『超かぐや姫!』物語で観るか、キャラで観るか ミュージッククリップ的展開の現代性
1月22日からNetflixで配信が開始された『超かぐや姫!』(2026年)が国内外で好評である。
物語はタイトルの通り、「日本の現存最古の物語」ともいわれる『竹取物語』を現代風にアレンジしている。
17歳の女子高校生・酒寄彩葉(声:永瀬アンナ)は、ある日、光り輝くゲーミング電柱から現れた不思議な赤ん坊を拾う。1人暮らしの自宅で育てていると、赤ん坊はまるでかぐや姫のように見る見るうちに同年代の少女になる。かぐや(声:夏吉ゆうこ)と名づけられた少女は、インターネット上の仮想空間(メタバース)「ツクヨミ」の管理人で、彩葉が熱狂的に推しているカリスマライバーとして活動する月見ヤチヨ(声:早見沙織)と巡り合ったことがきっかけで、自分もツクヨミでのライバー活動を志願する。彩葉は彼女たっての願いで、プロデューサーとしてその活動に渋々関わることになる。
監督を手掛けるのは、『呪術廻戦』や『チェンソーマン』などの印象的なオープニングアニメーションを手掛け、今回が長編初監督となる山下清悟。山下との共同脚本を、フリーライターや作家としても活躍する夏生さえりが務めている。
本作の評価をめぐっては、30代以下のボカロ世代を中心におおむね絶賛のようだが、SNSを覗くと現時点では、ストーリーテリングの難点(予定調和感や希薄さ)を指摘する声と、対照的に、特に前半部分に顕著な、日常アニメ的なキャラの魅力を強調する声が大きいようだ。
このコラムでは、そのあたりの論点を梃子にして、私なりに『超かぐや姫!』の注目ポイントを整理してみたい。
「ボカロアニメ」としてのストーリーテリング
まず、本作にストーリーテリングの視点から難を唱える主張に対しては、おそらくいくつかの補助線が必要だろう。
まず第一に、そもそも監督の山下自身が本作の軸足を「ストーリー」ではなく、「キャラクター」の魅力に置いたと明かしていることは確認しておくべきかと思う。例えば、本作配信直後の『アニメイトタイムズ』の取材では次のように述べている。
ただ、前段階からキャラクターものをやりたいという方向性は[註:原案のフジヤマルリと]話し合っていました。
自分は、ストーリーの構造がものすごく複雑だったり、SFとして緻密な設定が必要なものにはそれほど興味がないんです。むしろキャラクターの感情の成長や、関係性の描写をメインに置いた作品を作りたかった。(※1)
以上のように、――もちろん、作品に対する感想は自由であることは大前提という上で――山下ら作り手側にしてみれば、ストーリー否定派の言い分は、いわば「こちらは一生懸命赤く塗っているのに『青くない』と言われている」側面のあるコメントであるのかもしれない。
また、この点にはコンセプト上の問題も大きく関わるだろう。これも山下自身が、本作の企画開発中に公開された映画『ONE PIECE FILM RED』(2022年)に影響を受けたと語っているように、『超かぐや姫!』も、特に2020年代以降に流行している、有名アーティストや歌い手を起用して、劇中でキャラクターが歌う歌=音楽やライブシーンを前面に押し出すスタイルを踏襲している。
とりわけ本作では、過去の先行作以上に、すでに20年近い歴史を刻むボカロ文化を大々的にリファーしている点が画期的だ。ヤチヨやかぐやが歌う劇中歌を、ryo(supercell)、yuigot、Aqu3ra、HoneyWorks、40mP、kz(livetune)という錚々たるボカロPが楽曲を提供し、「メルト」(2007年)など往年の名曲の新規リミックスやカバーも含まれている。また、公式YouTubeチャンネルには本編ライブシーンの切り抜きやキャラクターたちの「歌ってみた動画」も公開されている。古くは『アナと雪の女王』(2013年)や『君の名は。』(2016年)の頃からいわれてきており、『竜とそばかすの姫』(2021年)や『FILM RED』で決定的になった、いわゆる「映画本編のミュージック・クリップ化」をはっきりとなぞっているのだ。そこでは、特にヤチヨカップを描く後半以降の展開に顕著だが、画面中央にキャラクターを大きく配し、ダイナミックなカメラワークで視聴者を没入させるライブシーンが、ストーリーの直線的な展開を切断して繰り返しインサートされる。
つまり、(『FILM RED』などと同様)ストーリーテリングの後退や希薄化は、以上の「ボカロアニメ」としてのコンセプトから半ば必然的に導き出される特徴でもあるのだ。
しかも、おそらく山下は、そのような「本編のミュージック・クリップ化」の設定がもたらす、ストーリー面での骨格や構築性の希薄さに対しても、ある程度自覚的だ。それが、他ならぬ本作のモティーフに『竹取物語』を選んだ点である。
思い返せば、高畑勲さんの『かぐや姫の物語』もそうですし、童話としての『竹取物語』もありますが、みんな知っている話なので説明が不要です。そのおかげで作品の尺を短くすることができるという利点が非常に強いですね。また、ストーリーの先にある「別れの予感」などの雰囲気を観客が初めから感じやすいので、メタ的な視点でも作りやすかったです。(※2)
すなわち、『竹取物語』(かぐや姫)という日本人なら誰もが知る古典を物語の枠組みに持ってくることにより、作品がブツブツとライブシーンの塊に切れていっても、視聴者側で、いわば自動的にその後の展開を予期し(「いずれはかぐやは月に帰るんだろうな」と)、ストーリーの骨格を脳内で補完してくれるのだ。
これは例えば、本作のような音楽を前面にフィーチャーした劇場アニメの先駆的な事例であり、時系列が極端に錯綜して描かれた新海誠監督の『君の名は。』が、これも大林宣彦監督の超有名作『転校生』(1982年)を下敷きにしており、また細田守監督の『竜そば』がディズニー映画『美女と野獣』(1991年)を参照していることとも通じる。昨今のリメイクブームとも明らかに関係するが、「すでに誰もが知っている過去のコンテンツ」を使うことは、ストーリーテリング上の「コスパ」(映画批評家・蓮實重彦の使う用語に倣えば「説話的な経済性」)をよくする上で都合がいいのだ。