『風、薫る』“文”内田慈はなぜ最後まで母を名乗らなかった? 言葉にしない物語の美しさ
言葉にしない物語。ドラマや映画には時々、それを目指した作品がある。NHK連続テレビ小説『風、薫る』はどうか。主人公は、思ったことをなんでも口にしてしまうりん(見上愛)と嘘をついて世間の荒波を渡ってきた直美(上坂樹里)。ふたりはすきあらば自分語りをするし、一見するとむしろ言葉数が多い。しばしば脈絡のない会話もあって、それが日常会話のリアリティを生み出している。ところが、第17週「脈動」(演出:橋本万葉)に限っては、語られない言葉が鍵となる。
直美と、彼女を捨てた母らしい文(内田慈)がはたして母娘の名乗りをあげるのか? その興味一点で物語は進んでいく。文のもっていた髪飾りの布の柄とお守りの柄が同じであったことから、文が母であることを確信した直美は、思い切って「お母さんですか」と切り出す。だが文は認めない。
文は胃がんに冒されており、それも進行して、手の施しようがない状態であることを知った直美は、そのことを文に話すか悩む。
りんの意見は、この場合、看護婦としてではなく、実の娘として接するべきだというもの。同じく末期がんの山本(本田大輔)が妻のいる家に帰るのを担当医に無断で手伝ったりんらしい考えだ。その意見に背中を押されたのか、直美は文に病状を告げ、何かしたいことはないかと尋ねる。
文には身寄りがなく、これまでもとくに目標を掲げて生きていたわけではないので、何かしたいことはないと言うが、あるとき、添い寝したまま寝てしまった直美の顔を見ているうちに、心境に変化が訪れる。このシーンも、文と直美、お互いがじっと見つめ合う表情は、言葉がないからこそ、胸に迫るものがあった。
直美は寛太(藤原季節)に手伝ってもらい、文を海のそばの神社に連れていく。もう息も絶え絶えの文だが、この神社にはお世話になったと丁寧にお参り。ここで暮らしていたときが一番幸せだったとつぶやく。直美がお腹のなかにいて、安産の神様だというこの神社に日夜参っていたのだろう。その子は捨てられても、美しく聡明な娘に育った。不思議な縁で再会し、最後にしばらく、ふたりでおしゃべりしたりして楽しめた。そのことにも感謝であろう。でもそういう事情や心情はほぼほぼ語られない。
「これまで随分、努力なさったんですね。横浜の教会で捨てられていた子がこんな立派な看護婦さんになって。私のようなものとはまるで違う。あなたならきっと大丈夫」
文は直美にそう語りかけるが、母と娘は名乗り合うことはない。
本心を語らないまま、というのは昔からあるひとつの泣ける物語のパターンだ。あえて古典的なものを例にあげると、『忠臣蔵』。大石内蔵助が主君の敵討ちを計画している。だが一向に実現しないので主君の妻・瑤泉院はしびれを切らしている。あるとき、大石が挨拶に来たのでいよいよか、と期待すると、そうではないらしい。苛立つ瑤泉院。だが、それは間者が潜んでいたことを大石が察知したからだった。あとになっていよいよ討ち入りをすることがわかり瑤泉院は感無量。これはお馴染みの名場面で、歌舞伎や映画やドラマで何度擦られても、俳優たちの名演技も相まってのめり込んで見てしまう。現代のものでいえば「人狼ゲーム」。本心を隠して駆け引きするエンタメ。ミステリーも探偵と犯人の心理戦の楽しみがある。直美と文も、そういう本心を言わないことで観る者の心を揺らした末に大きな余韻を残すパターンで、俳優としても演技のしどころであっただろう。