作できるようになったらどうなるか――。いまでもGoogle homeを家に置けば、ハンズフリーで電気がつくようにできますよね。これって、機能や理論が分からない人からしたら魔術的であり、超能力的なわけで。

エクスペリエンスセンターでのパフォーマンス

 去年、エクスペリエンスセンター(大手町)のオープニングイベントで松武秀樹さんと行ったパフォーマンスも、簡単に言えば「音楽が3次元空間で記号化する」というものでした。これもひとつの機能として別の角度から考えれば、MR(複合現実)のデバイスをつけて外国語をリアルタイムで翻訳したり、目の前に必要な文字情報を状況に応じて表示したりすることができるということ。VRやMRを通して、感覚の多レイヤー化ができるようになるんです。

 「魔術」に近い話だと、(ヴァルター・)ベンヤミンが語った「アウラ」(芸術作品の権威。一回性のオリジナルにのみに認められ、複製によって失われるとされる)や(マーシャル・)マクルーハンが語った「メディア論」みたいな議論も、VR/MRが実用化されだした現代だからこそ再考できますよね。例えば、目の前でDiploがDJをしている。でも、実は3Dホログラムで、リアルタイムのように見えて本人はその場にいなく3次元空間に映しているだけだと。その前提を伝えなかった時、視覚的には《Live》である、みたいな状況があるとして、どこまでがDiploでどこまでがDiploじゃないのかとか。我々が接する個人や作品や実在の話ってここ最近で現実性を伴う形で拡張されてますよね。

――オリジナルの高度な共有により、複製で失われるとされる「アウラ」が復元されると。確かに、魔術的な話ですね。

ゴスピ:多層的な解像度で世界を認知できる、みたいになったときに、そういう話が出てくると。メディアの話で言えば、僕らは何かをつぶやきたいときはツイッター、もう少し何かを残したいときはフェイスブック、みたいにやってきてることって超能力っぽいですよね。これからはよりVR/MRによって承認されなかった3次元空間に基づいた欲望を叶えるアプリケーションが出てくるのかなと。

 われわれは遠い昔から身体的なものは何も変わっていないんだけれど、知覚のオーグメント(拡張)ができるようになったり、SNSやインスタグラム等で「世界をこういうふうに見たい」という現在の書き換えができるようになった。この先、UI、UX、メディアが透明な状態になっていくと、それこそ超能力、超人間的だということですね。

――過去には魔術や超能力と捉えられていたものが、テクノロジーによって拡散すると。

ゴスピ:想像することってバーチャル・リアリティーですよね。さらに言えば感じてることってハイパーリアリティーのなかにありますよね。例えば、チベット密教の宝具の「カルタリ」は、魔を切るものだった。日本に住むわれわれからしたら「魔とは?」という話だけれど、バーチャルとして文化に根ざしそれが実在していたんわけです。日本で地獄、閻魔大王がリアルになったのは源信が書いた「往生要集」からであるように。もっと言うと、卑弥呼が「雨を降らすぞ!」と言って、実際に雨が降ってきた、というのも、「卑弥呼は雨を降らせる力がある」というバーチャルのなかにみんなが統合されていたということで。

 そして、バーチャルの反対は何かというと、アクチュアリティ、現実性です。例えば、シャーマンだったら自然や霊界という解像度から世界を認識する。世界の認知はその人の役割や環境の相互作用性から起こる。デイビッド・エイブラムが出した『感応の呪文』という本の中でインドネシアのシャーマンが行う魔術のアクチュアリティに関して、「人間と共同体と自然との相互作用性」の観点から書かれていましたが、つまり、デザイナーだったらデザイナー個人の経験や環境から世界を見るし、写真家だったら「この角度がいい」という事が自分と環境のなかで最適化された現実の認知がある。そういうアクチュアリティとバーチャルをつなぎ合わせ、その一連の構造を体系化するOSがあれば1人の個人が複数の解像度の観点で世界を”観る”という事ができるかもしれないんですね。

テクノロジーの外側にあるオカルティズムの領域

――卑弥呼の話が印象的です。当時のバーチャル・リアリティーはみんなが共有していたもので、現時点でのVRやMRは、どちらかと言うとヘッドマウントディスプレイをつけた個々人の内的な体験になっていますね。

ゴスピ:それも技術が進めば、個人的な体験ではなく、個人間のコミュニケーションも大きく変えるものになります。例えば、グラス型のMRデバイスをつけて歩いていて、相手が「こんにちは」と言うと同時に、「Hello」と字幕が出たりーー今日は建築家としての視点で世界を見ようアスリートとして世界を見ようなどーーそうやって3次元空間に視覚情報を出しながらコミュニケーションがとれれば、かなり抽象度の高いコミュニケーションや認知が起こりそうですよね。例えば、HoloLens(マイクロソフトのゴーグル型端末)は空間を常にスキャニングしているので、服を見た瞬間にパッとブランド名が分かったり、そのまま購入することまでできたり、ということもできてくる。これまでだったら写真を撮りインスタグラムで加工してアップロードすると表現していたところが、空間自体を自分が望む最適な色調に変えたり、日常で見落としていた空間情報をデバイス側でアーカイブしてくれるようになったり、そういう3次元空間的なアプリケーションがわれわれに備わっていくということですね。

――個々人がそうして“能力アップ”していくと、コミュニケーションのあり方もさらに変わってきますか?

ゴスピ:変わってきますよね。でも、iPhoneのようなスマートフォンなんてここ10年くらいで出てきたメディアですが、当たり前に使いこなしていくわけで。50年後の未来なんかを考えると、いまで考えるとテレパシーみたいなこともUIがどうであれ使いこなすんでしょうね。そもそもツイッターやフェイスブックだって、ある種のテレパシーのアプリケーションですよね。つまり、遠隔にいる人が何を考えて、何をしたかということを文字で知覚することができるんだから。

 そういうふうに、超能力やSF的な話って、ここ最近のテクノロジーの進歩で現実になってきていて、そうなった先に何があるのかというのがオカルティズム。オカルティズムは外部性の話だと思うんですよ。テクノロジーが人に寄り添うように進化していくなかで、常に知覚とは? 世界とは?を考えるのが美術だったり、宗教だったり、つまり自身より外側にあるものとしてのオカルティズム、外部性の領域であって。

 昔だったら、物理的なカルタリで魔を切る、というのがある種のフィジカルとバーチャルをつなぐものであるように、いまやHMDで観た世界でイエス・キリストが目の前を歩いている、という体験って作れたりする。そういう意味で、バーチャルとアクチュアルの境界みたいなものがどんどん曖昧になっていくし、人々はより自分がどう世界を観るかという行為をデザインできるようになる、広告のあり方も変わるでしょうね。

――いまはまだアクチュアルなものに価値があり、バーチャルなものはあくまで副次的なものだという捉え方が一般的ですが、その序列が逆転することも?

ゴスピ:状況に応じて選択肢が増える、という感じだと思います。例えば、映画っていうメディアはアクチュアルなものを細かく編集した、バーチャルなものとして観ますよね。音楽だったら、リアルタイムのライブも面白いけれど、作り込まれたトラックもいいわけで。

 人はそういう世界に対応していきますよ。考えれば「電車」なんてすごいテクノロジーだけど、僕らは普通に乗りこなしているし、この10年くらいで、考えていることをすぐに検索する力も手に入れたわけじゃないですか。太古にタイムスリップした時、現在の知識があれば生存確率も変わりますよね。ジャンプで今連載している『Dr.STONE』よろしくその時代に抗生物質はなくても、知識はアーカイブされ、太古でも抗生物質は再現可能なはずですよね。逆に、クレオパトラみたいにお付きの人が何人もいるっていうのもすごいリッチで。自分個の能力をVR/MRで高める事とチームで動く事は目的達成のために両立できますよね。やっぱり選択肢が増えるんだと思います。

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