『汝、星のごとく』の“恋愛もの”だけにとどまらない射程 15年の愛から見出せる社会構造

『汝、星のごとく』にみる社会構造

 また、本作のタイトル回収でもある著作『汝、星のごとく』が櫂によって書かれていること——その作者はあくまでも男性であり、暁海ではなかったこと——もまたフェミニズムの文脈で指摘すべき表現である。ヴァージニア・ウルフが『自分ひとりの部屋』というエッセイのなかで書いた「女性が小説を書こうとすると思うなら、お金と自分ひとりの部屋を持たねばならない」という一節は有名だが、暁海にはお金も安心して過ごせる「自分ひとりの部屋」もなかった。男性を立てるために昇格はさせてもらえないし、不安定な母親が勝手に部屋に入ってきてしまうからだ。そんな暁海にとって、お金も「自分ひとりの部屋」も持っている瞳子(石田ゆり子)の存在はかけがえのないロールモデルであったはずだ。彼女のサポートによって仕事=お金と作業場が提供されることで、暁海は刺繍の実作者としての一歩を踏みだすことができた。

 たしかに暁海は刺繍という媒体において創作者であるのだが、しかし文学——しかも広く一般に読まれるであろうハードカバー書籍——の作者は櫂であり、暁海は“書かれる”存在でしかない。そしてまた、櫂の晩年のケアを受けもったのも暁海だった。創作者として活躍しながらも暁海は、人生の多くを他者のケアに捧げ、文学においては語る声をもたず、他者からのまなざしによって“書かれる”存在だった。物語のクライマックスに水を差すようだが、オートフィクションあるいは私小説的なテクストを出版することには暴力性がともなう。登場人物として“書かれた”実在の人物の声そのものが小説に乗っているわけではないからだ。しかも作者である櫂がすでに故人であるがゆえに暁海は、ほぼ現実を書き写したであろうこの小説に文句をつけることも修正を要求することもできない。(穿った見方ではあるが)そのようなある種の権力勾配にさらされた暁海が、それでも涙を流しながら小説を読了する姿には胸を打たれる。暁海という女性は、女性であることがもたらすあらゆる難点を被りながらも、これまで女性の役割とされてきたケア労働をあえて引き受け直し、みずからの声なしに“書かれる”ことも厭わない。そこには15年のあいだに通底した櫂への愛としかいえないものがあるだろう。

 『汝、星のごとく』を観ることは痛く苦しい経験だった。しかしその正しいだけではない愛のかたちにはひどく胸を打たれた。

参照
※1. https://gendai.media/articles/-/98787
※2. https://news.1242.com/article/484817
※3. https://hon-hikidashi.jp/book-person/2936/

■公開情報
『汝、星のごとく』 
全国公開中
出演:横浜流星、広瀬すず、松村北斗、中村アン、濱田岳、尾野真千子、木村佳乃、石田ゆり子、長谷川博己
原作:凪良ゆう『汝、星のごとく』(講談社文庫) 
監督:藤井道人
脚本:安達奈緒子
音楽:大間々昂
主題歌:RADWIMPS「夕星-ゆうづつ-」
制作プロダクション:TOHOスタジオ、ドラゴンフライ
配給:東宝
©2026「汝、星のごとく」製作委員会 ©凪良ゆう/講談社
公式X(旧Twitter):https://x.com/nanji_movie
公式Instagram:https://www.instagram.com/nanji_movie

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