『君のクイズ』『ミステリー・アリーナ』 クイズ作品急増の背景に“考察ブーム”あり?
クイズブームは昨今の「考察」ブームともよく似ている。『考察する若者たち』(PHP新書)の著者で文芸評論家の三宅香帆は、同書の中で「考察」を「作者が作品に仕掛けたものとして謎を解こうとする行為」と記している。
漫画や映画などを独自に読み解く「批評」と異なり、「考察」には正解がある。『チ。―地球の運動について―』の漫画家・魚豊との対談で三宅は「考察」を「(漫画や映画を)クイズやゲームのように『正解』を当てにいく行為」と表現していた(PHP online 2025年7月4日)。
ちなみに『ミステリー・アリーナ』の公式サイトには、「誰もが映画やドラマを見て考察する時代にぴったりの映画が誕生」と記されていた。クイズと「考察」が近い存在であることがよくわかる。
三宅は「考察」ブームの背景に「報われたい」という人々の感情を見いだす。不況と不平等が続く今の社会では、個人の努力が報われることはほとんどなくなった。努力が報われるかどうかは、運や環境によって大きく左右される。だから「報われた」と感じるものに価値を見出す。漫画や映画を楽しむだけではなく、「考察」によって正解を得ることで「報われた」と感じることができる。
『君のクイズ』で中村演じる主人公のクイズプレイヤー、三島玲央はクイズについて「正解の瞬間、解答者は世界から肯定される」と語っていた。やや大げさで抽象的な表現だが、このときの感情は「報われた」という感情と近いのではないだろうか。
今の社会は平等ではない。「親ガチャ」はあるし、政治家は不正を働いても罰せられない。富裕層は贅沢の限りを尽くしている。そのことを多くの若者は知っている。だが、クイズはルールの下に平等だ。誰もが知識と技術で正解を得ることができる。
『国民クイズ』に登場する「国民クイズ」という番組は国民の身勝手な欲望をかなえるための異常なシステムだが、番組ディレクターのD門は「国民の求める平等」を具現化したものだと説明していた。クイズは「親ガチャ」も運も関係ない、機会の平等の象徴なのだろう。
クイズには必ず答えがあり、実力さえあれば誰もが平等に正解を得られる。そのとき、正解を出すことができた人は「報われた」と感じるはずだ。正解を得るための努力は尊いし、成長の実感も得られるだろう。だからブームになり、クイズをモチーフにした作品が作られるようになった。
しかし、クイズの正解は誰かが用意したものだ。興味深いことに、映画化された『君のクイズ』も『ミステリー・アリーナ』も、漫画の『国民クイズ』も、どれもが「答えのある世界」からその外側の「答えのない世界」へ主人公が出ていく場面が描かれている。
映画やドラマの制作者たちはクイズというモチーフを使いつつ、誰かが用意した答えを解答回答するのではなく、自分だけの答えを探すべきなのではないか? と観客に問いかけているように見える。昭和時代の高額な景品を求めて一般視聴者が争うクイズでもなく、平成時代のタレントたちのやりとりを楽しむクイズでもない。現代におけるクイズとは、それだけ作り手を刺激するテーマなのだろう。