『風、薫る』はなぜ“人生のゴール”を描かなかったのか 新しい朝ドラが示した生き方

一方、直美は理想的な夫・吾郎(甲斐翔真)を亡くした後も一途に思い続けているように見えたが、寛太(藤原季節)から「大陸に一緒に行かないか」と誘われるシーンがある。寛太は密かに直美を思い続けていたのだろうか——そんな想像が膨らむ場面だ。別れ際、直美が本名を尋ねると、寛太は「小日向で」と告げて去っていく。「小日向」は出会った当初に彼が使っていた偽名であり、当時は彼女を騙してデートに誘ったりしていた。あの頃の若い直美は、まんまと騙されて浮き立っていたのだ。だが作中では、これが真実の愛の告白なのか、相変わらずのでまかせなのか、明確な答えは示されない。視聴者の想像に委ねられている点では、前述のシマケンや虎太郎の状況とも共通している。
つまり、登場人物たちの「明確なゴール」が描かれていないのだ。まるで続編を予感させる、民放の一話完結型ドラマ(刑事ものや医療もの)を思わせるアプローチである。こうしたジャンルではシリーズ化を見越して男女の関係性をあえて曖昧に保つことが多い。結論を出してしまうと視聴者の関心が薄れてしまうからだ。例えば、『TRICK』(テレビ朝日系)の山田(仲間由紀恵)と上田(阿部寛)、『科捜研の女』(テレビ朝日系)の榊マリコ(沢口靖子)と土門薫(内藤剛志)などのつかず離れずな関係性がその典型である。
これこそが、朝ドラにおける『風、薫る』の大きな新規性と言える。従来の朝ドラでは、主人公の人生における公私双方のゴール(誰と結婚し、どんな仕事で大成したか)が晩年まで描かれることが多かった。しかし本作のりんと直美は、「看護とは何か」という問いに対する決定的な言語化もないまま模索を続け、シングルマザーや独身のまま、再婚や結婚の可能性も曖昧に残された。主人公の晩年まで描かない朝ドラもこれまでもあるにはあるが、多くはない。本作はあくまで、バディとして共に看護の道を歩んでいく「途上」の段階で物語を終えているのだ。

もちろん、『風、薫る』が実際に民放のようなシリーズものになる可能性は低いだろう。しかし構造としては、毎週新たな患者を担当する2人の奮闘劇をいくらでも続けられる設計になっていた。だとすれば、序盤のように週替わりで患者が入院し、その人生に関わりながら病と向き合うという1話完結的な構成であれば、より見やすかったかもしれない。
いずれにせよ、「人生に急いで結論を出さない物語」のあり方は、きわめて現代的だと感じる。いまや結婚は必須ではなく、恋愛至上主義も過去のものとなりつつある。結婚しない自由も、恋愛をしない自由もある。自己実現の形も多様化しており、朝ドラの主人公が視聴者の人生のロールモデルとなる時代でもない。
むしろ、いまこの瞬間を懸命に生きる主人公たちの輝きをショート動画的に名場面として切り取り、そこにささやかな共感を提示できればそれでいいという、良く言えばしなやかな、悪く言えば消極的なつくりになっているのかもしれない。その点でいうと、前期のNHK連続テレビ小説『ばけばけ』が著名な人物をモデルとしながら「なにげない日常」を描くことを目指していて、昨今の朝ドラの目指す方向性がそちらに向いているようにも感じる。
第129回で、衛生局の柳生(中村倫也)は直美に「人は共感したがるものだ。できないとやがて嫌悪しだす」と語った。それを作劇に置き換えれば、主人公を2人に設定したことで共感の窓口が広がり、「理解できないから嫌悪する」という視聴者の離脱を防ぐ仕組み(どちらかに共感できれば、もう一方の共感しづらい点も受け入れられる)として機能していた。そこには「目的さえ同じであれば、人は手をつなぐことができる」というメッセージが込められていたのではないか。

その目的とは何だったのか。コロナ禍以降、改めて注目された医療従事者の尊さや、この世に生きるひとりひとりの命・健康をどう守るかという課題を、一人ひとりが自分ごととして捉えること——それこそが本作の目的のひとつだったのではないだろうか。
さあ、今日も窓を開けて、新たな風を入れよう。
■放送情報
2026年度前期 NHK連続テレビ小説『風、薫る』
NHK総合にて、毎週月曜から金曜8:00~8:15放送/毎週月曜~金曜12:45~13:00再放送
NHK BSプレミアムにて、毎週月曜から金曜7:30~7:45放送/毎週土曜8:15~9:30再放送
NHK BS4Kにて、毎週月曜から金曜7:30~7:45放送/毎週土曜10:15~11:30再放送
出演:見上愛、上坂樹里
脚本:吉澤智子
原案:田中ひかる『明治のナイチンゲール 大関和物語』
制作統括:松園武大
プロデューサー:川口俊介
演出:佐々木善春、橋本万葉ほか
写真提供=NHK




















