『Tシャツが乾くまで』最終回が問いかけた“家族”のかたち 名前のない関係を選ぶということ

 「もうね、家族にこだわるのやめたの。戸籍が別でも、一緒に住んでなくても、会うのが週一でも月一でもいい。お互いに居心地よくて、ちょうどいい距離感でいられる人とだけ、一緒にいる」

 金曜ドラマ『Tシャツが乾くまで』(TBS系)がついに最終話を迎えた。「家族」をやめる、それが、咲子(蒼井優)と充(松山ケンイチ)たち夫婦が選んだ新たな道だった。

蒼井優×松山ケンイチ【最終回直前 SP対談】

 お互いの秘密を知ったとしても好きなことには変わらない。むしろ、どうしたって嫌いになんてなれない。でも、いつお互いがいなくなるかわからないという緊張感のなかで生活するのは、息が詰まる。これは、今生の別れではない。「家族なんだからこうあるべき」という形を、手放すという提案だ。お互いを縛り付けず、それでも一緒にいたいときにいる。それは、お互いが楽になることで、相手を、そして自分自身を大切にするための選択だった。

 その決断には、賛否両論あるだろう。「なんでそうなる?」と冷ややかな視線を向ける人もいるに違いない。それこそ「人間関係は我慢と努力が大事だ」「それを乗り越えてこそ、夫婦」などと言う人もいるのではないか。また、なかには「イライラしました。自分もしたいのにできないことするから」と語る直人(高橋文哉)のように、うっすらとした嫌悪感のなかに若干の羨ましさが滲む人もいるのではないだろうか。

 人の行動は、いつだって周囲に共感されるものばかりではない。多くの人がそうあるべきだと考える選択に、自分を当てはめることが難しい人もいる。でも、そういう人が傷つきながらももがいた先に、実は他の人も密かに「いいなぁ」と思っていた新たな選択肢が生まれることもあるのではないか。

頬を伝う涙に見た、語られない充の生きづらさ

 本作に登場する人物のなかで、最も共感されにくかったのはやはり充だったと思う。充を演じた松山ケンイチのXでは、「充の支持率調査」なる遊びも展開されていたが、そんなユーモアを楽しみながらもやはりその数字は視聴者の厳しい眼差しを示していた(※)。

 逃避願望、失踪癖、人間関係リセット症候群。どの言葉も耳にしたことはあるし、実際に“このまま消えてしまえたら楽になるのに……”と、思ったことがある人も少なくないはず。でも、多くの人はそこで踏みとどまる。みんなこんなもんだ、と言い聞かせて耐え続ける。だからこそ、本当に逃げてしまった充を許せないのかもしれない。そんなことを簡単にされては困る。自分だって頑張っているのに、と。

 充は耐えられなかった意志の弱い人。意図的ではなかったにしても園田家を巻き込み、咲子を困らせた悪い人だ……そんなふうに思われても無理はない。帰ってきた後の充も、どこか飄々としていて、自身の行動を悔いているのかが見えにくかったのも、視聴者の心をざわつかせた理由だっただろう。

 だが、最終話で花火大会のチケットを前に、充の頬をつたう涙にハッとさせられた。物語の前半では、あずさと行くためのものだと思われた疑惑のアイテムだったが、それは人混みが苦手な咲子に花火を見せてあげたいと願った愛の証だった。

 咲子の笑顔が見たかった。でも、きっとこのチケットを見つけた咲子は誤解をして泣いたのだろうと充にも想像がつく。そして、花火に照らされる咲子の顔を一番近くで見たのは、自分ではなく樹生だったことも。もちろん、そんなことになってしまった原因は自分だということもわかっている。自分のせいだけれど、自分ではどうしようもないものに突き動かされてのことだった。それは言葉にしてもきっと理解されない、だから語れない。もはや語ろうとも思わない。そんな決して表面には出てこない充の生きづらさが、ひとすじの涙となって見えた。

 「わけわかんなくなって」充は逃げたときのことをそう語った。その口調が落ち着いているから、ことの深刻さは伝わりにくかったように見える。それは夫がいなくなったのに「普通に働けている」と言われた咲子や、妻が亡くなったのに「平気そうだ」と見られた樹生(中島歩)と近いのではないか。その語り口が冷静だからといって、その状況が平然としたものだったというわけではない。

 充が逃げ出さないと、どうなってしまうのか。「やっと見つけた」と思える人のもとを去らなければならないほどの衝動とは、どのようなものなのか。傍から心の中を知ることは難しい。けれど、ときに命の危機を感じさせるほどの苦しみに対する衝動を、ただの「逃げ」という言葉では片付けることなんてできないのではないか。人はいつだって自分の身に降りかからないと、わからないことばかりなのだから。

 「だよね。チケットなんて取らなくても、見えるとこ探せばあるよね。もったいなかったな」というセリフは、単にチケットが使われなかったもったいなさを話しているのではないはずだ。咲子を幸せにしたくて手に入れたチケットが、咲子を泣かせる結果になってしまったことへのやるせなさ。でも、そうせずにはいられなかった自分自身の衝動への苛立ち。そんな誤解されやすく、理解されない生き方そのものへのもどかしさが滲んでいた。

 どうして自分はこうなんだろう。こんな結末を望んでいるわけではなかったと悔やんでも、やはり最後には咲子に合わせずにはいられない。誰も通らない夜の信号機の前で、進むか立ち止まるかも一緒にいる相手に合わせてしまう充なのだから。一方で、その生きづらさを抱える充の姿は、そのまま充らしさとして魅力に映るものでもあるから切ない。だから今は、咲子がそんな充の魅力をちゃんと愛しく思える居心地のいい距離感が必要で、そのためには従来の「夫妻」「家族」という形を一旦置いてみる。この選択は、充の生きづらさへの新たな挑戦であり、咲子が充に「こういうルートなら笑顔になれない?」と手渡す新しいチケットにも見えた。

ひとりになることで解消した、誰かがいないと「孤独」という不安

 物語の主人公である咲子もまた、終盤にかけて語られていなかった4度の離婚歴が明るみになり、視聴者の視線が大きく変わっていった人だ。作中では、1回離婚をしたら2回も3回も変わらないでしょう、なんて言い方をされていたけれど、実際に離婚をした人がそういうことを言うのはあまり聞いたことがない。離婚を繰り返す大変さもまた、複数回離婚を経験した人にしかわからないように思うのだ。

 折り合いが悪い母親以外の“家族”という味方を求めて、咲子は必死になっていた。けれど、過干渉な母のもとで育ったということから、咲子の知る“家族”という形は、もしかしたら何かを「してもらう」ことがベースにあったのではないか。虫を退治することも、高いところにあるものを取ることも、洗濯機のフィルター掃除をしなければならないことも、最初のころはすべて充が先回りしてやってくれていた。そう思うと、「充がいないと生きていけない」と話していた心境も、かつての夫・篤彦(井ノ原快彦)と離婚するに至った経緯も容易に想像がつく。

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